国民栄誉賞の希代の二枚目 長谷川一夫 ミーハーの語源の人

日比谷線の小伝馬町駅界隈。人形町周辺の賑わいや横山町の問屋街と趣が変わります。

特に人形町通りを秋葉原に向かい、江戸通りを超えて十思公園の周りは独特の雰囲気を感じます。

銅鐘 石町時の鐘や江戸長唄三味線の杵屋勝三郎の記念碑もありますが伝馬町牢屋敷跡であり吉田松陰終焉之地であるからでしょうか。その跡地には誰も住む人はありません。放置された土地に、身延山久遠寺の上人が中心になり、亡霊たちを慰めるために法華の道場を建立したようです。それが身延別院です。

ヒノキ材で作られた日蓮上人像が安置されています。胎内に明応6(1497年)7月13日の墨書きがあるそうです。公開されていませんが、東京都指定有形文化財です。

 国民栄誉賞の希代の二枚目 長谷川一夫 ミーハーの語源の人

境内に入ると左手に大黒様が安置されています。

油かけ大黒天神と言います。

手前にある銀色の柄杓で油を掬ってかけて拝むようです。東京にある唯一の油かけ大黒です。

 国民栄誉賞の希代の二枚目 長谷川一夫 ミーハーの語源の人

油かけ大黒天神の由来の説明版です。

京都伏見の出身の 長谷川一夫 の名前が出て来ます。伏見の油掛町で油商人が間違って道端の石像に油をかけてしまったら商売がうまくいったのがこの大黒天の由来です。 長谷川一夫 のしげ夫人が帝都に祀れと夢にみたそうです。その経緯が書かれています。

 長谷川一夫 は活躍の場を歌舞伎界から映画へ移した昭和を代表する二枚目時代劇スターです。すっとこどっこいの曾祖母は大ファンだったそうです。「”ハヤシチョウジ”はいい男」とよく言っていました。何のことかわかりませんでしたが以前の芸名が林長二郎だったのでそう呼んでいたようです。「若い女の子はみつ豆とハヤシチョウジが好きで、みつ豆のミーとハヤシのハーでミーハーと言う」と教えてくれました。”みいちゃん”と”はあちゃん”の名前の子が多いからという説もありますが・・。すっとこどっこいは曾祖母の説をとります。

 

 

 国民栄誉賞の希代の二枚目 長谷川一夫 ミーハーの語源の人

築地方面から新大橋通り茅場橋を超えて、住所は小網町7番地になる所にガソリンスタンドがあります。

apollostation となっています。

すっとこどっこいの曾祖母が「蛎殻の車の油屋にハヤシチョウジが来て大騒ぎだった」と言っていました。その時はもう 長谷川一夫 に名前が変わっていますが。歌舞伎の師匠から貰った芸名が林長二郎で松竹から映画会社を移籍した時に暴漢に襲われ顔に大怪我を負います。犯人は捕まりますが事件の経緯は 長谷川一夫 も追及せず不明のままです。ただそれを契機に本名の 長谷川一夫 に改名したそうです。このスタンドのオープン日にいたのは、ゲストとかでは無く、経営者になったからです。

確信は無い話ですが、長谷川一夫 の率いた劇団が経営難で解散した頃で、大ファンであった出光興産の創業者が、安定した経済基盤の為に寄贈したようです。

 国民栄誉賞の希代の二枚目 長谷川一夫 ミーハーの語源の人

ガソリンスタンドの左側に ”KAZUO STAND” と書かれています。

亡くなられた後、経営者は変わられましたが、壁にあるネームプレートはそのまま使用されています。

掲載の許可を頂きに営業時間中にお邪魔しました。副店長さんが社長さんと連絡を取ってくれました。

頂いた名刺には apollostation 出光興産株式会社特約販売店 とあり、現在の経営会社の明光石油株式会社  と 日本橋カズヲスタンド店 と書かれています。 ”ヲ” の文字にこだわりを感じます。

すっとこどっこいの年齢では銀幕の時代劇スターは勿論、テレビに出るようになって大当たりした大河ドラマの”赤穂浪士”も全く記憶にありません。でも大河ドラマの中のセリフで流行語にもなっていた「おのおのがた 討ち入りでござる」は桜井長一郎や林家木久扇のものまねで知っていました。

すっとこどっこいの結婚披露宴に父親の得意先が出席してました。キャンドルサービスで登場したすっとこどっこいのスーツ姿を初めて見たからでしょうか「ぃよっ!!ハセガワカズヲ!!」と大声をかけてくれました。新郎は苦笑、新婦は爆笑でした。

 

 国民栄誉賞の希代の二枚目 長谷川一夫 ミーハーの語源の人

百田尚樹の小説”海賊とよばれた男”は映画化されました。劇中、岡田准一が演じた国岡鐵造のモデルの男が出光興産の創業者 出光佐三(いでみつ さぞう)です。この人が 長谷川一夫 にガソリンスタンドを寄贈したと思われる方です。小説内の最後のクライマックスは、当時世界最大のタンカーである日章丸を使って、イギリスと日本政府からも反対されたイランからの石油輸入を行った、いわゆる日章丸事件です。 出光佐三 は腹の座った(男)です。ファンである 長谷川一夫 も暴漢にほほを貫かれても役者をやめなかったです。二人は友好な関係で佐三の出身地宗像市の宗像神社に一緒に参拝した写真は媒体に多く掲載されたようです。

すっとこどっこいの小学校時代の社会の教科書には日章丸以後の最大のタンカー出光丸の写真が載っていました。昭和通り歌舞伎座の左上方にあった出光の大きな広告看板も印象に残っています。

 長谷川一夫 は1984年に亡くなります。没後に俳優としては初の国民栄誉賞を贈られます。出光佐三はその3年前に亡くなりました。その受賞を二人とも知りません。

知っていたら佐三も大変喜んだことでしょう。