令和六年山王祭 神幸祭 天下祭りの一大イベント
山王祭の神幸祭は6年ぶりにとても盛大に執り行われました。
私は鍛冶橋交差点から神幸祭のパレードについて京橋、八丁堀、兜町、日本橋。銀座、日比谷の帝国ホテル前まで楽しくご一緒させていただきました。
先ずは、鍛冶橋交差点を渡る馬上の祭典副委員長の第一梯団。 後方のビルは、高いビルは「東京ミッドタウン八重洲」です。 山王祭、神幸祭について書くと長い説明になるので、「日枝神社」のURLをクリックしてご一読下さい。
東京スクエアガーデンの交差点で
巫女さんの一団が、後方の笙とか笛の演奏に送られて静々と進みます。
まるで京都の葵祭を見ているようです。
後方の建物は、東京スクエアガーデンで、地元のラジオ局中央エフエムのうぐいす嬢が取材に訪れていました。
諫鼓鶏 「諫鼓」とは昔の中国で君主に対して諫言しようと民衆に打たせるために設けられた太鼓
日枝神社摂社(御旅所)での梯団とは別に、Kaboto Oneの敷地内で休憩中の「諫鼓鶏(かんこどり)」。
よく、「閑古鳥が鳴く」と言われますが、こちらの『諫鼓鶏』は、東京都神社庁の説明によれば、
江戸時代、徳川幕府の二代将軍「徳川秀忠」が、元和元年(西暦1615年)、大坂夏の陣に勝利して江戸へ凱旋した時に、6月の山王祭を前に、「太平の世を祝って、諫鼓鶏の山車を末代に至るまで一番で渡せ」と上意を下し、それまでの「御幣猿」に代わって「諫鼓鶏」を先駆けとしたと言われています(『事績合考』)
諫鼓鶏が太鼓に留っているのは、君主に諫言する必要がない善政を表しているとのことです。
日本橋一丁目の御仮屋 神輿には「日本一」の扁額
コレド日本橋のある日本橋交差点には日本橋一丁目の御仮屋が設置されていました。
神輿の鳳凰の下には、「日本一」という扁額が飾られています。
重要文化財の高島屋の前を往く梯団
テラス席の下には3つのアーチ状の窓。
オーケストラ・ボックスの様でもあり、オペラを見る舞台席の様です。
建物は、高橋貞太郎が設計を担当し、昭和8年(1933年)に竣工しました。その後、村野藤吾により高橋の意匠を継承しながら近代建築の手法を取り入れ増築が行われました。 平成21年(2009年)「全体が一体不可分の建築作品として完成度が高く、わが国の百貨店建築を代表するものの一つとして重要」という評価を受け、高島屋日本橋店(指定名称は高島屋東京店)は百貨店建築として初めて国の重要文化財に指定されました。
象は高子を思い出し
今回久しぶりに象さんの山車が参加しました。
令和六年山王祭の5ページに日枝神社宮司の宮西修治様のご挨拶の中に、次の説明があります。
享保14年、江戸に初めて象が来て話題になり、流行りもの好きの江戸っ子が象の出し物を出しました。
三田村鳶魚著「江戸の珍物」に、「山王祭に名高いものは麹町の象」とあって、江戸市民から大人気を博したと言われております。
なるほど、この時の象が浜離宮で飼育され、中野の方に引きとられていったという象なのですね。
象と言えば、高島屋の「高子ちゃん」。昭和25年から4年間、屋上で飼育されたというお話。そのお話は、『重要文化財日本橋高島屋 店内に見られる数々の趣向 屋上塔屋』をご一読下さい。
銀座4丁目交差点では大観衆が歓喜の輪
行列が到着するのを今か今かと待っていた観光客。
銀座のシンボル、SEIKOHOUSE GINZAの建物は、写真映えする、フォトジェニックな場所ですね。
銀座8丁目はSWAROVSKI とAPPLE の店頭を花山車が通過
スワロフスキーの水色、アップルの透明感のあるクリスタルに大きなブーケが映えます。
鍛冶橋方面から、それぞれの学区の小学生が曳いてお祭りを盛り上げ、みんなで楽しんでいました。
(城東小学校、坂本小学校、泰明小学校)
山王祭 神幸祭は日枝神社に御還御 だだっ広いのが山王様
日枝神社を午前7:45頃に御発輦された神幸祭の第一梯団から第四梯団のパレードは
帝国ホテル角を17時に御還輦の途につきました。
江戸の三大祭りを表現した言葉があります。
「神輿深川 山車神田 だだっ広いが山王様』
広い地域に氏子を抱えて、それぞれの地域を巡行する神幸祭。 楽しい一日を有難うございました。
これからも私たちに歴史を考える機会を与えて頂けるよう、お願いします。