銀座を照らす八つの星
─保志雄一氏の美学とカクテルの世界
銀座の夜に、静かに輝く八つの星。その中心に立つのは、白いバーテンダーコートをまとった一人の男─保志雄一氏。
控えめな照明、落ち着いたカウンターと調度品、そして熟練のバーテンダー。こうした要素を備えた正統なバーを「オーセンティックバー」と言いますが、銀座の「BAR 保志」はまさにその代表です。
柔らかな笑顔でお客さまを迎え、背筋をピンと伸ばしてシェイカーを振る保志さん。
現在、銀座を中心に七つの店舗を率い、「銀座で最も成功を収めたバーテンダー」(ウィキペディアより)として知られています。
しかし、その成功に至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
コロナ禍の影響で収入が途絶える一方、全店舗の家賃や人件費などの経費が重くのしかかり、苦しい日々が続きました。後に公的支援が整備されましたが、当時は自身の保険を解約して支払いに充てるなど、まさに身を削る思いだったといいます。
銀座には今年創立100周年を迎えた「一般社団法人 銀座社交料飲協会(GSK)」があります。バー、スナック、クラブ、居酒屋などの飲食店が加盟するこの団体で、保志さんはコロナ禍の最中に会長職を務めていました。
本当にお客様が戻って来られるのか不安を抱えるなか同業者と励まし合い、理事たちと協力して感染防止ガイドラインを策定し、1,000軒を超える加盟店に周知を図りました。
早期に策定されたこのガイドラインは、銀座の枠を超え全国に波及したといいます。
バーテンダーへの道
―医療の道から、カクテルの世界へ
――バーテンダーを目指したきっかけは何ですか?
保志氏:地元会津若松の高校を卒業後、病院関係の仕事に就こうと宇都宮市にある臨床検査技師の学校に通いました。宇都宮は餃子が有名ですが、実は「カクテルの街」としても知られ、市内にはカクテルの全国大会で名を馳せたバーテンダーが数多くいます。
その中でも日本一のバーテンダーを何人も輩出している老舗が「パイプのけむり」です。このバーに初めて訪れた際、カクテルの奥深さやバーという空間の居心地の良さに感動しました。
私が飲んだのは「エーゲ海の恋」というカクテル。シェイカーから注がれる美しい色彩の液体と、ほろ苦い甘さの官能的な味わいに心を奪われ、その名の通りすっかり魅了されてしまったのです。そして、マスターに頼み込んで在学中からアルバイトをさせてもらい、先輩の指導を受けながら、楽しく夢中でカクテルを作りました。
バーテンダーになりたいという気持ちが強く芽生えてきましたが、堅実な仕事に就いてほしいという両親の期待もあり、卒業後は臨床検査技師になりました。しかし、人が好きでお客様と話す仕事の楽しさが忘れられませんでした。
また、「パイプのけむり」では、カクテルコンペの世界大会でシルバー賞を採られたオーナーの大塚徹さんをはじめ日本トップクラスの先輩方から刺激を受け、自分もプロのバーテンダーとして世界大会に挑戦しトップに立ちたいという想いが募りました。その気持ちを抑え切れず、ついにバーテンダーの道に進む決意をしました。
あきらめなかった夢
―挫折から始まった10年の挑戦
――世界大会で優勝するまでのご苦労は?
