水しぶきにびっくり、狐の親心にしんみり―歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」
歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」第一部を観劇しました。
演目は『鯉つかみ』と、『義経千本桜』の「川連法眼館(かわつらほうげんやかた)」。
豪快な水しぶきに沸く一幕と、親を慕う狐の物語。歌舞伎の楽しさを、二つの異なる味わいで堪能しました。
『鯉つかみ』
まずは、片岡愛之助さんの得意芸『鯉つかみ』。2012年に兵庫県の永楽館で初めて演じて以来、関西をはじめ各地で磨いてきた作品を、今回は歌舞伎座で初披露です。
物語は、小桜姫が清水寺で出会った志賀之助に恋をするところから始まります。念願の対面を果たした姫ですが、目の前の志賀之助は、実は姫の家を滅ぼそうとする鯉の精の化身。家に伝わる宝刀の力で正体が明らかになり、そこへ現れた本物の志賀之助が鯉退治に向かいます。愛之助さんが、本物の志賀之助と鯉の精の二役を演じるのも見どころです。
そして迎えるのが、本物の水を使った「本水(ほんみず)」の大立廻り。舞台上の高さ二メートルほど、客席からは見上げる位置に設けられた水槽の中で、愛之助さん演じる志賀之助と巨大な鯉が、くんずほぐれつの格闘を繰り広げます。
鯉の口には水を噴き出す仕掛けがあり、愛之助さんが鯉を投げ飛ばすと、その口から客席に向かって、ドバッと水が飛んできます。豪快な立廻りに、水しぶきの迫力が加わり、場内は大いに盛り上がりました。
実はこの日、たまたま座ったのが舞台前方の中央でした。開演前に配られたのは、ポンチョと身体を覆うビニール、それにタオル。観劇というより、ちょっとした水辺の装備です。
「水しぶき」というと
今年に入って、中村隼人さんの『女殺油地獄』(1月のBプロ)、坂東巳之助さんの『牡丹燈籠』(8月)を観た際にも、水よけのビニールを配られたことがありました。『女殺油地獄』では、与兵衛(隼人)がお吉(米吉)を殺す場面で、床にこぼれた油を表す液体が飛び散ります。『牡丹燈籠』では、幕切れの「幸手堤」で、本物の水を使った土砂降りの雨の中、伴蔵(巳之助)が妻のお峰(右近)を殺す場面です。ただ、私が観たときには水しぶきなどが客席まで届くことはなく、今回もそれほどではないだろうと思っていました。
ところが、係の方からは「ここは確実に水が飛んできますから」とのご案内。「飛んでくるかもしれません」ではなく、「確実に」。そのひと言で、ビニールを握る手にも力が入ります。
「あっ。来た!」
そして、その予告は見事に的中しました。
舞台を見上げて「あ、来る!」と思った瞬間、ビニールシートを持ち上げて頭を覆うと、その上からザザッと水が降りかかります。一度浴びて「なるほど、これですね」と納得していると、また次の水しぶき。これで終わりかと思えば、もう一度。舞台では志賀之助が鯉と格闘し、前方の客席ではみなビニールと格闘しています。
そして、水を浴びることへのちょっとした心配と、次を待つ楽しさが入り混じった歓声が上がります。身構えていたはずなのに、いざ水が来ると驚き、その驚きがすぐに笑いに変わります。
何より楽しかったのは、愛之助さんと客席との絶妙な間合いです。何度か水しぶきを浴びるうちに、格闘のさなかの愛之助さんが、ふと「また行きますよ」と目配せしているように感じられる瞬間がありました。その茶目っ気のある表情に、こちらも「来るぞ、来るぞ」とビニールを構えます。そして、待っていましたとばかりに、また水しぶき!
激しい立廻りを演じながら、客席の反応まで楽しんでいるような余裕と愛嬌。この演目を何度も演じてきた愛之助さんならではの、観客を楽しませる巧みさを感じました。水が飛んでくる瞬間だけでなく、その前のわくわくする時間まで、すっかり愛之助さんの間合いに引き込まれていたのです。
舞台と客席が呼吸を合わせ、一緒に鯉退治の大騒動に加わったようなひと幕。配られたタオルにも、しっかり出番があり、そして歌舞伎座スタッフにより、迅速に回収されました。
愛之助さん自身、「早変わりして、走り回って泳いでまた走る。トライアスロンのようです。」とのコメント。大変お疲れ様でした。
『義経千本桜』「川連法眼館」
続く「川連法眼館」は、『義経千本桜』の四段目の最後を飾る、通称「四の切(しのきり)」として親しまれる一幕です。
吉野の館に身を寄せる源義経のもとへ、家臣の佐藤忠信が訪ねてきます。ところが、義経が静御前のことを尋ねても、忠信には心当たりがありません。そこへ、静が「忠信」とともに到着したという知らせが入り、話は不思議な方向へ進みます。
静に付き添っていた忠信の正体は、源九郎狐。静が持つ「初音の鼓」には、この狐の両親の皮が張られていました。狐が追い求めていたのは、親のぬくもりを宿す鼓だったのです。
今回は、八代目尾上菊五郎さんが忠信と源九郎狐を、七代目尾上菊五郎さんが義経を、中村雀右衛門さんが静御前を演じます。狐独特のせりふ回しや、本物の忠信との演じ分けも見どころです。
「四の切」には、音羽屋型と、猿之助型(澤瀉屋型)があります。一般には、猿之助型は宙乗りなどの華やかな演出で狐の不思議さや躍動感を鮮やかに見せ、音羽屋型は親を慕う子狐の心情を丁寧に描くといわれます。
昨年10月のAプロでは、三代目猿之助(後の二代目猿翁)の孫に当たる市川團子さんが、歌舞伎座で初めて忠信・源九郎狐を演じ、清新な印象を残しました。
音羽屋型にも早替りや激しい動きはあります。また、猿之助型も親子の情愛を大切にしており、音羽屋型の要素を取り入れて発展しました。「音羽屋型は情、猿之助型は曲芸」と割り切ってしまうと、どちらの魅力も取りこぼすように感じます。
今回、宙乗りこそありませんでしたが、屋敷の欄干を平均台のように使って移動する八代目の身のこなしには、その運動神経のよさにも感心しました。また、七代目の堂々たる台詞回しには聞き応えがあり、舞台を支える風格を感じました。
人に化ける狐という不思議な設定の奥にあるのは、親に会いたい、そばにいたいという素朴な願い。あらすじを知ると、狐の姿もぐっと身近に感じられます。同じ演目でも、受け継ぐ型や演じる役者によって見せ方が変わるところに、歌舞伎の奥深さを感じます。
まとめ
鯉の豪快な暴れぶりと、愛之助さんのひょうきんな愛嬌。そこから一転して、狐の切ない親への思い。動物が登場する二つの演目は、それぞれに違った歌舞伎の魅力を伝えてくれました。東銀座で味わう芸術の秋。今回は、水しぶきのおまけと愛之助さんの茶目っ気まで付いた、印象に残る観劇となりました。
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