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究極の新人発掘モンスター、蔦屋重三郎のお店・耕書堂は中央区にありました
  併せて吉原についても述べます
  ~ 蔦屋重三郎「耕書堂」跡 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

NHK大河ドラマ、2025年の放送テーマが4月27日に発表になりました。

タイトルは「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」

蔦重=蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)ですね。

横浜流星さんが主演を務め、蔦屋重三郎を演じます。

他のキャストはまだ発表されておりませんが、脚本が森下佳子さんですから、綾瀬はるかさんがヒロイン的役どころに配置されるのではないでしょうか、と勝手に期待しています。

(※ 森下さんは「世界の中心で、愛を叫ぶ」「白夜行(びゃくやこう)」「JINー仁ー」「義母と娘のブルース」「天国と地獄~サイコな二人~」などの脚本を手掛けました。他にも作品はありますが、以上の作品では全て綾瀬はるかさんがヒロイン的役どころにキャスティングされていました。)

 

蔦屋重三郎とは・・・

浮世絵師の喜多川歌麿や葛飾北斎を見出した、江戸一流の版元、本を出版する人でした。

江戸文化の立役者、江戸のメディアの先駆者、名プロデューサーと言っていいと思います。

 

耕書堂(こうしょどう)

その蔦屋重三郎さんが最初に本屋さんを開業しましたのが、新吉原大門(しんよしわらおおもん)の近く、と言われています。

ただ、天明3年(1783年)、日本橋大伝馬町にお店を移しまして、「耕書堂(こうしょどう)」、書をたがやすとはなかなか粋なネームですね、耕書堂という地本問屋(じほんどんや)に発展させました。

洒落本(しゃれぼん:いわゆる小説)や浮世絵などを扱う地本問屋ですね。

 

蔦屋重三郎「耕書堂」跡

蔦屋重三郎「耕書堂」跡 究極の新人発掘モンスター、蔦屋重三郎のお店・耕書堂は中央区にありました
  併せて吉原についても述べます
  ~ 蔦屋重三郎「耕書堂」跡 ~

所在地 中央区日本橋大伝馬町13番地域

この地域には、江戸時代中期の出版業者である蔦屋重三郎(1750年~1797年)の書肆(しょし:出版業者兼本屋のこと)「耕書堂」がありました。

寛延3年(1750年)に新吉原(現在の台東区千束)に生まれた重三郎は、後に喜多川氏蔦屋の養子になり、新吉原大門口五十軒道に書肆を開業しました。

安永3年(1774年)には、吉原の案内書である「吉原細見(よしわらさいけん)」の版元になり、さらに黄表紙(きびょうし:いわゆる大人向けの絵本・漫画)などの刊行を行いました。

天明3年(1783年)9月には、通油町(とおりあぶらちょう:現在地付近)に進出し、黄表紙・洒落本・狂歌本・錦絵などを刊行して、有力な地本(江戸で出版された双紙類)問屋になりました。

葛飾北斎の「画本東都遊(えほんあずまあそび)」には、「絵草紙店」としてその店先の後継が描かれています。

重三郎は江戸の人々の嗜好を汲むことに長けており、戯作者(げさくしゃ)としては朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)・大田南畝(おおたなんぼ)・恋川春町(こいかわはるまち)・山東京伝(さんとうきょうでん)など、絵師としては勝川春草(かつかわしゅんそう)・鍬形蕙斎(くわがたけいさい)・葛飾北斎などの作品を次々に刊行しました。

さらに、喜多川歌麿を見出してその庇護者となって大成させるなど、江戸一流の版元として数多くの実績を残しました。

寛政3年(1791年)には、寛政の改革の出版統制による弾圧を受け、身上半減の闕所処分(けっしょしょぶん:財産の半分を没収されること)とされてしまいます。

しかし、それ以降も書肆としての活動を続け、寛政6年から翌年にかけて東洲斎写楽の役者絵などを刊行しました。

旧日光街道、現在の「大伝馬本町通り」に、以上のような説明板があります。

 

蔦屋重三郎「耕書堂」跡

 ー 戯作者や絵師の作品を出版した江戸一流の版元 ー

蔦屋重三郎(1750年~1797年)は江戸時代の出版人(版元)で、江戸文化を形成した立役者のひとり。

吉原大門の近くで書店を開業、天明3年(1783年)にこの地に移転して洒落本や浮世絵などを扱う地本問屋「耕書堂」を開いた。

ここでは大田南畝や山東京伝などの戯作者、葛飾北斎や喜多川歌麿、東洲斎写楽などの絵師の作品を出版するなど江戸一流の版元として多くの実績を残した。

 ~歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~

 

吉原遊郭(元吉原)

 ー 遊郭の変遷をたどる ー

(前略)