保志氏:お店は50席を超える広々としたフロアで、若手として駆け回る日々。毎朝の腕立て伏せに始まり、厳しいミーティングを重ねる体育会系の環境で鍛えられたことで、仕事の段取りや細やかな気配りが自然と身につきました。
そんな忙しさの中でも、オリジナルカクテルへの情熱は揺らぎませんでした。味の構成やバランスを練り、色合いを吟味し、そして自ら名をつけ、一杯一杯を我が子のように作品として磨き上げていきました。
その甲斐もあり、1989年の日本バーテンダー協会(NBA)主催全国大会で「フォーリング・スター」がグランプリを受賞しました。32歳の時でした。
翌1990年にはメキシコで開かれた世界大会(インターナショナル・バーテンダーズ・カクテルコンペティション)に日本代表として出場し、「シエスタ」というアフターディナーのデザート・カクテルで臨み、テクニカル部門で2位を獲得しました。しかし、総合では4位となり表彰台にも立てませんでした。
当時日本では「シンプル・イズ・ベスト」が主流で、ノンデコレーションで自信をもって勝負したのですが、デコレーションの審査があり、そこで高評価を得られなかったことが影響したのです。
協会(NBA)には一度日本一になった者は、競技から引退し後進の指導に当たるというルールがあり、世界一になるという夢を描いてきた私は大きな挫折を味わい、号泣しました。
その後、世界大会でもご活躍された毛利隆雄さんの推薦もあって宇都宮から銀座に移り、1993年に開店した「リトルスミス」とその系列である「BAR東京」の総店長を務めました。
それでも、いつかチャンスは来ると信じ、大会に向けたトレーニングは続けました。そして2001年、世界大会が日本で開催されることとなり、日本大会に優勝した者にも参加資格が認められ、道が開けたのです。
会場は幕張メッセ。出場者は世界32カ国の代表者と日本の9ブロックの各代表者。観客約4千人に見守られ、指先が震えるほどの緊張を覚えました。私は、美しくもはかない “桜”をモチーフにしたオリジナル・カクテル「さくらさくら」で挑みました。ストーリー性と日本らしさを追求したそのカクテルで、ついに世界一の夢をかなえることができました。
「BAR保志」のオリジナル・カクテル
フォーリング・スター
(1989年全国大会優勝カクテル)
レモンピールを星型に切り抜き、グラスの飲み口の外側に塩でウエーブ”波”を描く。ホワイトラムにパイナップルリキュール、柑橘ジュース、少量のブルーキュラソーを合わせシェイク。
透明感のある淡い緑色がグラスに注がれる瞬間、流れ星が弧を描きます。南国の果実感とキレのある味わいが調和しています。
さくらさくら
(2001年世界大会優勝カクテル)
日本がひと目で伝わるテーマとして桜を選び、コンセプトは「華やかさ、夢、ストーリー性」。ジンとサクラ・リキュール、レモンジュースなどをシェイクしてほんのり甘口の桜色に。
香りも重視し、グレープフルーツやライムのピール、リンゴの皮で桜の花を作り、マラスキーノ・チェリーと共にグラスに飾って完成する保志さんの代表作です。
フルーツカクテル
季節ごとに厳選した果実を使ったフルーツカクテルも「BAR 保志」の名物になっています。固定メニューではなく、旬を読む”生きたメニュー”というのが特徴です。
秋には “シャインマスカット”や”ラ・フランス”、通年では、”パイナップル”、”キウイ”、”マンゴー”などバラエティに富んでいます。どのカクテルも砂糖やシロップを最小限に抑え、果実そのものの甘味や酸味、香りを最大限に活かしています。
また、保志さんは「果皮を使ったデコレーションに関して草分け的な存在であり、フルーツのカッティング技術も研究し、カクテル文化の普及に努めている」として、東京都から2013年に「東京優秀技能士(東京マイスター)」に認定されています。
エイトスターの夢
―銀座に灯す八つの光
保志さんが独立して銀座に「BAR 保志」を初出店したのは、2004年7月7日―七夕の日のことでした。願いを込めたその一歩は、やがて多くの人々に愛される名店へと成長していきます。
2012年には、地元・会津若松に郷土愛の結晶である「GINZA BAR 保志」を出店。その後バーテンダーを志した原点でもある宇都宮の「パイプのけむり」の経営も、オーナーの大塚氏から引き継ぎました。
保志さんは、「"スター"を育て、銀座1〜8丁目に星のように拠点を築く」という構想を描き、独立時から会社名を『エイトスター』と名付けています。
