rosemary sea

べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 46
  ~ 十返舎一九(重田貞一) ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第44話、覇気のない蔦重夫婦、しかし蔦重は「平賀源内生存説」により次第に気力を取り戻しました。

奥さんのていさんは、同じく「平賀源内生存説」に興味を示し、そして歌麿さんを耕書堂に取り戻す策を練ります。

ですがていさんに食欲を復活させたのは、蔦重の義理の母:ふじさん(飯島直子さんが演じています)でした。

ていさんの亡き子の仏壇に甘い物のお供えをし、それを下げて食べる、それを見ていたていさんに食欲が湧く、というふじさんの優しさ、すばらしい場面でした。

 

そしてラストの解説で、十返舎一九の当時住んでいたところ、として三光稲荷神社界隈が映りました。

しかし墓所は説明されませんでした。

 

44話に登場しましたのは、

シリーズ29蔦重、シリーズ25てい、シリーズ21喜多川歌麿、シリーズ⑬北尾政演(山東京伝)、シリーズ21大田南畝、シリーズ28朋誠堂喜三二、シリーズ⑯杉田玄白、シリーズ44万次郎、そしてシリーズ42滝沢琑吉、重田貞一(のちの十返舎一九:今回ご紹介)、そしてそしてシリーズ⑩平賀源内(回想)、シリーズ⑥長谷川平蔵、更にシリーズ⑧鶴屋喜右衛門。

 

今回は「十返舎一九(じっぺんしゃいっく)」を書きます。重田貞一(しげたさだかず)からの十返舎一九です。

一九さんの代表作「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、日本橋からスタートする物語でした。

それに十返舎一九のお墓は、勝どき4-12-9の真円山東陽院(しんえんざんとうよういん)にあります。

なお、今回使用します画像はすべて、その東陽院を写したものです。

それでは・・・

 

十返舎一九は・・・

十返舎一九は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 46
  ~ 十返舎一九(重田貞一) ~

十返舎一九は明和2年(1765年)、現在の静岡市で生まれました。駿府町奉行の同心の子として、です。

大坂で浄瑠璃作者として活動、その後江戸へ移り蔦重のもとに居候し、仕事を手伝います。

そのうちに黄表紙作家としてデビュー。

黄表紙は洒落や風刺を利かせた挿絵入りの物語書跡で、当時大流行しました。

享和2年(1802年)、「浮世道中膝栗毛(のちの「東海道中膝栗毛」)」の刊行がはじまり、この作品は空前の大ヒットとなりました。江戸に旅ブームを巻き起こすほどのベストセラーです。

蔦重は寛政9年(1797年)に亡くなっていますから、蔦重の死後、ということになります。

 

文化6年(1809年)には全8編を完結させましたが、その後も続編執筆を12年ほど続けました。

 

参考文献 ノジュール 2025年2月 「大特集 蔦屋重三郎を知る旅」 JTBパブリッシング刊

 

「べらぼう・・・」での十返舎一九は・・・

井上芳雄さんが演じています。

 

重田貞一、のちの十返舎一九

~ 弥次さん喜多さんの珍道中『東海道中膝栗毛』生みの親 ~

駿河国の生まれで、ある日日本橋の蔦重(横浜流星さん)のもとを訪ねてくる。

蔦重が出す黄表紙が好きで、自らも耕書堂で、本を書きたいと申し出るが・・・。

史実では、蔦重亡き後に執筆した『東海道中膝栗毛』が全国的に多くの読者を獲得して滑稽本という新たなジャンルを確立した。

ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページ より ー

 

十返舎一九墓

十返舎一九墓 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 46
  ~ 十返舎一九(重田貞一) ~

十返舎一九墓

江戸時代後期の戯作者として知られる十返舎一九は、本姓を重田といい、明和2年(1765年)駿河国(現在の静岡県)に生まれました。

その後、江戸に出て日本橋の出版業者・蔦屋重三郎のもとで黄表紙を発表し、以後多くの黄表紙・洒落本を書きました。

中でも「東海道中膝栗毛」はよく知られ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道を旅し、伊勢参宮の後、京都へたどりつくという旅行記の形式をとる物語です。

この作品は続編に続編を重ね、一九の代表作となりました。

一九は、天保2年(1831年)に没し、浅草永住町(ながずみちょう:現在の台東区元浅草)の東陽院に葬られました。

東陽院は関東大震災後、当地に移転し、墓も移されています。

なお、墓石には次の辞世の句が刻んであります。

この世をは とりやお暇に 線香の

  煙とともに 灰さようなら

一九の墓は、区の歴史や文化に関わりの深いものとして中央区民文化財に登録されています。

  平成30年3月         中央区教育委員会

 

 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 46
  ~ 十返舎一九(重田貞一) ~

ー 『東海道中膝栗毛』を書いた流行作家の墓と碑 ー

江戸時代の大ベストセラー『東海道中膝栗毛』の作者、十返舎一九(1765年~1831年)の墓は、真円山東陽院にある。

駿府(現在の静岡県)の武家に生まれた一九は、近松与七(ちかまつよしち)という名で浄瑠璃作者となる。

寛政6年(1794年)には江戸に出て作家業に専念し、東海道を歩くたびに蓄積した資料をもとに『東海道中膝栗毛』を書き上げ、この著作の大ヒットにより、流行作家の地位を確立した。

以後20年以上にわたって各地の道中膝栗毛を書き続けた。

物語の滑稽さとは対照的に一九は口数の少ない人物で、取材旅行中もろくに話をしないため、旅の途中で同行者が帰ってしまうこともあったという。

真円山東陽院の入り口にある一九の碑は徳川夢声(むせい)が書いたもの。

墓石は東陽院納骨堂(屋内墓地)にあり、墓の左側面には、有名な辞世の句「此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに 灰さようなら」が刻まれている。

~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~

 

防災 まなぶ不動明王尊縁起
(東陽院 道路沿い)

防災 まなぶ不動明王尊縁起
(東陽院 道路沿い) べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 46
  ~ 十返舎一九(重田貞一) ~

東京消防庁臨港消防署員 消防指司令佐藤学君は、昭和57年5月5日深夜、中央区勝どきのマンション火災に出場。

猛煙猛火掻いくぐって7階のベランダに突入し、熾烈なる火炎に対し、わが身を母子らの楯とし身を焼かれながらも庇護し、次々と4名の救出に成功した。・・・(中略)・・・

・・・一挙に拡大して噴射した大炎と熱風に圧せられて殉職なされた。

享年30才、新婚3ヶ月であった。・・・(中略)・・・

同君はホテルニュージャパン火災においても、宿泊客4名を救助するなど、数多くの災害に出場し、積極果敢に職務を遂行した優秀な消防官であった。・・・(中略)・・・

・・・分骨し、「妙法蓮華経」第1部8巻と共に不動明王の胎内に納めて、市民を火災及び交通事故など諸々の災難から守り、併せて首都の防衛に任ずる。

警察、消防関係者の安全を祈願して安置するものである。

 

 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 46
  ~ 十返舎一九(重田貞一) ~

・・・NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、これからも中央区愛とともに視聴を続けたいと思います。