慶長10年(1605年)庄司甚右衛門が中心となり、公認の遊郭設置を求める願書を幕府に提出した。

この陳情は元和(げんな)元年(1617年)に取り上げられた。

設置場所は傾城町(けいせいまち)と定められ、翌年からは家々が立ち並んで営業を開始した。

傾城町は、現在の日本橋人形町2・3丁目・日本橋富沢町の一部を加えた地域と推察される。

また名称については、当時、この一帯は葭(よし)や葦(あし)が生い茂る湿地帯だったため、遊郭の名称も「葭原」としたが、のちに葭の同音嘉字をとって「吉原(よしわら)」に改称したというのが通説になっている。

吉原が開設されるとまたたく間に人気が沸騰した。

夜間営業の禁止に伴い、一時期衰退するが、私設の娼館(しょうかん)・湯女(ゆな)風呂が禁止されると再び人気を盛り返した。

多くの客を集めて吉原は繁栄したが、明暦2年(1656年)、町奉行は吉原の年寄衆を呼び出し、本所(ほんじょ)もしくは浅草日本堤(あさくさにほんづつみ)への移転を命じた。

この突然の命令の背景には、防火や風紀上の問題があったといわれる。

翌年には明暦の大火(振袖火事)が発生し、吉原もほとんどが焼失したため、同年中に浅草への移転が行われた。

新遊郭は「新吉原」、旧地は「元吉原」と呼んで区別した。

新吉原では、移転条件として盛り込んだ夜通し営業が許可されたため、大いに繫盛した。

(後略)

 ~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~

 

蔦屋重三郎さんが生まれたのが1750年ですから、中央区の元吉原から台東区の新吉原への移転は、生まれる100年近く前、ということになりますね。

ちなみに重三郎さんのお父さん、新吉原で働いていたそうです。

それから吉原移転命令、要は江戸城に近すぎる、風紀も良くないし火事の延焼も怖い、掘り割りももっと欲しいし江戸城の周りは大名屋敷がふさわしい、ということのようです。

振袖火事が起こって「ほら見なさい、言ったこっちゃない、江戸城の天守閣も焼けてしまったし、だからもっと早く移ってそこから整備しておけばよかったのに。」と、ロズマリなら触れ回っていましたね。

 

大門(おおもん)、及び大門通りにつきまして・・・

大門(おおもん)、及び大門通りにつきまして・・・ 究極の新人発掘モンスター、蔦屋重三郎のお店・耕書堂は中央区にありました
  併せて吉原についても述べます
  ~ 蔦屋重三郎「耕書堂」跡 ~

少しお話はそれますが、「大門」という言葉が各所に出てまいりましたので、ここで解説します。

大門、とは、元吉原も新吉原もそうですが、遊郭の大きな入り口の門、ということです。

遊郭には大門の一か所でしか出入りできないようになっておりました。

防犯上もそうですが、遊女に逃げられないためには大門に門番を配置し、警備警戒を集中しておくのが当然都合が良かったようです。

そして大門があれば、そこまでの道が大門通り、ということになります。

この「耕書堂」跡のすぐ南西側にも「大門通り」という通りがあります。

日本橋小伝馬町から日本橋人形町2丁目までの、約1.2kmの通りです。

ただ、そう呼ばれていますのは昭和63年から、とのことです。

※ 冒頭画像は末廣神社付近の大門通り、上の画像は甘酒横丁と交わるところの大門通りです。)

 

 究極の新人発掘モンスター、蔦屋重三郎のお店・耕書堂は中央区にありました
  併せて吉原についても述べます
  ~ 蔦屋重三郎「耕書堂」跡 ~

ちなみに大門通り界隈には、神社も多数存在します。

以下の神社ですが、全て以前に記事をアップしております。

・ 竹森神社   小伝馬町19-4

・ 千代田神社  小伝馬町19-1

・ 池洲神社   堀留町2-4-10

・ 三光稲荷神社 堀留町2-1-13

・ 富澤稲荷神社 日本橋富沢町7-18

・ 橘稲荷神社  人形町3-8-6

・ 末廣神社   人形町2-25-20

・ 松島神社   人形町2-15-2

※ 池洲神社は「続々 堀留町の神社」、三光稲荷神社は「三光稲荷神社の歴史」、他は「人形町駅から行ける 静かな佇まいの神社」シリーズとなります。

※ 上の画像は、末廣神社です。

 

ウオーキングツアーのご案内

中央区観光協会主催の、見どころ満載のウオーキングツアーがございます。

お客様専属の観光おもてなしスタッフによりますプライベートツアーです。

開催日・ツアーコースによっては、ロズマリもガイドとして控えています。

なお、今回ご紹介させていただきました『蔦屋重三郎「耕書堂」跡』「末廣神社」はともに、全5コース中の「話題を先取り!蔦屋重三郎の街を歩く 旧日光街道沿いの大伝馬町と情緒たっぷりの人形町まち歩きツアー」の行程となっております。

※ 予告なく見学できない場合もございます。

詳細はこちらをご覧ください。

⇒ https://ippindo.chuocity.tokyo/collections/all_tours

 

・・・耕書堂のありました日本橋大伝馬町のこの地が、ドラマでどのように描かれますでしょうか、楽しみですし、2025年がとても待ち遠しいです。

 

蔦屋重三郎「耕書堂」跡

日本橋大伝馬町13-8先

東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅が至近です。