Hanes

【遠足シリーズ第60弾】吉田松陰の足跡を辿って(前編)


こんにちは、Hanes(ハネス)です。
先日、山陰地方を訪れた際に、中央区に関係の深い吉田松陰関連スポットを巡る機会に恵まれました。
そこで本記事では、山口県萩市と東京都中央区の松陰関連スポットに焦点を当てながら、彼の晩年を簡単に振り返ります!

萩市にある松陰神社の境内を散策していて最初に目に入ったのが、こちらの歌碑。
安政の大獄により小伝馬町の獄に投ぜられて死刑を覚悟した松陰は、この一首を含む便りを郷里の両親たちに書き送りました。

 【遠足シリーズ第60弾】吉田松陰の足跡を辿って(前編)


「親思う こころにまさる 親ごころ きょうの音ずれ 何ときくらん」と詠まれた歌で、「まことに親を思う孝子の至情の表れであり、断腸血涙の絶唱である」と解説されています。

 【遠足シリーズ第60弾】吉田松陰の足跡を辿って(前編)


ここに登場する小伝馬町の獄とは、現在の中央区内の十思公園、十思スクエア、大安楽寺、身延別院のあるエリアに位置し、市ヶ谷囚獄の完成によって廃止される明治8年(1875年)まで機能していました。

収容人数が350人~700人と幕府最大規模の牢屋で、牢は性別・身分・罪種などによって区分されていました。

 【遠足シリーズ第60弾】吉田松陰の足跡を辿って(前編)


また、十思公園内には、「吉田松陰終焉之地」の碑や彼の辞世の句「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置まし 大和魂」の刻まれた碑があり、30歳という若さながら、最期まで自らの信念を貫いた松陰に思いを馳せることができます。

萩市内には、「吉田松陰先生誕生之地」「吉田松陰産湯の井戸」「吉田松陰の墓及び墓所」もあり、松陰の人生についての知識を深める機会となりました。

 【遠足シリーズ第60弾】吉田松陰の足跡を辿って(前編)


次回の記事「【遠足シリーズ第61弾】吉田松陰の足跡を辿って(後編)」では、引き続き萩市で訪れた松陰関連スポットを取り上げるとともに、中央区内の関連史跡を改めてご紹介します!