今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

先日「今はなき「逓信省」が銀座の外れに建っていたお話」を執筆しました

今回はその続編です!

「逓信省」だけでなく、今はなき農商務省」の建物が、新橋演舞場の隣の場所に存在していたことを、仕事の合間にネットサーフィン(もはや死語w)して知りました。
当時新橋演舞場は、まだ存在してないので、本ブログのタイトルは正しくありません。

正しくは「今はなき「農商務省」が、現在の新橋演舞場の隣にかつて建っていたお話」です。

いわずもがなTOP画像がその「農商務省

農商務省」ってなによ?

わたくし含めて、令和に生きる人間はなんじゃそれですな? (昭和から生きてるけど)

ってことで、今回も、Google先生の要約を転記します! 

ここから
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◆農商務省(のうしょうむしょう)
明治・大正期に日本の農林水産・商工業行政を担った中央官庁です。殖産興業政策の推進を目的に1881年(明治14年)に設置され、1925年(大正14年)に農林省と商工省へと分割・発展解消されました。

◆沿革と背景 
・設置: 1881年(明治14年)4月7日 
・分割・廃止: 1925年(大正14年)4月1日 
・目的: 内務省、工部省、大蔵省などに分散していた産業振興(農業、林業、水産業、鉱業、商業、工業など)に関する部局を統合し、効率的な殖産興業政策を推進するために設立されました。

◆現代の行政機関への系譜
農商務省が1925年に二つに分割された後、それぞれ以下のような変遷をたどって現在の官庁に引き継がれました。
・農林省の系統
→農林省から農林水産省となり、現在の農業、林業、水産業に関する行政を管轄しています。

・商工省の系統
商工省は、のちに軍需省などを経て通商産業省(通産省)となり、現在の経済産業省へと改組されました。

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ってここまで。

へー、なるほど。

農がつくから農林省の元であることは想像できますが、経済産業省の元だったとのことですな。
念のため内容に誤りがないことはウィキペディア等を見て確認しました。 

こちらの建物が建っていた場所はこちらでございまする。

◾️建っていた場所(当時の古地図)

◾️建っていた場所(当時の古地図) 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

1920年頃の地図です。
赤枠に建っております。右側に緑枠で囲ってますが「農商務省」の文字が確認できます。
今は首都高に転用されている築地川本流には、川らしく水が流れてます。
現在は車が走りやすくいよう、ゆるくカーブしている采女橋部分が、城下町に見られる鍵型道路(鍵の手)のようにクランクしていたことがわかります。

って説明しても、古地図だと、ここはどこ?

◾️現在の地図

◾️現在の地図 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

ってことで、お料理番組的に、100年時間がたった現在のGoogleマップに差し替えます。
東銀座駅から見て南方面、新橋演舞場の隣にあたります。

ここで、建物の概要を「公共建築協会」のサイトから拝借。

■農商務省庁舎概要

■農商務省庁舎概要 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

着工:明治21年(1888年)
完成:明治24年(1891年)
取り壊し:関東大震災
所在地:木挽町
構造・階数:煉瓦造3階
延床面積:925坪
営繕機関:臨時建築局
設計者:新家孝正
施工者:日本土木会社

公共建築協会
公共建築アーカイブ>明治期の官庁施設
https://www.pbaweb.jp/association/labo/pb_archive/meiji150_gov_building/

なかなかご立派な洋館ですな。

左手前に写っている祠が気になります。
江戸時代から地元に根付いていた稲荷が、開発で追いやられてしまったのでしょうか。
中央区は現在再開発ラッシュですが、この時代も再開発ラッシュだったのでしょう。

明治24年(1891年)に完成し、関東大震災(※)で消失とのことで、30年数年存在しておりました。
※大正12年(1923年)9月1日

現代の風景

現代の風景 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

築地川の手前の東側から撮影
写真右半分の建物が該当の場所です。現在は「銀座六丁目スクエア」が建ってます。
左側には新橋演舞場が構えます

 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

近くに寄って采女橋付近から撮影

 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

この場所、観光検定の教本ものしり百科に載っているので、検定を受けられた方は実際に訪問したのではないでしょうか。
そう、こちら「東京商工会議所発祥の地」の碑がある場所です!

「東京商工会議所発祥の地」の碑

「東京商工会議所発祥の地」の碑 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

わたくしも、2年前ぐらいに観光検定の勉強時に訪れ、写真は撮ったものの、刻まれた文をちゃんと読んでませんでした。今回改めて確認した所、この場所に農商務省があったことが書かれてました。

「明治維新の国是をふまえ 欧米諸国の制度文物を 取り入れ 時の産業界の指導者が相携えて 明治11年3月12日 商工業発展のための総合的組織体として 東京商法会議所(東京商工会議所の前身)を創立し その事務所をおいたのがこの地である
ここには明治24年以来 農商務省 ついで商工省 が昭和18年まで所在し明治、大正、昭和の3世代 にわたって 日本産業発展のための官民協力の場と もいうべきところとなった」

って

商工会議所と農商務省の関係を(AIがw)調べましたのでまとめます

・1878年(明治11年):渋沢栄一らにより 東京商法会議所(現・東京商工会議所) がこの地に設立。 
・1891年(明治24年)以降:同じ場所に 農商務省 が置かれた。 

その後、農商務省は 商工省 へと引き継がれ、明治・大正・昭和の産業行政の中心地 なりました。
この場所は民間の商工会議所から始まり、 日本の産業発展を担う省庁へと連続して使われたという歴史的意味を持ちます。

なぜ、同じ場所に省庁が建てられたのか・・
明治政府は「富国強兵・殖産興業」を掲げ、商工業の振興と外国貿易の強化を急務としていたからのようです。
商工業者の意見をまとめる民間組織(商法会議所)と、産業行政を統括する官庁(農商務省)が 同じ場所に置かれることは理にかなっていたと。

※間違いないか裏は取ってます。

黄昏時にはこんな様子に

黄昏時にはこんな様子に 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

この場所に行った際には、目を瞑ってかつてのレンガ造りの建物を、脳内でプロジェクションマッピングしてくださいませ。

おまけ

おまけ 今はなき「農商務省」が新橋演舞場の隣に建っていたお話

上記撮影の帰り、近くの築地本願寺にぷらり
頭にかかっていた修繕工事の足場が撤去されてました。
※農商務省に関係はありません

■参考文献
https://840.gnpp.jp/tokyoshokokaigisho