15年後、日本橋から空が見える!Part2
去る2026年4月5日(日)に「春の名橋『日本橋』まつり」が開催されました。
昨年も訪問し、こちらの記事を執筆しました。
丸一年経過し、一部の熱心な読者の皆様は覚えているかもしれませんが、、開催内容はほぼ昨年と同じだったので、本ブログもほぼ同じ内容の二番煎じでいきたいと思います。
特に目を引くのはクラシックカーの数々。なかなか圧倒はされましたが私はあまり興味がありません。(個人の感想です)
今年も目を引いたのは「首都高速道路(株)」のブース。
ニュースで聞いたことある方もいるかと思います。
本ブログのタイトル通り、日本橋がかかる日本橋川上空に走る首都高が、2035年までに地下化し、その5年後の2040年までに高架が撤去されます。タイトルは去年の使い回しなので、本当は14年後です。(2026年現在)
昨年、銀座を囲み逆コの字を描くように走っていた東京高速道路(KK線)が廃止になったり、首都高八重洲線が通行止めになったり、一部は既に首都高の高架が取り外されたりと、動きが活発化してきました。
今年もその首都高のブースにてゴーグルをかけて首都高がない日本橋周辺をメタバース体験してきました。ただし去年とコンテンツが異なっていたので違いをご紹介
去年
・座っている位置から首都高の高架が消えている風景
・上空から俯瞰した首都高の高架がない風景
・日本橋川の船上から、高架がない日本橋へ向かう風景
今年
・座っている位置から首都高が消えている風景(昨年とたぶん同じ)
・上空からですが、掘削するトンネルの場所を重ねて表示された風景
→日本橋付近で左下から右上に斜めに地下で日本橋川を渡ってました
・掘削されたトンネルを常盤橋側から車で移動。だだしトンネル上部がスケルトンになっていて、地上の位置が分かる動画
高架がない風景は近い将来実際に見ることができますが、2番目のトンネルの位置を重ねた風景や、3番目の上部スケルトンの移動の動画は実際には見ることができないので、とても新鮮に感じました。
TOP画像に写ってますが首都高の橋げたに「日本橋」と掲げられてます。
明治44年(1911年)に現在の日本橋が架けられた際、当時の東京市長尾崎行雄氏が徳川慶喜に依頼をしたとか。AIの回答によると尾崎行雄は、
「江戸から東京へ戦火を交えず無血開城できたのはひとえに屈辱に耐え、負けを認めて恭順姿勢を貫いた慶喜公のおかげ」
という思いを強く持っていたからとのことです。つまり1963年に作られた首都高の為に書かれたものではなく、親柱に書かれた文字を横書きにしたもの。
「江戸から東京へ戦火を交えず無血開城できたのはひとえに屈辱に耐え、負けを認めて恭順姿勢を貫いた慶喜公のおかげ」
という思いを強く持っていたからとのことです。つまり1963年に作られた首都高の為に書かれたものではなく、親柱に書かれた文字を横書きにしたもの。
ただ高架に掲げられた「日本橋」方が親柱の橋名板より断然目立つし、平坦な道なので、そこに橋が架かっていることに気づかずに日本橋を通過してる方は、首都高の高架自体の事を「日本橋」と認識している方も少なからずいそう。(昨年も同じこと書いたけど、やっぱり今もそう思う)
高架撤去により、日本橋が目立ってくるといいな
高架撤去により、日本橋が目立ってくるといいな
■詳細はこちら
首都高速道路日本橋区間地下化事業
ここで動画見れます
https://www.shutoko.jp/ss/nihonbashi-tikaka/future/
VR体験ブース
パネルや模型で事業の説明
首都高入り口の案内板で作成したベンチ
中心にある日本国道路元標
三越新館前の元標の広場でレプリカを見ることができますが、こちらは日本橋中心にある本物。
道路の真ん中にあるので、普段はなかなか写真を撮ることができません
オフィシャル