三重テラス2025/12/7『忍法体術の世界』
山田雄司三重大学人文学部教授・早坂義文古流武術家
毎年12月恒例、三重大学山田雄司教授の『忍者講座』を忍者ファンの桜やよいは待っていましたという気持ちで参加しました。
この令和の時代にも忍法が伝わっていることにロマンを感じます。
戦国時代までは忍者の存在は大きく、伊賀流・甲賀流の流派は著名です。
桜やよいの2024.12/7のブログをご覧ください。
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第1部 『忍者の身体』
現在残っている忍術書の中には、実は体術についての記述はほとんどなく、忍者が身体的にどのようなことを行っていたのか、謎に包まれているそうです。
そうした中でも、わずかに見られる身体的側面について書かれている部分を紹介し、忍者がどのような修行を行って肉体的鍛錬をし、そしてどのような体術を使っていたのかを探る。
三重大学人文学部 山田雄司教授
京都大学文学部卒・筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。
著書『忍者の歴史』(KADOKAWA)『忍者の精神』(KADOKAWA)
『忍者はすごかった』(幻冬舎)
『忍者学大全』(東京大学出版会)監修
日本だけでなく、世界各国で忍者の講演を行っていらっしゃいます。
藤田西湖『忍術秘録』(千代田書院・1936年)
畠山清行・保坂正康『秘録陸軍中野学校』(新潮社・2003年)
忍術の体術については口伝によって伝えられているせいか、忍術書としてはほとんど現存していない。
身体的側面を記述されている希少な事例をご紹介します。
〇藤田西湖
忍法体術を学ぶ順序が説明されている。
①適当な候補者を選抜し、試験を及第した弟子に忍術の練習させることが記されている。整息法→歩行術の基礎(爪先き歩き・足の甲で歩く)
②1日4里歩く速力は胸に菅笠を当てそれが滑り落ちないようにか、一反の布を襟に付けて走っている間にその先が地につかない速度を保つ。
③50尺(約15.15m)飛び降りる。
④幅跳び3間(約5.4m)・高跳び9尺(約2.7m)助走無しで3年間かかる。
⑤荷物70貫(262.5㎏)を担ぐと1人前。
〇元中野学校教官福本亀治が外部講師の甲賀流忍術14世名人藤田西湖の特に印象に残っている言葉
『武士道では、死ということを、はなはだりっぱなもののようにうたいあげている。しかし、忍者の道では、死は卑怯な行為とされている。死んでしまえば、苦しみも悩みもいっさいなくなって、これほど安楽なことはないが、忍者はどんな苦しみも乗り越えて生き抜く。足を切られ、手を切られ、舌を抜かれ、目をえぐり取られても、まだ心臓が動いているうちは、ころげてでも敵陣から逃げ帰って、味方に敵情を報告する。生きて生きて生き抜いて任務を果たす。それが忍者の道だ』と説かれた。
〇「昭和の忍術腕くらべ」『面白倶楽部』3-4(1950年)
・3間(5.4m)位は爪先でトンと土を蹴ると飛び上がる。
・高い所50尺(15m)から飛び降りる。羽織や風呂敷などを広げて落下傘の役に立てる。
〇富久谷秋剣『変幻出没自在忍術気合術読心術極意秘伝』(福山堂書店1925年)
・29 忍術應用飛下り飛上りの術
・◎忍術修行法
〇佐久間長敬「忍術と狐使ひの沿革」『神経学雑誌』16-3,1917年
・初めは3尺飛び越え、漸次に3尺を4尺にし今度は6尺にする、遂には3間位は飛越すやうになる、3尺は我々でも飛べるがそれが4尺5尺になると云ふとなかなか飛べない、それを段々慣して行きますると云ふと終には2間でも3間でも飛んで行けるようになる、尤もも、ぢつとして居つてひらりと飛び越えと云ふには熟練しないと出来ない、初めはそれを平地でやつて今度は高い所へ行くさうして此処から向ふへ飛越えると云ふ風になって来る。
〇『早道之伝』(日本実業史博物館準備室旧蔵資料 国文学研究資料館所蔵)
・夫早道の法ハ往古より数多有といへとも、今此法ハ唐土宋の載宗道人の伝也、予故事有つて此法を請得てより一日に数十里の道を行事安して草臥ざるにより、数日旅易く往来す、今諸人の為世に公にす、
※載宗は『水滸伝』に登場する人物で、新行法という足が速くなる道術の使い手とされる。
第2部 甲賀武田忍法を伝えた小林小太郎
甲賀武田忍法口伝に曰く、「忍びとは、即ち『謀』、破壊と工作なり」
それを完遂する為、「刃の下に心を置いて耐え忍ぶなり」
現在を生きる人々に警笛を鳴らす言葉です。
小林の経歴をたどれば、陸軍省特務機関員として活動し、彼の跡を継いだ柏浦覚道も同じ陸軍省特務機関員でした。
諜報活動をする上で、彼らが学んだ『忍法体術』は必要不可欠で、早坂義文氏が継承したそうです。
今回、その中から特殊な体術を公開演武します。
古流武術家 早坂義文氏
半世紀にわたり古武術修行をし、10代後半に前原清美より逆手柔術の指導を受け、その後、甲賀武田忍法体術の免許皆伝。日本古武道協会正会員根岸流手裏剣術7代宗家
金硬流唐手・沖縄古武術範士10段
甲賀武田忍法体術21代
兼相流柔術無比流杖術皆伝師範
山本流居合術居合術皆伝師範
甲賀武田忍法の系譜は、現在にも継承されていました!