昨年9月まで『エイトスター』は8店舗を展開していましたが、現在は7店舗。その理由は、長年「BAR 保志 Al Capone(アルカポネ)」の店長や支配人を務めてきた小山圭介氏(2017年NBA全国大会総合優勝者)が、昨年10月にこの店舗を引き継ぎ、「BAR 小山(おやま)」として独立を果たしたからです。保志さんにとって、これほど嬉しいことはありません。
さらに今年10月には、「BAR 保志 MonsREX」の阿部洋佑氏が2025年NBA全国大会で総合優勝しました。阿部氏は、今年のアジアパシフィック・カクテルコンペティションでも優勝しており、見事2冠の達成となりました。
「星との相性は抜群です」と語る保志さん。その夢は、着実に現実のものになっています。
2014年には、創立10周年を記念して、日頃から支えてくださっている約400名の方々を帝国ホテルに招き、盛大なパーティを開催しました。親御さんも出席され、保志さんはお父様に感謝状を贈呈。かつて期待に背いて進んだ道でも、実はそっと背中を押してくれたのはご両親でした。「これで、少しは親孝行できたかな」と胸を張れた、忘れがたい一日となりました。
2024年の創立20周年の祝賀会も、同じく帝国ホテル「飛天の間」で盛大に開催しました。
なお、お父様の保志和吉(わきち)氏は会津の複数の高等学校長を歴任し、会津白虎剣士会長なども務め、現在103歳。
絵手紙を送ることを趣味として、個展なども開かれています。今年9月の『エイトスター』の研修旅行は会津若松へ。皆でお父様の個展も見学されたそうです。
羽ばたく蝶
―娘さんに受け継がれる技と心
保志さんの娘・綾(あや)さんもバーテンダーの道に進んでいます。銀座のバーや鮨店で経験を積んだのち2017年、西麻布に「Bar Dealan-Dé(ディランジ)」を開店。2024年には、モエ・ヘネシー・ディアジオ社が主催するカクテルの国内大会で、初代チャンピオンとなりました。
受賞作「MJ’s espresso(エムジェーズ・エスプレッソ)」は世界中でトレンドとなっているエスプレッソマティーニの進化系カクテル。ウイスキーの風味とエスプレッソの新解釈で高評価を得ました。
子供のころは、お米が入ったシェイカーのおもちゃで遊んでいた綾さん。保志さんは「もっと脇を締めたほうがいいよ」など、アドバイスをしていたとか。
店名「ディランジ」はウイスキーの聖地スコットランド・ゲール語で”蝶”の意味。父から受け継いだ技や心を踏まえて独立し、雄一さんの背から羽ばたくという想いを重ねての命名です。
技に宿る情熱
─保志雄一氏のカクテル哲学
――バーテンダーに必要なことは何でしょうか。
保志氏:銀座には華やかな空気がありますが、お客様が”本物”を求める厳しさがあります。昔は氷やシェイキングの仕方ひとつにもこだわりが強く頑固な方がいましたが、今は若い方も多くそこまでの方はほとんどおられません。また、最近は海外からのお客様も多いです。「本物を知りたい」という方が集まって来られるのだと思います。
それに応えるため、バーテンダーは「基礎を大切にする」ことが必須です。背筋を伸ばした姿勢や理にかなった八の字シェイク、滑らかな所作、そして、グラスを差し出すときの笑顔。これらが銀座のオーセンティックバーに相応しいバーテンダーの正統のスタイルであり、常にスタッフにも指導しています。
また、ステアの(かき混ぜる)速度、シェイクの理由、氷と水の扱いなど、なぜその手順なのか、どこが味に影響するのか、理屈で理解して体に落とす。型を身につけることで、ようやく“半歩の調整”が可能になります。会話のテンポや表情に合わせて温度や希釈を半歩動かす—この微差を理解することが重要です。私自身背中で見せ、スタッフが違っていればその場で直す。そうすることで同じレシピでもカクテルの仕上がりが一段上になるのです。
さらに、控えめで寡黙な接客。「話す力」より「聞く力」が重要ですし、お客様のふとした表情や動作から何をされたいかを察知しなければなりません。
たいていのお客様は安らぎを求めています。会話の中で相手を知り、時には兄貴になったり、おじいちゃんになったりして、人に応じた対応を心がけています。相手が自然に口を開きたくなる空気を作る。笑顔と気づかいで、「ラブ・ミー・テンダー(やさしく愛して)」じゃないですけど、私もバー”テンダー”なので。(笑)
――なぜ「BAR 保志」では、優秀なバーテンダーを育てることができるのでしょうか。
上に進んでいく人には、必ず“志”があります。夢をあきらめず、その志を忘れずに、同じことを何度も繰り返しながら「これでいいのか」と自分に問い続ける。"継続は力なり"という言葉がありますが、少しずつ工夫を加え、日々の積み重ねの中で成長していくのです。
