映画「祈りの幕が下りる時」
キーとなる12の橋、ご紹介します ⑨
ー 9月 鎧橋 ー
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
『映画「祈りの幕が下りる時」 キーとなる12の橋、ご紹介します』シリーズ、今回は第9回、鎧橋(よろいはし)をご紹介します。
このシリーズは映画「祈りの幕が下りる時」に登場しました橋、キーとなる12の橋を、月ごとにご紹介してまいります。
それでは・・・
鎧(よろい)の渡し跡 説明板
日本橋小網町8・9番 日本橋茅場町1丁目1番・日本橋兜町1番
鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。
古くは延宝7年(1679年)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(1046年~53年)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。
また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
この渡しは、明治5年(1872年)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。
縁日に 買うてぞ帰る おもだかも
逆さにうつる 鎧のわたし
和朝亭国盛
平成20年3月 中央区教育委員会
ー 源義家が鎧を投じた伝説が残る ー
古くは延宝7年(1679年)の絵図にもその名が記されている渡し場で、明治5年(1872年)に鎧橋が架けられるまで存続した。
江戸名所図会(えどめいしょずえ)によると平安時代、源義家が奥州攻めに向かう途中、ここで暴風雨にあったが、鎧一領を海中に投じて龍神に祈ったところ、無事に渡ることができたという伝説が残る。
鎧の渡し跡地には説明板が設置されている。
~ 歩いてわかる中央区ものしり百科 より ~
鎧橋(よろいばし) 説明板
鎧橋が最初に架かったのは明治5年で、当時の豪商が自費で架けたのが始まりです。
橋が架けられたのと前後して米や油の取引所、銀行や株式取引所などが開業し、この地は大いに賑わいました。
その後、明治21年には銅製のプラットトラス橋に架け替えられました。
その頃の様子を文豪 谷崎潤一郎は「幼少時代」でこんな風に書いています。
「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える・・・・・・
私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・・・・
対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。
このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように日本離れした空気をただよわせている。」
現在の橋は昭和32年7月に完成したもので、ゲルバー桁橋とよばれるものです。
橋の外側に間隔を置いて突き出ている鉄骨が、ごつごつした鎧を感じさせます。
鎧橋
画像は深夜の鎧橋です。
ー 橋のたもとにはカフェー「メイゾン鴻乃巣(こうのす)」が開業 ー
明治5年(1872年)に架橋。
明治21年(1888年)には鉄骨製のトラス橋に架け替えられ、大正から昭和にかけて橋の上を市電が走ったこともある。
老朽化が進んだため、昭和32年(1957年)に現在の橋に架け替えられた。
鎧橋のたもとは明治期に東京で最初のカフェーとされる「メイゾン鴻乃巣」が創業した場所でもあり、小網町側に説明板が設置されている。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
鎧橋付近の名所
東京証券取引所
鎧橋のたもとにあります、東京証券取引所本館ビル(東証Arrows)です。
1984年(昭和59年)竣工です。
大きく「JPX」と書いてありますから、とても目立ちます。
JPXとは、「株式会社日本取引所グループ」のことです。
鎧橋
日本橋小網町 ー 日本橋兜町・日本橋茅場町1丁目
地図上の赤丸の橋です。
日本橋川として上流(左側)には江戸橋、下流(右側)には茅場橋(かやばばし)が架かっています。
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