『銀座』はどこまで?
銀座を一周してみましょう! ⑤
~ 銀座の柳四世・静岡新聞/静岡放送東京支社ビル
・銀座コリドー通り(前編)・新幸橋 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
「『銀座』はどこまで? 銀座を一周してみましょう!」シリーズ、今回は第5回です。
「銀座の柳四世」、「静岡新聞/静岡放送東京支社ビル」、 「銀座コリドー通り(前編)」と「新幸橋」をご紹介します。
それでは・・・
銀座の柳四世
このシリーズ④でアナウンス済ですが、「銀座柳の碑」から静岡新聞・静岡放送東京支社ビルに向かう「御門通り」の左側歩道脇に、『銀座の柳四世』はあります。
銀座の柳
昭和初期、震災復興事業の一環として、銀座に柳が植えられました。
信州安曇野から運ばれた若木は、すくすくと生長し、銀座の街並みに美しく映え、歌にも歌われる程愛着をもたれるようになりました。
しかし、震災や近年の道路整備などで、その姿も消え、今では往時を偲ぶよすがもありません。
中央区では、柳を「区の木」に制定し、区内各所に植えていますが、この度、長野県穂高町の御好意により、当時と同じ安曇野地方産出の柳を寄付していただきました。
そこで緑美しい銀座の再現を願ってこの地に植栽するものであります。
昭和62年10月5日
中央区役所
銀座の柳につきましては、このシリーズの前回第4回にて詳しくご紹介しております。
第4回 ~銀座柳の碑・金春屋敷跡~ はこちらです。
⇒ https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=3670
なお、銀座の柳二世はこのシリーズで泰明小学校をご紹介する際にも登場する予定です。
静岡新聞/静岡放送東京支社ビル
銀座8-3-7、外堀通りに面したこのビルは1967年完成、丹下健三氏の設計で知られています。
丹下健三氏はほかにも東京都庁舎や代々木第一体育館、東京カテドラル聖マリア大聖堂、FCGビル(いわゆるフジテレビ本社屋)、広島平和記念資料館などの設計にも携わっています。
この特徴的な外観は、メタポリズム(新陳代謝)の代表作ともいわれています。
静岡新聞/静岡放送東京支社ビル及びメタポリズムにつきましては、
◎ ジミニー☆クリケットさんの「静岡新聞・静岡放送東京支社ビル」
◎ はじめさんの「ちょっと気になるビル@銀座の縁(8丁目)」
に、詳しく書かれています。
銀座コリドー通り
静岡新聞/静岡放送東京支社ビルの裏を左側から回る通りです。
「コリドー」とは、フランス語の『回廊』の意味。
「コリドー通り」は、昭和31年(1956年)に外濠を埋め立てて完成した高速道路下にある「銀座コリドー街」からとったもの。
「銀座コリドー街」は、銀座の西側の回廊のようだから、と命名されたそうです。
高架下の飲食店街ですが、異国情緒あるレストランや趣きある居酒屋、粋な有名店などがずらりと並んでいます。
※ ようちゃんさんの「銀座の道路愛称名」を参考にさせていただきました。
銀座コリドー街の上を走っていますのは「東京高速道路(KK線)」。
「Tokyo Sky Corridor(東京スカイコリドー)」として再生する計画が進められています。
詳しくは、
をご覧ください。
何人もの特派員さんが、今までこちら銀座コリドー通りにある粋なお店をご紹介されています。
新幸橋(しんさいわいばし)
銀座コリドー通りのほぼ中央にあります。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で、銀座側から日比谷公園方面へ逃げようとされた人が多かったようです。
しかし逃げることができず、逃げ場を失った多くの人が犠牲になったのです。
このことの反省から、昭和4年(1929年)9月、地元の篤志家 藤平久太郎(ふじひら きゅうたろう)氏らの私費と企業からの寄付により外濠に架けられました橋、それが「新幸橋」とのこと。
橋は開通式を行った後、当時の東京市に寄付されました。
この辺りの内容が、この「新幸橋」と書かれた碑に刻まれています。
外濠が埋め立てられたことにより、昭和31年(1956年)、「新幸橋」もなくなったようです。
すぐ近くにありました橋が「数寄屋橋(すきやばし)」。
(隣りではなく、そのまた隣りの橋です。間には「山下橋」という橋がありました。ちなみに新幸橋の先は「土橋(どばし)」。3枚前の静岡新聞/静岡放送東京支社ビルの画像をご覧ください。交差点の信号に「土橋」と書かれています。)
数寄屋橋は、NHKラジオドラマ・小説・映画・NHK連続テレビ小説などで有名な「君の名は」の舞台です。
東京大空襲、昭和20年(1945年)3月10日の夜、数寄屋橋の橋の上でめぐり逢った真知子さんと春樹さん。
その後の数寄屋橋での半年ごとの再会チャンスも逃し続ける、とてももどかしいドラマ。
「君の名は」は、新幸橋の架橋よりかなり後の、そしてフィクションですが、「数奇」な運命に翻弄されるお話。
祈りを籠めて「幸い」と命名された橋と、関連付けられたのでしょうか。
※ 「数寄屋橋公園」及び「君の名は」につきましては、このシリーズの次々回第7回で少し触れる予定です。
画像中央、交差点角に「新幸橋」の碑は建てられています。
銀座の柳四世・静岡新聞/静岡放送東京支社ビル・銀座コリドー通り・新幸橋
中央右の黒色のひし形が「銀座の柳四世」です。
銀座8-8先
中央右端のブルーグレーの四角が「静岡新聞/静岡放送東京支社ビル」です。
銀座8-3-7
右下の茶色の星形が「新幸橋」です。
銀座7-2先
「銀座コリドー通り」は、右中央~右下に通っています道路です。
上の銀座全図の赤ラインを進みました。
黒色のひし形=「銀座の柳四世」、ブルーグレーの四角=「静岡新聞/静岡放送東京支社ビル」、茶色の星形=「新幸橋」はひとつ前の図と同じです。
「銀座コリドー通り」は、進んだ分が左の直線です。
直線の先、上の部分が、次回の「銀座コリドー通り(後編)」となります。