築地の来し方・行く末
工事が進んでいる築地の開発地の外側の囲いに、築地のたどって来た歴史と未来が描かれています。
海を埋め立て築いた土地の築地は時代によりさまざまな姿がありました。
江戸時代
1657年に起きた明暦の大火後に開発された土地は武家地になります。大名の別荘地である中屋敷や下屋敷が多く作られました。江戸幕府で寛政の改革を行った老中松平定信の下屋敷もあり、隠居後ここに浴恩園という庭園を築きました。
明治時代
維新を迎え、築地に外国人居留地が設けられました。新たな貿易市場として広く外国の異文化を受け入れる窓口になりました。
日本最初の本格的洋風ホテル、「築地ホテル館」は、わずか4年足らずで大火により焼失し、「幻のホテル」とも言われています。
その後、海軍省の用地として関連施設が展開し、関東大震災まで使われました。
昭和時代
1923年(大正12年)の関東大震災を機に、震災で焼失した日本橋魚河岸が移転して来ました。そして1935年(昭和10年)に旧築地市場が開場しました。旧築地市場は、都内に11ある東京都中央卸売市場のうち、最も古い歴史を持つ総合市場でした。
2018年(平成30年)新たに豊洲市場が開場し、築地市場は83年の歴史を閉じ、跡には広大な敷地が残りました。
そして未来へ
築地の未来図が掲げられています。
陸、海、空、の広域交通で世界の人々を迎え、スポーツ大会やコンサートなどのイベント、国際会議が行われる施設、超高層ビルの中の会社や住宅、周りは豊かな緑の街を目指して工事が進めれれています。
私たちが引き継いで行くもの
江東区木場にある「第五福竜丸展示館」の庭に大きなマグロ塚の碑が置かれています。
1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被災した第五福竜丸から、放射能で汚染された魚が水揚げされ、消費者の手に渡る前に築地市場の一角に埋められました。
本来はこの塚はマグロが埋められた築地市場に置くことがふさわしいのですが、市場が整備中であるため、暫定的に第五福竜丸のそばに展示されている旨がプレートに書かれています。
同じ内容のプレートが、東京メトロ大江戸線築地市場駅を上がって地上に出たところにあります。被災したマグロが埋められ廃棄された一角です。このプレートは全国から10円募金で参加した大勢の子どもたちと共に、再び核の被害が起きないことを願って作られたものです。
私たちはこの喪失の歴史を忘れずに伝え続けながら、未来への開発を見守りたいと思います。
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