坂本龍馬の妻 おりょうは人形町の西郷隆盛の屋敷に住んでいました
坂本龍馬の訃報を下関の海援隊支店で聞いたおりょうは、高知県の龍馬の実家に引き取られましたが、折り合いが悪く、すぐに坂本家を出ています。当時の大都会 京都生まれで、ここで育ったおりょうは高知県の田舎は窮屈だったかもしれません。
京都で坂本龍馬の墓守をしようと考えていましたが、金銭的な生活苦から、京都にも居づらくなり、東京に行く事になりました。
明治維新後に出世した海援隊のメンバーは、おりょうに冷たく、援助した人はほとんどいませんでした。
西郷隆盛と再会し、日本橋人形町の西郷隆盛の屋敷に世話になりました。
西郷隆盛はこの地で、明治政府の参議筆頭として、廃藩置県や学制の改革をやりました。
しかし、征韓論で敗れ、鹿児島に下野しました。後ろ盾がなくなったおりょうもその後、日本橋人形町を出て、神奈川宿で働き、横須賀に行きました。
横須賀では約30年を過ごし、66歳まで生きました。
令和8年は坂本龍馬の妻 おりょうの没後120年にあたり、「ひとり文芸ミュージカル おりょうさん」の上映などで盛り上がってます。
中央区にも西郷隆盛やおりょうさんのゆかりのスポットがあり、歴史を大きく変えたスポットと考えて史跡を訪ねると感慨深いです。
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