武田家の系譜(甲賀武田忍法の開祖)源義光(新羅三郎義光)ー武田信義ー武田信昌ー信縄(嫡男)ー信虎ー信玄
武田信昌ー油川信恵(信縄弟武田厚雲齋ー甲賀武田忍法開祖)
流祖 甲賀三郎望月一族
4代 山本勘助入道道鬼 5代 真田源太左衛門信綱 7代 真田弾正忠幸昌 8代 香坂弾正忠昌信
18代 小林小太郎良学 19代 柏原貞治覚道20代 前原覚雲斎清三 21代 早坂覚禅義文
古武道研究会明神館管理資料をご紹介します。
〇甲賀武田忍法関係伝書
〇4代山本勘助著作集
〇14代長谷川善兵衛時吉芳の伝書集「窃奸(しのび)秘伝書」・炬(たいまつ)の巻・義経流
〇軍法侍用集・軍用蒐録 小笠原昨雲著
・巻6には、忍びの伝書等の類似点が多い
第10 窃盗(しのび)5つの要という事
1.此「窃盗書」3巻は、甲陽武田信玄公御内、服部治部右衛門工夫を以て、予是を書す者なり。
或時此治武右衛門のいわく、しのびに5つの肝要あり、
一に案内、二には犬、三には火、四には時、五には窃盗なりといへり。
17代 平本峯洞 を『武術武道家列伝』 加来耕三著』「二人の蟇仙人」の中で書かれている箇所をご紹介します。
大正6年(1917)に大阪の国民旬報社という新聞社主催で、大正期唯一の蟇仙術の超人的な術が公開された。
甲斐国(山梨県)の生まれで、10歳から山を巡り、16歳で浅間山で4年間修行
大隠者山田美王仙人と太田雷霞仙人から心霊の妙を聞き、神秘力を得る。
陸軍各師団や鉄道院をまわり、精神統一の原理を説き、二条基弘、後藤新平ら
著名人にも会い、多くの感謝状を貰った。
大阪府立高等医学校(現大阪大学医学部)教授・田中祐吉の証言によると、25、26歳の青年で体格の頑丈な、脂肪質の男だった。
数10貫の荷物を楽々と吊り上げられるロープを片手に巻き付け、苦もなく一気に切断したり、厚さ2センチの頑丈な木製の茶盆を額にあてて、中央からぶち割ったりした。
実際に見たビデオと公開演武の迫力に驚きました!
最後の甲賀忍者18代小林小太郎の忍法体術だけではなく、継承は現在21代早坂義文氏が伝書や武具・忍具の管理も併せて引き継いでいらっしゃいます。
ビデオでも記録されているので、今後もこの忍法体術を後世に残していただきたいと思いました。しかし、他の武術よりも過酷な修行が必要なことが今日の演武でよく理解できました。
忍法体術が継承されていることを知り、三重テラスでの忍法体術の『忍者・忍術学講座』を2026にも開催していただくことを楽しみにしています。
伊賀市のお米は、美味しかったです!
この講座に参加すると、無料で伊賀米がいただけるのをいつも楽しみにしています。
このお米は三重県の北西部に位置し、北は滋賀県、西は京都市・奈良県に接した伊賀地域にありました。
古くから伊賀は、良質米の産地として知られています。
四方を山に囲まれた盆地で、古琵琶湖層の土壌で出来ており、淀川の源流域で清水にも恵まれ、内陸型の気候で気温較差が大きく、年間平均気温は14℃前後です。
伊賀地域の稲作農家の方々が丹精こめて育てた美味しい『伊賀米』を年間予約できるようです。
購入したいしたい方は、JAいがふるさと伊賀米センター
〒518-0825三重県伊賀市小田町1380-3
☎0595-21-3159 FAX0595-21-3319
にお問い合わせください。
※三重県伊賀市ふるさと納税の返礼品に伊賀米も含まれています。
忍者体験を味わいたい方は、是非伊賀市にお出掛けください。
伊賀観光ガイドをご覧ください。
『万川集海』2025.8「遊ぶ」「学ぶ」「食べる」「泊まる」!伊賀流忍者の真髄を様々な角度から体験できるテーマパークが誕生したそうです。
「万川集海」とは、数多くの忍術流派をまとめた忍術書の集大成を指します。
忍びの装束に身を包んで、45種の中から伊賀流忍者の忍びの教えを多角的に体験出来るようです。魅力的です。
忍者好きの日本人だけでなく、インバウンドの外国の方にも人気がありそうですね。
(三重大学人文学部 山田雄司教授にブログ記載全般についての記述許可をいただいております)
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