江戸のインフラ・水利システムは1590年家康が命じ、明治の水利システムはオランダの技術者が伝授!
浮世絵 『東都名所 御茶之水之図』歌川広重
徳川家康が江戸に入った時に、まず着手したことは飲料水と物資運搬水路の確保でした。
水利システムの構築が最優先されたのです。
江戸の上下水道・河川はどのように整備されていったのでしょうか!
〇1590年家康は家臣大久保藤五郎に、水道の見立てを命じました。
〇1620年までに小石川上水1590年(?)・神田上水が完成
〇1653年玉川上水完成
〇1594-1632年道三堀・小名木川・新川から行徳までの塩の道を確保
〇1594(新説1621)-1641年家康が伊奈忠次に命じ、利根川東遷事業完成
〇1624-1644年八丁堀は江戸城防衛のために完成
江戸時代270年間の江戸の水利システム!
東京都水道歴史館 木桶
ホームページhttps://www.suidorekishi.jp/
世界の都市ロンドン・パリと比較しても100万都市だった江戸は、エコシカルされた水利システムが構築されていました。
上下水道が、石樋・木樋を使って八百八町に巡りわたり、水を合理的に江戸の人々は使っていました。
この時点では世界的に見ても、江戸の水利システムは誇るべきレベルにあったといえます。
桜やよいブログ『江戸時代から下水道があった清潔な街づくりがすごい!』2019.2.26
に詳しく記載されていますので、ご覧ください。
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2019/02/post-6038.html
明治時代にオランダ・イギリス・アメリカの土木技術者によって水利システムが改修される!
新宿区淀橋浄水場
明治政府は外国人技術者を招聘し、全国的に早急なインフラ整備に当たりました。
東京のインフラ整備
〇河川・湾岸・灯台ーオランダ人12名・イギリス人9名
1878明治11年 江戸川改修 オランダ人 ヴェステルヴィール(工手)
1878明治11年 東京神立区に分流式下水道 オランダ人 デ・レイケ(内務省土木局勅任官)
1873明治6年-1909明治42年在日デ・レイケはオランダの土木技術者の中でも優れていましたので、4等工手から事務次官昇進。36年間、綿密な踏査と、作成した計画がすぐれていたので、技術者の中で、一番長く多くの土木事業をこなして日本の土木に貢献しました。
〇道路・橋梁・上下水道ーイギリス人9名・アメリカ人14名
1888明治21年調査設計が開始され、玉川上水路を利用して多摩川の水を淀橋浄水場に導いて沈澱、ろ過を行い、有圧鉄管により市内に給水し、1898明治31年12月1日神田・日本橋方面に通水したのを始めとして、順次区域を拡大し、1911明治44年に全面的に完成しました。
1872-1903年オランダ人技術者は『低水工事』(河口近くの平野部で川床の掘り下げ、堤防のかさ上げ、分水などを行い洪水を防止するための工事)の優れた技術を日本に伝えました。
1897明治30年に海外留学や工部大学校(東京帝国大学工科大学)によって日本人技術者が育ちました。日本では山岳の地形が多く、『高水工事』(山岳が平野部に迫っている地形には、山岳部の土砂流を防止し、洪水を防ぐ工事)が有効だということを日本人技術者が気づいたので、日本の土木技術が自立しました。
(『明治時代に来日した外国人土木技術者ー産業技術遺産探訪~お雇いオランダ人技術者とかかわりのある明治時代の土木事業(資料)』参照)
https://gijyutu.com/ohki/kindaikaisan/Holland/Holland.htm
日本の水準原点はオランダ人リンドが設置!
霊岸島検潮所・量水標跡
オランダとの関係は江戸幕府開府以来、明治になっても300年以上もの間良好な関係を継続してきました。
オランダ人リンド2等工師は、1872明治5年利根川と江戸川の11ヶ所に量水標を中央区霊岸島(新川2丁目1号先)に設置。水位観測データを基に1873明治6年-1879明治12年にかけて毎日潮位を観測した平均値(1.1344m)・観測潮位をA.P.0と名付けたといわれています。
日本の標高は、東京湾の平均海面T.P. (Tokyo Peil) を基点として測ったものです。
①1891明治24年 24.500m 日本水準原点設置
②1928昭和3年 24.414m 関東大震災
③1949昭和24年 24.4140m 測量法施行令制定(政令322号第2条2項)は日本における高さ(標高)を決める基準点を指します。
④2011平成23年 24.3900m 東北地方太平洋沖地震
と、改定されています。
東京湾の平均海面を0mとして定義され、測量の度に平均値を求めることは効率的ではないとのために、1891明治24年国会議事堂前洋式庭園『日本水準原点標庫』内部に設置され、これが実質的な高さ(標高)の原点です。
全国の主要な道路沿に設置されている水準点の高さは、この日本水準原点に基づいて水準測量によって決められ、この水準点がその地域において行われる高さ(標高)の測量の基準になります。
中央区の『霊岸島検潮所・量水標跡』シンボリックな三角形フレームの水位観測所が設置されて、荒川水系のデータ観測が続けられています。
中央区を、知る『霊岸島検潮所・量水標跡』参照
レファレンス事例詳細 国土交通省国土地理院『日本水準原点』参照
https://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/suijun-genten.html
土木学会ーかわいい土木『水準原点に秘められたオランダの治水』
フリーライター三上美絵2020.12・2021.1月No.52参照
この中央区は、江戸幕府開府から明治までオランダとのかかわりがあったことに縁を感じます。
オランダの優れた土木技術である『低水性』という治水技術は洪水を防ぎつつ、堤防を低く抑えて川を水路として活用できるメリットがあり、まさに中央区には適していました。
また、リンドが東京湾・霊岸島検潮所を指定し、現在も荒川水系の観測が継続していることも驚きです。しかも『日本水準原点設置』から130年以上の歳月が流れています。
未来に向かって、東京の水利システムが「安全でおいしい水」を目指して、より構築されることを祈っています。
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