午年の初詣は、お馬さんとゆかりが深い「初音森神社」に行きました
午年の今年は、元日に、家から一番近い初音森神社に初詣に行きました。
馬喰町、横山町、東日本橋の鎮守。まさに、馬喰町、靖国通り交差点のあたりに初音森がありました。ウグイスがたくさんいたことが初音の由来だそうです。
天文20年(1551年)、社前に馬場(軍事教練施設)ができ、初音の馬場と呼ばれました。江戸で最も古い馬場といわれています。初午祭では馬追いの催し等がありました。「天正日記」に初音の馬場を、当時の博労(馬喰:ばくろう)高木源兵衛預りの記録があります。
また、関ヶ原の戦いのとき、家康公が初音の馬場で馬揃え、すなわち軍勢を整えたのは有名なお話。神社に木村常陸介を遣わして戦勝祈願をし、愛馬三ヶ月号に神井の水を飲ませ出発しました。写真は、その三ヶ月号の像です。
その神井は後に三ヶ月の井戸と名付けられましたが、その井戸のあった家に喜多川歌麿が住んでいたというのも、べらぼうファンにはうれしいお話ですね。
こちらは有名な歌川広重の「名所江戸百景」にある「馬喰町初音の馬場」ですね。
年賀状を、毎年版画を彫って作成している私としては、地元で、なおかつ馬にちなんだこの絵を年賀状のデザインにしようと思っていたのですが、タイトルが「馬場」なのに、どこをどう見てもお馬さんがいません。
広重がこの絵を描いたころには、軍事教練施設はその役目を終え、反物が干されている風景が広がっていたと。まさに平和な時代になっていたということですね。反物が広がる風景は、現在の、繊維問屋で有名な馬喰町・横山町とのつながりもうっすらと感じます。馬場自体は日除地を兼ねて、縮小されながらも明治元年まで残っていたそうです。
徳川幕府の入府後、見附番所(浅草見附門)建設にあたり境内地の半分ほどが削られ、さらに明暦の大火後、関東郡代屋敷用地となり、現在本社のある墨田区千歳に替地拝領遷宮しました。
昭和25年に旧跡の一部であるこの地(東日本橋二丁目)にご遷座。ビルの2階が分社と儀式殿となっています。
儀式殿の1階は資料室になっています。総武快速線建設中に浅草橋たもとから出土した「浅草御門 門柱」や六角神輿、明暦の大火を記した「むさしあぶみ」などが展示されています。「むさしあぶみ」の訳本を1000円でお頒けいただけるそうです。
午年の今年なので、御朱印もいつもの種類よりもお高級めなのをいただきました・・・
また、鳥居にしめ飾りがあるのもお正月だけの風景ですね。
この地域とお馬さんとのつながりは、次回またくわしく書きたいと思います。
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