中央区ものしりクイズ 23
中央区立シニアセンターの入り口に「中央区ものしりクイズ」が置かれています。今回は23です。
問題
解答と解説
1 東京湾です。
幕末に外国船から江戸を守るために築かれた「佃島砲台」の跡地に案内板があります。
1853年の「黒船来航」の直後、江戸幕府は品川沖に6つの台場を築いたのですが、その後の薩英戦争・下関戦争を契機に品川より内側にもさらに台場が設けられました。佃島砲台もそのうちのひとつ。
明治に入っても陸軍の砲台として利用されていましたが、現在の月島エリアの埋立に伴い、砲台はなくなりました。
2 川柳です。
佃の住吉神社に、五世川柳を襲名した水谷緑亭が詠んだ「やわらかで かたく持ちたし ひとごころ」の句碑があります。緑亭は幼いころ父をなくし、江戸佃島の漁師に養われ、その後魚問屋を開き名主となり、二世川柳に川柳を学びます。二世川柳が流行させた「川柳」は川柳の没後、一時勢いを失いますが、南町奉行所の同心であった四世川柳が句風を改め、「川柳」の勢いを回復させました。
天保8年(1837年)に緑亭が五世川柳を継承しました。緑亭は10代から句作を初め、衆望を集め、地味な人柄で、養父母に孝養を尽くし、佃島の風俗を矯正した功績などで、町奉行所から三度褒章を受けました。
3 後藤新平です。
1923年に起きた関東大震災は、ちょうど昼時に発生したせいで大規模火災を引き起こし、東京は焦土と化しました。
後藤は焼け落ちた土地を国が買い取って、東京そのものを作り変えるという壮大な復興案を立てます。
ただ、その予算は現実離れしており、強い反対を受けて縮小せざるを得ませんでした。
後藤が計上した予算は30億円、実際決められた予算は5億円と6分の1の規模となっています。
限られた予算の中で行われた復興事業は、道路、公園、橋の整備などでした。昭和通り、靖国通り、明治通りはそのとき建設された道路です。隅田公園、浜町公園、錦糸公園などは、平時は近隣住民の憩いの場として、災害時には避難場所としてこのとき整備されました。
また、隅田川に架かる永代橋、両国橋、吾妻橋など9つの橋も、災害時に崩れない橋として架けられています。
4 石川島公園です。
スーパー堤防の上部を利用して、整備された石川島公園。広々とした緑のオープンスペースを提供しています。平成 11年(1999年)の「日本におけるフランス年」を記念して作られたパリ広場はマロニエが植えられた広場で、永代橋や東京スカイツリーなどの眺望が素晴らしいです。
〒104-0051 東京都中央区佃1丁目11−1
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