私はかつてメキシコ大会で敗れ、悔しさのあまり号泣しました。そのとき応援に来てくれていた姉が、そっとこう言ってくれたんです。「小さくても夢、大きくても夢だよ」と。その言葉は、今も胸の奥に残っています。
夢は、無理に大きく描かなくてもいい。大会はあくまで競技の場にすぎず、勝ち負けは人生のすべてではありません。本当に大切なのは、自分の夢を持ち、そこに向かって日々どう努力を積み重ねていくか。その姿勢こそが、人を成長させるのだと思います。
今の若い人にはどんな夢でもあきらめず、とことん追い求めてほしいなと思います。
銀座を照らす一杯
―技と情熱が生む静かな輝き
保志さんがお店を続ける上で最も大切にしている「軸」は、お父様から受け継いだ言葉『忠恕一貫(ちゅうじょいっかん)』。正しいことを忠実に行い(忠)、思いやりの心(恕)を持って、ぶれることなく貫き通す―その精神でお客様に接するとともに、スタッフにも伝えてきました。また、カクテルの世界に生きる者として、味わいを左右する繊細な違いを後進に伝えていくことも自身の使命としています。
銀座の夜には、静けさの中に確かな熱があります。保志雄一氏の歩みは、その光と影を知る者の物語です。一杯のカクテル、一つの笑顔――そこには、“静かな情熱”が息づいています。
銀座を中心に複数の店舗を展開する保志さんは、各店を回る日々。ご来店時に保志さんが不在であっても、「BAR 保志」本店の杉谷支配人をはじめ、師匠の技と心を受け継いだバーテンダーたちが、いつも変わらぬ笑顔で迎えてくれます。
その温もりこそ、銀座の夜に静かに瞬く星のような――“本物の光”なのです。
保志氏、杉谷支配人と「BAR 保志 IRIS」の皆さん。
中央の絵画は保志和吉氏作。
保志氏、杉谷支配人と「BAR 保志」本店の皆さん
【コラム】
スコッチ・ウイスキーの楽しみ方
――私は先月、スコットランドのエディンバラに行き、「スコッチ・ウイスキー・エクスペリエンス」(ウイスキーの体験型博物館)でスコッチの奥深さに触れました。ウイスキーをどのように楽しめばよいですか?
保志氏:作られる様々な風土や地域によって、味わいが異なるのもウイスキーの魅力のひとつです。スコッチの種類は地域により、5つに分かれます。そのうちの3つの地域の特徴を説明すると、
「ハイランド」は、山あいの澄んだ空気と変化に富んだ気候のもと、ゆっくりと熟成が進みます。そのため、麦芽のやわらかな甘みと樽の香ばしさがほどよく調和し、豊かなコクを感じます。
「スペイサイド」は、清らかなスペイ川の水と穏やかな気候に恵まれ、発酵と熟成が穏やかに進む地域です。そのため、果実の華やぎが生まれ、やわらかく広がる上品な味わいになります。
「アイラ」は、島の湿地帯に長い年月をかけて堆積した枯れ草からできた有機質の土「ピート」を燃やし、その煙で「モルト(発芽させた大麦)」を乾燥させます。これによって、潮の香りとスモーキーな風味が特徴の個性的なウイスキーが生まれます。
これらをまずは少量、複数横に並べて、いろいろな銘柄を少しずつ楽しみながら飲み比べられるのもバーならではの楽しみで、自ずと自分の好みも見えてくるものです。
飲み方でもウイスキーの表情が変わります。ストレートで飲む方も多いと思いますが、少量の水を加えていけば、より豊かな香りが楽しめます。また今、ハイボールが人気ですが、「BAR 保志」では「アイラ」の「ボウモア」のソーダ割りは名物のひとつです。タンブラーに「ボウモア」を入れて、ソーダを一気に注ぎステアするというのが作り方。喉越しがとても良く、爽快感のある一杯です。
食べ物の組み合わせでも世界が広がります。定番ナッツやチーズもよいですが、いぶりがっこや一夜干しなど和の燻香はスモーキーな「アイラ」にお勧めです。塩味や燻香の強さをウイスキーの風味に合わせるのがコツです。
バーでのオーダーのコツは、難しい専門用語より感覚で頼めば充分です。
「今日は軽めに」、「甘やかに。でも後味はスッと」、「ピートは控えめで(=強すぎず、穏やかなスモーキーさで)」など漠然とでも好みを言っていただければ、あなたの“正解”に近づけます。バーで飲むウイスキーの良さを存分に味わってほしいですね。
「BAR 保志」について
「BAR 保志」のすべての情報は、こちら 公式ホームページ をご覧ください。
【追記】
保志さんは現在、一般社団法人京橋青色申告会会長を務めています。あわせて、京橋納税貯蓄組合連合会理事も兼務しています。
2025年10月29日、東京都主税局武田局長から、同連合会理事としての税務行政への協力に対し、表彰状が贈られました。 [写真ご提供:東京都主税局]
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