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酒井抱一と宝井其角

「晋子肖像」酒井抱一 WIKIMWDIA COMMONS

酒井抱一が描いた「晋子肖像」です。「晋子」は宝井其角の俳号のひとつです。よってこの絵は酒井抱一が描いた宝井其角になります。

酒井抱一蔦屋重三郎喜多川歌麿等と同時代に生きた人です。浮世絵、滑稽本などが流行した化政文化の時代に江戸琳派の祖として絵を描き、また俳人としての才能も開花させました。

一方、宝井其角は酒井抱一より約百年前元禄時代の俳人です。松尾芭蕉の弟子で蕉門十哲として優れた句を残しました。

酒井抱一はなぜ百年も前の宝井其角の肖像を描いたのでしょうか?

「晋子肖像」は百幅もある!?

俳句に取り組んでいた抱一は其角に魅せられていました。

冒頭の「晋子肖像」は文化3年(1806)の「其角百年忌」にあたり略画体の肖像百幅を描き其角の句を書き入れ知人や関係者に配ったもののうちの一幅。百幅とは…すごい数ですね。

絵の左下の赤い印は「晋子肖像百幅之弐」となっています。通し番号です。これは2番。現在確認されているのは4幅あるようです。

 

冒頭の一幅に描かれている其角は十徳羽織を着て、傍らには如意がおかれています。

十徳羽織とは現在だと茶道をしている方が着ている黒い透け感のある麻や紗で作られている羽織です。普通の羽織と違うところは袖口が普通の羽織と違い大きく開いている点と前で結ぶ紐が共布でできているところです。

如意とは僧侶が説法の時に持つ道具です。

この2つのアイテムは当時の俳諧師匠や文人、風流人のステータスとして使われ宝井其角も肖像画や彫像で十徳羽織、如意の姿で現されています。

 

書かれている句は「夜光る うめのつぼみや 貝の玉」

 

確認されている他の三幅の句をご紹介しておきます。

仏とはさくらの花の月夜かな  (現在所在不明)

お汁粉を還城楽(げんじょうらく)のたもとかな (現在所在不明)

乙鳥の塵をうごかす柳かな (個人蔵) 

 現存するこの絵は冒頭の一幅と同じ十徳羽織を着て正座する姿。うつむき加減の姿を斜め後ろからみたもの。

 

他の九十六幅にはどんな句と其角の姿が描かれていたのか興味をそそられます。しかし散逸してしまっているので知ることができないのが残念です。どこかの旧家の蔵に眠っていたものが発見されたりしたらいいですね。

 

尾形光琳の百回忌も

尾形光琳の百回忌も 酒井抱一と宝井其角

酒井抱一「夏秋草図屏風  ColBase

抱一の絵で最も知られているのがこの「夏秋草図屏風」(別名「風雨草花図」)ではないでしょうか。

この屏風絵は尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に描かれたものです。「雷神」の裏に驟雨に打たれて生気を取り戻した夏草と増水した川が。「風神」の裏に強い風にあおられている秋草と舞い上がる野ぶどうの赤い葉が描かれています。11代将軍徳川家斉の父一橋治済の注文により描かれました。現在は保存上の理由から別々の屏風に仕立て直されています。

俳句では宝井其角に傾倒していた抱一は絵では尾形光琳を私淑していました。光琳の屏風の裏に描けるとは!腕が鳴ったことでしょう。あるいは緊張で身震いしたでしょうか。

 

其角の百回忌に百幅を描いたその十年後に奇しくも光琳の百回忌がめぐってきました。

文化12年(1815)百回忌の年、「観音像」を描いて光琳の菩提所京都の妙顕寺に奉納しました。

百回忌は大規模に行われ、光琳の作品を集めて展覧会をおこない、記念作品集『光琳百図』を刊行しました。また、この時も其角の時のように「百幅」を製作して関係者に配りました。「瓶花図」「禊図」「蟻通図」など光琳画に縁のあるものが描かれていたようですが、こちらも現存するものは少ないのが残念です。

抱一の経歴と句

抱一の経歴と句 酒井抱一と宝井其角

『古今狂歌袋』国立国会図書館デジタルコレクション

北尾政演こと山東京伝の絵で版元は蔦屋重三郎の『古今狂歌袋』の1ページです。

この狂歌の作者と肖像は「尻焼猿人(しりやけのさるんど)」若き日の酒井抱一です。脇息を傍らに敷物に座って、透かしの団扇を顔に当てていて直接顔をみることはできません。直接顔を見せないで描かれているのは抱一が姫路城主酒井雅楽頭家の次男という高い身分だということを表しています。

それにしても尻焼猿人とは?猿のお尻が赤いのは火に焼かれたから。その猿のように落ち着きがない人。という意味だそうです。落ち着きがないといっても俳諧や和歌、能、絵などの諸芸を嗜み、吉原遊郭や料亭で遊び、戯作者や浮世絵師と派手に遊び暮らしていたということでしょう。でも、それが抱一の才能を開花させる下地となったのでしょう。

37才で西本願寺文如上人の弟子となり出家したので37才以降の肖像画は剃髪した僧形です。出家することにより武士の身分ではないので顔を隠す必要もありません。身分のしがらみから解き放たれ一層自分の好きな芸能にうちこめたことでしょう。

宝井其角や尾形光琳の百回忌も出家以降のことです。出家しても吉原には通い続け大文字楼の花魁を身請けしました。とても教養のある花魁で抱一の「紅梅図」に漢詩を書いています。

 

上の『古今狂歌袋』の狂歌は

 長月の夜も長文の封じ目を開くればかよふ神無月たり

 

また、抱一の句集に「屠龍之技」(とりゅうのぎ)があります。

どれも江戸琳派の画家らしい印象的な情景と鮮かな色彩が浮かぶ句になっています。

まだまだ暑いですが、ゆく夏をふりかえりながら抱一の夏の句をご紹介します。

但し、最後の花火の句は抱一の句集では「秋」に分類されています。

 

 物申すに返事のをそき暑哉  をそき→遅き

 朝かほや花の底なる蟻ひとつ 朝かほ→朝顔

 黒楽の茶碗の缼けやいなびかり 缼け→欠け

 星一つ残して落ちる花火かな

 

【参考文献】

『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』 平凡社

『酒井抱一 俳諧と絵画の織りなす抒情』 井田太郎 岩波新書

『江戸服飾史』 金沢康隆 青蛙社

『西鶴抱一句集』文芸之日本社 国立国会図書館デジタルコレクション

酒井抱一 宝井其角 ゆかりの地(中央区)