隅田の花火

中央区・消えゆく19xx

1月15日の中央区観光検定の日。試験が終わって、会場の銀座六丁目から昭和通り沿いに、汐留の方へとブラりブラり歩いてみることにしました。こちらに向かうのは久しぶりです。歩いた先の蓬莱橋の交差点には、変わった歩道橋があって、上ったはずなのに何故か窮屈な感じで高速の高架をくぐるんです。なんだコレ。するとあの建築が見えてきました。

黒川紀章氏設計の中銀カプセルタワービル。戦後昭和に建てられたこの「名建築」は、今年の夏にいよいよ解体、と噂されています。でも、保存を願う方々がたくさんおられるようで、以前から話題になっています。どうなってしまうのでしょう。

ずっと残ってほしいなぁ、と感じるのは仕方のないことですが、現実はそうもいかない。難しいですね。素晴らしいアイデアが出てくると良いのですが。良い形で決着してほしいものです。
この建物について、特派員ブログでもよく取り上げられていますので、リンクをあげておきます。

中銀カプセルタワービル ⇒★こちら

ここから、高い場所に上ってみました。

 中央区・消えゆく19xx

電通のビルと呼べば良いのか、カレッタ汐留のビルと呼べば良いのか。46階からの眺めです。つい最近、特派員GPPさんが投稿されましたね。旧築地市場の広い場所はあまり変わっていないようにも見えますが、確かにところどころ、以前と変わっています。

こちら汐留の方から、環状2号線が隅田川に架かる築地大橋に繋がります。環状2号線のこの辺りは地下トンネルになっていますので、今空き地となっている旧築地市場では、そのトンネルの出入口を作っている最中です。

 

道が完成したあとのお話なのですが、青空の日に、湾岸方面に車を走らせてみてください。

実は以前から、私はこの道の完成後を妄想しておりまして、たぶんですが、この道が出来たら素晴らしい光景が運転者を迎えてくれるのではないかと思っているのです。

暗いトンネルをずぅっと走って来て、坂を上ってようやくトンネルの外に出ると、待ち受けるのは空に向かって蝶のように羽をひろげる築地大橋。その上には眩しい青い空。そしてその先には未来の高層都市。左右には勝鬨橋やレインボーブリッジ。

どんな景色かなぁ。どうですかね。どうだろう。ずぅっと楽しみにしているのです。

 

 中央区・消えゆく19xx

環状2号線の進む先は、オリンピックの選手村があった晴海地区。ここ46階からも真正面に見えています。右側には晴海客船ターミナルもありますね。

先日の特派員Hanesさんの記事によると、このターミナルの建物も無くなってしまうらしい。マジかぁ。中央区の古くなったランドマークは、どんどんと無くなってしまうのであります。

 

あぁ。

何だかこの、少しさみしいような感情は、20世紀なオジサンだけが感じる感情なのでしょうか。

 

腹もへってきたし、46階から降りて、今日は新大橋通り沿いに築地の街に行ってみることにしました。

 中央区・消えゆく19xx

すると、車の右折待ち行列の向こう側に、何やら建築中の新しい建物が。 

調べてみると、地下を通るトンネルの換気塔ということでした。トンネルの出入口から多量の排気ガスが出ていかないように、この換気塔で空気を浄化させてから外に排出させるのだそうです。トンネルひとつを作るのにもいろいろと大変なのですね。

 

そのまま通り沿いに、殺風景になってしまった旧築地市場の脇を歩いて行くと、何やら若いお姉さんがスマホで何かを撮っている。

何だろうと見てみると、こ、これは・・

 中央区・消えゆく19xx

旧築地市場の銘板と呼べば良いのでしょうか、東京都中央卸売市場と掘られてます。周りのコンクリートブロックも何だか昭和の遺物といった感じで、とても良い。思わず、彫られている文字を指で撫でてしまいました。これはこのまま遺して欲しいのですが、どうなるのでしょう。市場の入口だったところです。

あの若いお姉さんはコレを撮っていたのかぁ。

この感情は、20世紀なオジサンだけの感情ではないことがわかり、少し嬉しかったのであります。

 中央区・消えゆく19xx

場外市場で100円の玉子焼きを頬張ったあと、築地魚河岸の建物から市場跡地を眺めてみました。かつて海幸橋があった名残の緑色の親柱はきちんと残してくれています。よし。海幸橋門にあった守衛の建物は、無くなってしまいましたね。

この広大な夢の大地は、結局何になるのかまだ決まっていないようですが、何にすれば良いのか、そのうち時間が経てば見えてくるのかもしれません。

 中央区・消えゆく19xx

築地場外市場をぐるりと周ってみました。数ヵ所で工事をしている光景を目撃したのですが、それは以前からの光景であった気もするし、少し多くなってきている気もする。市場跡地も気になりますが、今後の場外市場もどうなっていくのか、気になるところであります。

ここから晴海通りを渡って、小田原町交番のある方へと歩きます。むかしに小田原町と呼ばれていた辺り、築地6・7丁目ですかね。裏築地です。

 中央区・消えゆく19xx

このあたりに、この前まで小さな郵便局があった気がするのですが、いつの間にか無くなってしまったみたいです。グーグルマップで探しても見つかりません。看板建築風な古そうな建物で、一度行ってみたいと思っていたのですが。行ってみたいと思った時に行かないとダメですね。

この辺りは戦災の影響をあまり受けなかったということらしく、まだ古い建物が残っているということです。本当かなぁ、まだあるのかなぁと、ジグザグに色々な道を歩いてみたのですが、思っていたよりも残っている。

 中央区・消えゆく19xx

でもこの辺りの土地の区画はそれぞれ小さいので、この街は、まるでひとつひとつの細胞が生まれ変わっていくように、誰にも気づかれないように、そおっと変わっていく街なのかもしれません。

 

中央区の歴史は再生の歴史。

観光検定の勉強をするとわかるのですが、いままで中央区にはいろいろな大きな災いがあって、その度に新しく生まれ変わってきました。

明暦の大火
関東大震災
太平洋戦争

 

 中央区・消えゆく19xx

この他にもターニングポイントが幾つもあって、その時にいろいろなものが無くなったり、新しいものが次々と生み出されてきたのです。

飢饉・疫病
銀座大火
東京オリンピック1964
東日本大震災

そして今回のオリンピック2020やコロナ蔓延。今まさに、そのターニングポイントがやってきています。

これからどのように変わり、何が生みだされていくのか。そして何が残されていくのか。これからの中央区。目が離せなくなってきました。