国立銀行設立の日 と よもやま話
6月11日は、国立銀行設立の日です。
その日が入梅の日なのは知っていました。何故そんなマイナーな日を知っていたかというとこの日はすっとこどっこいの誕生日だからです。入梅の日の産れなので性格がジメジメしてるとよく自分で言っていました。
国立銀行設立の日とは全く知りませんでした。マンションのエレベーターに今日は何の日が表示されて初めて知りました。
みずほ銀行兜町支店の正面右側に銀行発祥の地のプレートがあります。
”この地は明治6年6月11日(1873年)我が国最初の銀行である第一国立銀行が創立されたところであります。”
と書かれています。
明治維新後の混乱期に両替商の破産が多くあり、金融市場が不安定になります。明治新政府は国立銀行条例を制定します。それに基づき明治6年に設立されました。
国立といっても国が経営するものではなく今で言えば株式会社です。大株主は三井八郎右衛門の三井組と小野善助の小野組です。2つの組織で持ち株の82%強でした。総監役についた渋澤栄一は2%の持株でした。
国立 の意味はアメリカのNATIONAL の直訳でこの名が付いたそうです。国法によって立てられたのとの意味です。
銀行 はBANKを和訳する際、金行と銀行の二案があったそうです。最終的に決定したのは渋澤栄一です。言葉の音感が決めた理由だそうです。
この銀行の名称は変遷していきます。
第一国立銀行→株式会社第一銀行→第一勧業銀行→みずほ銀行 となります。
小椋佳(おぐらけい)は昭和43年に日本勧業銀行へ入行しました。
入行当初は銀座支店で資生堂グループ専任担当でした。中央区に縁があったのでしょうか。
上記の切り抜きは、中央区の還暦のつどいでの小椋佳によるコンサートの案内です。すっとこどっこいも銀座ブロッサムに行ってきました。
小椋佳は日本勧業銀行が大好きだったようです。入行3年が過ぎた頃、アメリカへ留学中の彼に日本勧業銀行と第一銀行の合併が知らされます。寝耳に水でした。音楽活動も始めていた頃で、合併の話を知らされていなかった悲しさを詩にします。 ”少しは私に愛をください” の曲が発表されました。
”少しは私に愛を下さい 全てをあなたに捧げた私だもの”
単純に男女のラブソングに思えます。「これは銀行への愛を告白したものです」とレコードスタッフに語っています。歌詞の途中に出て来るバラも日本勧業銀行のトレードマークでした。
上記の小椋佳へのインタビューを書いたのはノンフィクション作家の沢木耕太郎です。ルポルタージュ 馬車は走る の中の”その木戸を”で書かれたエピソードです。
沢木耕太郎(さわきこうたろう)は大学時代、就職が内定しますが、学生ストライキで卒業が3カ月延びます。やっと初出勤になった7月1日に大手町を歩いて会社に向かう途中で、真っ黒なスーツを着て信号を待つ集団を見ます。このままでいいのかと思ってしまいます。当日は雨が降っていて、そのせいだと本人は言いますが、その日に会社に断りを入れてしまいます。出勤1日めで辞めました。その顛末は例えば 深夜特急2 の”第6章”に出て来ます。その会社は富士銀行です。第一勧銀と日本興業銀行と共に合併してみずほ銀行になりました。
沢木耕太郎は父親との記憶、最後の日々を文章にします。 無名 です。彼の父は小田原町の産れです。10歳までその地で過ごします。祖父がその地を気に入っていたそうで引越してからも小田原町を本籍にしていました。本籍地名の変更が連絡来て築地六丁目に変わったことを沢木耕太郎は知ったようです。”第9章隅田川”で父の想い出を辿り明石町を歩きます。
沢木耕太郎は大学の4年間日本橋のデパートの高級品売場でアルバイトをしたそうです。そのエピソードが 旅のつばくろ に書かれています。”あの夏私は・・・”の章です。三越なのか高島屋なのかははっきりしませんが。
中央区に多少なりとも縁があった方です。
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