江戸時代から伝わる「ねぎま鍋」をよし梅 本店で。
よし梅は「ねぎま鍋」で知られるお店です。同じよし梅でも「よし梅 芳町亭」はディナーだけ。私には敷居が高いので、お昼をやっている「よし梅 本店」でねぎましてきました。場所は人形町通り沿いにある大観音寺横の小さな通り、芸者新道を入ってすぐ右です。
ねぎま鍋はネギとまぐろを一緒に食する鍋のことです。
江戸時代末期の江戸は人口百万を超える一大消費地。将軍おひざ元の日本橋横には魚河岸がずらっと並び、江戸前はもとより静岡からも魚が運ばれてきました。鮮魚の命は鮮度。当時は氷がないので押送船、今でいう特急便の船で運ばれました。将軍に献上する魚を運ぶ佃島の漁民だけは大名行列を横切っても許されたそうです。
黒潮の流れが変わり、まぐろが獲れるようになりました。が、
江戸時代末期、黒潮の流れが変わって、近くで鮪が取れるようになりました。でも、将軍に献上する魚を入れる箱が「御膳白魚箱」と呼ばれるほど、当時は白身魚一辺倒。まぐろのような赤身の魚はすぐに黒く変色してしまうので人気がなく、一杯いくらで売られていました。特に日持ちしない脂の乗ったトロが不人気で、捨ててしまう事もあったそうです(オーマイガー)。サクにならない脳天のカマも売れず、困った、困った。でも、脂がのっていておいしい、何とかしなければ・・・
ネギと一緒にまぐろのトロを煮て食べるとおいしいことが分かり、「まぐろがネギをしょってきた」とばかし、ねぎま汁が広がりました。よし梅の「ねぎま鍋」はそのねぎま汁から派生したもの。明治以降になって牛鍋がはやり始めると味付けが濃くなっていったそうですが、よし梅の味付けは今もうす味のまま。具のトロも味付けされていません。
仲居さんは仲居さんじゃあなかった。
仲居さんが料理とその由来・背景を詳しく説明してくださいました。
私が「去年の中央区観光検定試験によし梅の天井の素材は何か当てよという問題が出ましたよ」、「私、正解しました。屋久杉です(エヘン)」と言うと「あら、残念。その天井は別棟の芳町亭のものですよ。今ならカフェタイムをやっているのでご覧いただけます」。・・・確かに出題は「よし梅芳町亭」となっていました。
食事の後に「芳町亭」に立ち寄ると、その仲居さんがいてびっくり。実は仲居さんでなく若女将だったのでさらにびっくり。最初の「国の有形文化財の数寄屋造りの高級料亭でカフェタイム」という題のブログにつながる訳です。
ディナーの鍋コースは12000円から。ランチの「ねぎま鍋」は7000円でした。私、モーニング「ねぎま」食べたいんですけど・・・
ランチは焼き魚定食 1500円、季節限定御膳 1800円、昼の懐石 小菊 3700円など(よし梅 芳町亭が入る建物に元神楽坂の芸者、女優の花柳小菊が住んでいました)日本橋人形町1-5-2 日比谷線・都営浅草線 人形町下車徒歩約2分、半蔵門線水天宮前駅徒歩6分。03-3668-4069