すっとこどっこい

”築地川” の名を冠した公園

 築地川公園 は地元だと言えますし、よく通ります。元は 築地川 があった場所なのも知っていました。

中央区観光検定を受ける時、中央区ものしり百科 築地川亀井橋公園 が載っているを見ました。そう言えば高速道路は以前、川 だったなと思いました。

後に晴海通り萬年橋を通った時、 築地川銀座公園 と書かれているのを見ました。高速道路の上の公園は 築地川 と名が着くのとだと思い、調べて見ました。

結果、高速道路上の橋に隣接する公園で5つと 築地川公園 の6つの公園がありました。

 

築地佃島の人々が明暦の大火で移転を命じられた本願寺の為に埋め立てて造った土地です。新しく築いた土地なので ”築地” と呼ばれました。その土地の周りは掘割に囲まれます。鏑木清方は随筆”築地川”で「築地川は元も末も無い掘割の一つで・・・海から入って海へ出る」と書きました。聖路加病院に勤めていた北川千秋さんの著書”築地明石町物語”の中に古老から聞いた話として「上げ汐の時は道路すれすれまで潮が満ち、黒鯛や鰈が迷い込み網で掬った。汐が引いて浅くなると子供達がざるを使って蜆を採った」と載っています。

 築地川公園 入船橋を右に曲がった所にあった軽子橋から備前橋までの長い公園です。

園内にデイキャンプ場がありよくバーベキューをしている光景を見ます。

幼児向けと児童向けの複合遊具があります。6つの公園で遊具があるのはここだけでした。

多くの樹木、草花と小川のせせらぎで四季折々の風景を楽しめます。

また園内には堺橋暁橋の親柱があります。堺橋のあったところで築地川は分岐します。

 ”築地川” の名を冠した公園

 築地川公園 入船橋側の地下部分は多目的広場で、わんわん広場とキャッチボール場と表記されています。この位置は一番最後まで水が残っている場所です。冬の寒い日は一面氷が張っていた記憶があります。

地下に降りる所の駐輪場の場所には、入船橋が出来る前から軽子橋がありました。橋名の由来は不明だそうです。軽子とは運搬などをする人足のことで、この辺りに沢山いたのでしょうか。

以前ブログに書きましたが、吉良邸に討ち入った赤穂浪士は永代橋を渡って泉岳寺へ向かいます。途中旧藩主浅野内匠頭の屋敷を目指したと思われます。その時は若狭小浜藩酒井氏の屋敷です。上野介の首をぶら下げた一団が門前を通ると一悶着が起きる可能性があり、軽子橋を渡って築地川の対岸から屋敷に報告したとすっとこどっこいは考えてます。

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=3511

階段を下りるとバスケットボールのゴールポストがある広場に出ます。駐輪場の下から駐車場の方へ向かって100mほどの長い空間があります。奥の方には地元の少年野球チームオール鉄砲洲が使っているのでしょうか、バッティングネットが張ってありました。キャッチボールや素振りが出来るスペースです。首都高速晴海線延伸計画の中断によって残されたトンネルのようです。

 ”築地川” の名を冠した公園

首都高速の上で 築地川 の名がつく公園、築地警察署前の 築地川亀井橋公園 です。

明治時代に旧津和野藩主の亀井氏の私財で架けられた橋だと説明があります。

上流になるのかわかりませんが、中央区役所前三吉橋からの流れが 築地川 と呼ばれていますが、三吉橋には公園と呼べる場所はありません。

 ”築地川” の名を冠した公園

 築地川亀井橋公園 は中央区ものしり百科に ”中央の広場にあるペレニアルガーデンには、約75種の宿根草が植えられ” とあります。宿根草とは植えっぱなしでも毎年花を咲かせてくれる草木のことです。マリーゴールドやセージ、白蝶草など一年を通して花が鑑賞できると言います。

白いオブジェは ”光のモニュメント” と言い、井出則雄さんの作だそうです。

 ”築地川” の名を冠した公園

その隣、電通ビルの横にあるのが 築地川祝橋公園 です。

この公園名のプレートには ”築地川” の文字がありませんが、中央区エリアマップや地図等には 築地川祝橋公園 と表記されています。

以前、すっとこどっこいが通った時、この公園でボランティア団体による炊出しが行われていました。

春の桜はとても綺麗です。レンガ作りのような階段状の腰掛けるスペースがある公園ですが、特にオブジェや花壇は無く、地味な存在に見えます。工事中の電通ビルが完成するとイメージが変わると思いますが。

橋の上の道路側には、東京名所図解 ”歌舞伎座の図” のプレートが埋められた石碑があります。

今は江戸バスの停留所で ”祝橋” があります。

 ”築地川” の名を冠した公園

首都高速の上の晴海通りの右左、 築地川銀座公園 です。

ここにある橋の名前は 萬年橋 と言います。亀井橋祝橋の例でいけば築地川萬年橋となるはずですが・・・

やはり銀座の名前には勝てませんよね。

築地から歌舞伎座銀座に向かう晴海通りです。車も人通りも大変多く、華やかで明るいこの場所が橋だったと思われないかもしれません。

銀座5丁目側の公園はスペースは小さいです。WELCOME to TSUKIJI のボードで波除神社の獅子のイラストが出迎えています。

 ”築地川” の名を冠した公園

銀座4丁目側の公園には ”名犬チロリ記念碑” があります。殺傷処分寸前で助けられたチロリは、後にセラピードッグの代表犬として全国で活躍し多くの高齢者や障害者に大きく貢献したと刻まれています。セラピードッグ認定1号犬だそうです。

 ”築地川” の名を冠した公園

 築地川 が少し左にカーブする位置にあるのが 采女橋 です。江戸前期に松平采女正の屋敷があったのが由来と説明のプレートがありました。

橋の欄干は銀座の柳と築地にあった日本最初の洋館の築地ホテル館のデザインです。 新橋演舞場 をバックに写真を撮りました。

  築地川采女橋公園 新橋演舞場のある野村不動産銀座ビルの隣です。場所的に晴海通りから奥に入った感じでさほど人通りが多いと思いませんが、開演待ちの人が並ぶ前などは公園内に大勢の人がいる時もあります。

 ”築地川” の名を冠した公園

色々な形の石が置いてある園内の奥は果樹とハーブの見本園となっています。草木の多い公園です。

端っこですがここの住所は銀座です。様々なハーブ類と共に、カキ、ナシ、ウメ、夏ミカン、ビワ、イチジク、スモモ、カリン、ヤマモモなどの木があります。なんか凄いと思います。

 

 ”築地川” の名を冠した公園

最後は 築地川千代橋公園 です。仙台藩上屋敷があった場所が由来の橋。銀座中学校のグランド横にあります。

朝日新聞東京本社国立がんセンター中央病院の間の道、中央市場通りの両側に位置します。

休憩スペースと喫煙所が各々に設置されています。

元の築地川はそのまま東京国税局の横を通り、浜離宮恩賜庭園の周りに今もある築地川と合流していたようです。

築地川の名を冠した公園の並びでいけば、築地川浜離宮庭園の名で・・・とはいかなかったのですね。

 

江戸の街は掘割で出来ていると言われます。

中央区も水に囲まれた街並みであったと改めて感じました。