勝三郎

なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承

菊五郎・菊之助の襲名でにぎわった歌舞伎座。

7月の昼の部は、13代目市川團十郎白猿などによる「新歌舞伎十八番」の4つの演目が披露されています。

このブログでは、

・これらの演目を守り、育ててきた代々の市川團十郎に光をあて、

7代目團十郎による「歌舞伎十八番」の制定

7代目の子、9代目團十郎による「新歌舞伎十八番」の制定とその苦悩

・今回の「新歌舞伎十八番」の4演目の見どころ

をご紹介します。

市川團十郎代々

歌舞伎界を象徴する名門・市川團十郎家。

初代は荒事の型を確立し、豪快な演技で江戸の大衆の心をつかんだ立役者。成田屋の名とともに、その芸は代々受け継がれました。

当代13代目市川團十郎白猿はその精神を現代に受け継ぎ、国内外で歌舞伎の魅力を発信。伝統と革新をあわせ持つ存在として、歌舞伎を未来へと導いています。

 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承
 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承

下の表では、代々の團十郎の生涯とその系譜をまとめてみました。

親から子への襲名も多くある一方、9代目のあとは、名跡を譲る男子がおらず、また9代目の偉大さのため、11代目の襲名まで59年間の空白がありました。(濃い灰色が連続していない部分)

 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承

「歌舞伎十八番」の誕生
―7代目團十郎が遺した芸の系譜

「歌舞伎十八番」の誕生
―7代目團十郎が遺した芸の系譜 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承

「歌舞伎十八番」は、團十郎家が代々得意としてきた演目を集めた芸の宝箱です。初代から4代目までの名演を、7代目團十郎が厳選し、天保3(1832)年に正式に「十八番」として制定しました。

この時期に7代目は、まだ10歳のわが子に8代目團十郎の名跡を襲名させました。

「十八番」の制定は、幼いわが子を支えるため、初代がはじめた勧善懲悪の荒事芸を代々に伝え、成田屋(團十郎家)の宗家としての権威づけを図るねらいがありました。

その演目は、下表のとおりです。

 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承

9代目團十郎による「新歌舞伎十八番」の制定とその苦悩

7代目は「歌舞伎十八番」を制定後も、新たな演目を体系化しようとしました。その遺志を、実の子である9代目が引き継ぎ、明治20(1887)年頃に「新歌舞伎十八番」として完成させました。

その演目は、歌舞伎の伝統を踏まえつつも、西洋演劇の写実性や新しい表現を取り入れた活歴物(かつれきもの)や能・狂言をもとにした松羽目物(まつばめもの)などの意欲的な作品が含まれます。

また、「新十八番」の演目数は、32または40あると言われており、十八番を演目数ではなく、「おはこ=團十郎家の得意芸」としてとらえています。

ただし、多くは9代目の創作や再構成によるもので、明治期に一度上演されただけのものなど記録に乏しく、その全貌を捉えにくい状況にあります。

 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承
 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承
 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承

9代目團十郎の苦悩

9代目團十郎の苦悩 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承

9代目市川團十郎(18381903)の胸像は、歌舞伎座の2階に置かれています。

演劇の世界で聖人のように尊敬される人物という意味で「劇聖(げきせい)」と呼ばれた9代目は、歌舞伎を庶民の娯楽から高尚な芸術へと引き上げるために尽力しました。

とりわけ、明治20(1887)年には明治天皇の前で『勧進帳』『高時』を「天覧歌舞伎」として上演し、長い間いやしめられてきた歌舞伎役者の社会的地位向上に大きく貢献しました。

こうした功績によって、歌舞伎を“本物の芸術”に育てた立役者として語り継がれています。

 もっとも、9代目の人生は栄光だけでなく、数々の悲劇がありました。

7代目の五男として生まれすぐに養子に出され河原崎権十郎を名乗りました。しかし、明治元年(1868年)、家に強盗が押し入り、自身は納戸に隠れて難を逃れましたが、養父が殺害される事件が起こりました。

 また、兄・8代目團十郎が32歳の若さで自死したことで、9代目として市川宗家を継ぐことになりました。しかし、自身には男子がなく、後継者問題に悩み続けます。迎えた養子に希望を託しましたが、その養子も37歳で早世。團十郎はこの喪失に深く打ちひしがれたと伝えられています。

 さらに、力を入れた「活歴物(かつれきもの)」という歴史をリアルに描く芝居は、当時の観客にはあまり受け入れられず、興行的に失敗が続きました。晩年には9代目自身、活歴物から距離を置いたとされています。

 活歴物の多くは途絶えましたが、『高時』など一部の作品は再演され、史劇や写実的演出の先駆けとしてその後再評価されています。また、活歴物で試みられた演技や演出の多くは、後の新歌舞伎や現代劇にも影響を与えたとされています。

 このように、9代目市川團十郎は歌舞伎を芸術として高めた偉人であると同時に、家族の死や芸術的孤独といった悲劇を背負った人物でもあります。その人生は、努力と苦悩の中で芸を磨き続けた光と影の物語なのです。

今月の「新歌舞伎十八番」の4演目の見どころ

今回の演目は「新歌舞伎十八番」の内、26年ぶりの上演となる『大森彦七』をはじめとして、一挙に4つの演目が上演されること自体、例がないと言います。

その見どころ満載の演目について、次にまとめました。

 なぜ“十八番”は特別なのか?
~團十郎代々の芸とその継承

代々の団十郎が守り抜いてきたおはこの芸。

その系譜を受け継ぐ市川團十郎白猿のほか、芸のうえでつながりが深い市川右團次、坂東巳之助とともに、いま再び舞台に命を吹き込みます。

伝統と革新が交差する「新歌舞伎十八番」の世界へ、ぜひとも足を運んでみてはいかがでしょうか。