華やかに蘇る、区にゆかりの深い「森孫右衛門」
観てきました。
歌謡浪曲舞踊。
中央区ゆかりの人物や歴史をフォーカスして、楽曲と舞踊で表現する公演会です。
主人公となる人物は、「森孫右衛門」。
中央区で学ぶ多くの小学生は、森孫右衛門の名前を耳にしたことがあると思います。
摂津国佃村(大阪市西淀川区)の名主にして、徳川家康公と深い縁を持ちます。
日本橋魚河岸の成り立ちに関与し、佃島造成にも関わる、江戸時代の創成期に活躍した人物です。
※ 日本橋社会教育会館8階ホールの緞帳です。
歌川広重の東海道五十三次之内「日本橋朝之景」が描かれています。
さあ、緞帳が上がります。
浪曲ですから、見えてくるのは、金の屛風と鮮やかな柄の布がかかった演台・・。
かと思いきや、
綺麗な浴衣をまとった、お姉様方。
オープニングは「三味線ブギウギ」。
本心、私としてはウエルカムなのですが、「浪曲はどこへ行ったの。」
続いて、琴と尺八の和楽器演奏。
熟練の音色を直に聴くことができる素敵な時間でした。
「でも、浪曲から遠ざかる・・。」
※ 住吉神社。佃島の歴史と関わりの深い神社です。
主催の東京和文化協会、永田天峯氏の講演が後を受けて、全体構成の種明かしをします。
地域の歴史を掘り起こし、歌謡浪曲として再構築した経緯。
そして、作品にかかわる踊りと演奏を、和文化との関連を通して紹介してくれたのでした。
更に、東京音頭と大東京音頭を、参加者全員が映像の振り付けを見て参加します。
「ほとんどの参加者がその場で踊れたのは驚きでした。体のコリをほぐせましたし。
みんなが参加でき、ひとつになれる盆踊りは、すごく魅力的です。」
※ 神社境内の「住吉神社略縁起」には、家康公との縁が表記されています。
いよいよ、森孫右衛門の歌謡浪曲舞踊のお披露目です。
歌詞の中に、本能寺の変、大坂の神崎川の渡船、家康公最大の危機と言われた「神君伊賀越え」などの場面が出てきます。
森孫右衛門と家康公との結びつきが語られていきます。
※ 住吉神社、水盤舎の欅造りの欄間に彫刻された網を打つ小舟の景色
家康公の江戸入府に伴い、森孫右衛門一族も江戸へ入ります。
関ヶ原の戦いの後、家康公の幕府開設に伴い、先進的な漁法を持っていた摂津佃村や大和田村の漁民は江戸に入り、将軍家献魚の役目を命じられます。
併せて、江戸周辺の海川での漁業権を得ることになるのです。
※ 帆を張った回船が、佃沖を進んでいます。
これらの話には多くの説があり、今後の研究が進めば新たな情報を得ることもできるでしょう。
その中で、現在分かりうる範囲で情緒豊かな歌謡浪曲にまとめる取り組みに、強い文化的情熱を感じます。
※ 森稲荷神社(佃一丁目)。森家の居住地に祀られていた屋敷神が鎮座しています。
歌謡浪曲というジャンルを築いたのは、三波春夫さんです。
浪曲の伴奏は三味線ですが、浪曲と歌謡を洋楽器で融合させて歌い上げたのです。
今回の公演では、伴奏に琴・尺八・鼓・篠笛という和楽器が合わせられました。
この組み合わせは、とても新鮮でした。
更に、舞台は歌謡の筋を追って舞う、お姉様方の踊りが盛り上げました。
「歌謡、浪曲、舞踊」 確かに題名が示す通りでした。
※ 築地本願寺の境内「佃島初代名主 佃忠兵衛報恩塔」の案内板。佃島築島の経緯が記されています。
私は小学生の時に、育った街の市民会館で三波春夫さんの舞台を見ました。
かっこよかったですね。華やかな舞台に引き込まれました。
その楽曲を聞くだけで、富士の裾野へも、大利根の河原へも、嵐渦巻く熊野の沖へもいざなってもらいました。
圧倒的なエンターティメント。
それがきっかけとなり、作品に歌われた忠臣蔵関連の本などを読みあさったものです。
※ 佃忠兵衛は、森孫右衛門の一族から出て、佃島の行政事務を司りました。森孫右衛門はふるさと摂津の佃に帰って亡くなり、お墓は正行寺にあります。
制作に携わられた永田天峯氏は、高校生時代の研究テーマがきっかけで、三波春夫さんと文通する機会を得たとのことです。
諸所に、三波春夫テイストが浮かび上がるのを、楽しく拝見しました。
森孫右衛門のお話は、これで終わりません。
いただいたプログラムには、「森孫右衛門の実像を探る」と題して、研究発表とフィールドワークの予定が記載されていました。
中央区まるごとミュージアム2025参加企画として、11月9日(日)に行われます。
日本橋魚河岸の開設、佃島の埋め立て築島、佃煮の誕生。
歴史資料、古文書の研究が進めば、歴史上の人物の活躍が明らかになっていく過程を楽しめるかもしれません。
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