Hanes

【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
里帰りした「銀座の柳二世」を一目見るべく「【遠足シリーズ第43弾】銀座の柳の故郷・安曇野を訪ねて」でご紹介した通り長野県安曇野市を訪問後、長野県中野市にある中山晋平記念館に向かいました。

 【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


特に中央区との関係は意識せず何気なく訪れてみたのですが、駐車場より、上というより横に枝を伸ばす柳が目に入り近づいてみることに...

 【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


すると、そこには思いがけない中央区との縁がありました。
柳の根元に立てられている案内板には、「この柳は中山晋平作曲東京行進曲”昔恋しい銀座の柳”と唄われたしだれ柳です このたび銀座の柳の故郷南安曇郡穂高町から東京銀座に苗木を贈られたのに併せて寄贈された記念樹です」と書かれているではありませんか!

 【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


ちなみに、中山晋平の生没年は1887年~1952年。
関東大震災復興記念として中央区に安曇野産の柳が贈られたのが1932年(昭和7年)と1987年(昭和62年)であることから、そのいずれかのタイミングでこの記念館の敷地内にも柳が植えられたと考えられます。

しかし、中山晋平記念館が生誕100周年にあたる1987年に開館したことを考えると、1932年ではなく1987年に贈られた柳であると考える方が妥当ではないでしょうか。

 【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


記念館の入口には中山晋平の銅像が山の方向を向いて立っており、山側には前出の木の他にもう一本、葉がこんもりと茂る柳が植えられていることが確認できました。
こちらに案内板はありませんでしたが、もしかすると同じタイミングで植えられた安曇野産の柳なのかもしれません。

 【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


中央区内に設けられている「銀座柳の碑」には、1932年(昭和7年)に発表された「銀座の柳」の1番の楽譜と歌詞が刻まれています。
作詞は西條八十(さいじょうやそ)、作曲は中山晋平で、達磨さんが2019年4月の記事「春風に舞う『銀座の柳』 銀座柳まつり」で紹介されている通り、この歌こそ1929年(昭和4年)に発表された大ヒット曲「東京行進曲」の続編にあたります。

 【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


「東京行進曲」では、丸の内、浅草、新宿など銀座以外も歌われている一方、「銀座の柳」は銀座に特化した歌詞が特徴。
関東大震災で焼失した街路樹の柳は、「東京行進曲」で歌われることで再度注目を集め、街路樹としての柳の復活気運が高まります。
そして「銀座の柳」の歌が発表された1932年には、「銀座柳復活祭」が行われています。
この際に安曇野産の柳の苗木も植樹されたのかもしれません。

 【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


銀座1丁目の「銀座の柳由来」の碑にもあるように、「銀座の柳」は数多くの詩歌にうたわれてきました。
今回ご紹介した「東京行進曲」と「銀座の柳」が良い例です。

中山晋平記念館の入口では、カリヨンが異なる曲を奏でて時を知らせます。
午後1時には「東京行進曲」が、午後3時には盆踊りでお馴染みの「東京音頭」(作詞:西条八十、作曲:中山晋平)が選曲されています。

 【遠足シリーズ第44弾】昔恋しい銀座の柳 in 長野県中野市


今回は銀座の柳や歌を通し、長野県中野市にて偶然中央区との関係を見つけることができました。
引き続き日本各地で中央区にゆかりのあるヒト・モノ・コトを探したいと思います。

長野県飯山市に植えられている「銀座の柳」については、にゃんボクさんの記事「銀座に世の柳との出会い」をご覧ください。

関連記事