【ドラマブログPart4】
観光検定テーマ「幕末と中央区第2章」の巻

9/1に第19回観光検定のテーマが発表されました。

今回のテーマは「幕末と中央区」!

このブログをチェックされている方の中にも、観光検定を受ける方がいると思いますので、中央区に残された史跡に焦点を当て、幕末(1853~1868年頃)の事を全5章で小説風に紹介するシリーズの今回は第2回目です!

合格を目指す皆様、一緒に頑張りましょう。

※小説部分の執筆に一部生成AIを使用しております。
※TOP画像は日本銀行本店東門です

小説『混乱する経済と金銀流出 — 万延小判と金座 —』

安政五年(1858)六月。
大老・井伊直弼によって朝廷の無勅許のまま日米修好通商条約が調印されると、江戸城下は激震に見舞われた。

無勅許での開国に対する憤激から尊王攘夷運動が野火のように広がる中、江戸の経済の心臓部であった日本橋周辺では、より切実で深刻な「経済の崩壊」が急速に進行していたのである。

原因は、開港に伴って表面化した極端な金銀比率の格差であった。
西洋諸国の金銀比率が「1:15」程度であったのに対し、日本国内の比率は「1:5」と、世界的に見て金が異常に安く設定されていた。

この歪みに目をつけた異国商人は、大量の洋銀を持ち込んで日本の一分銀に両替し、その一分銀で日本の金貨(小判)を購入して海外へ持ち出した。こうして何十万両もの小判が瞬く間に海外へ流出していったのである。

日本橋の大伝馬町にある木綿問屋『伊勢屋』の店先では、主人の徳兵衛と番頭が帳簿を広げたまま頭を抱えていた。
「旦那様大変だ!両替商の前は金貨を買い集めようとする浪人や怪しげな商人で黒山の人だかりができているぞ。それに、生糸も茶も横浜へ飛ぶように買われていっちまって、江戸に入ってくる品物がさっぱり途絶えちまった!」

幕府は江戸の物資不足を回避するため、万延元年(1860)に五品江戸廻送令を発令し、生糸などの重要品目を一度江戸の問屋を通すよう命じた。
しかし、高く売れる横浜へ直接品物を流す動きを止めることはできず、法令は事実上有名無実化していた。

金の流出に歯止めをかけるため、幕府は同年、金の含有量を従来の三分の一近くにまで大幅に引き下げた新貨幣「万延小判」の発行に踏み切った。

 

 【ドラマブログPart4】
観光検定テーマ「幕末と中央区第2章」の巻

※生成AIによるイメージ図(時代考証してません)

「これを見ろ、徳兵衛さん。こんな小さくて薄っぺらい小判に改鋳されたら、金の価値が下がって物価が跳ね上がっちまう。これじゃあ商いどころか、今日明日の飯も食えねえよ!」

薬種問屋の主人が、手のひらに乗せた軽々しい万延小判を見つめ、怒りに震えながら吐き捨てた。

万延小判の発行は深刻なインフレを引き起こし、米や味噌をはじめとする日用品の価格を極端に押し上げ、庶民の暮らしを直接圧迫したのである。

この大規模な改鋳計画を裏で支え、不休で鋳造を続けたのが金座(現在の日本銀行の場所)であった。この鋳造所からは、昼夜を問わず槌の音がカンカンと響き渡り、金属を溶かす炉の煙が黒々と江戸の空を覆っていた。近隣の住民は煙と騒音に眉をひそめつつも、刻一刻と変わる貨幣の価値に怯えていた。

「異人に金を奪われ、お上は質の悪い小判を造って誤魔化すばかりだ。このままでは庶民も国も滅んでしまう!」

その頃、南伝馬町(現在の中央区京橋付近)や八丁堀の目抜き通りを、竹光を差した浪士たちがギラギラとした眼差しで行き交っていた。経済の混乱と物価高騰は庶民の怒りに火をつけ、日本橋周辺は尊王攘夷の熱気と生活苦の叫びが渦巻く、幕末の混乱の渦の中心地となっていたのである。


第3章につづく

金座跡〜大伝馬町紀行

金座跡〜大伝馬町紀行 【ドラマブログPart4】
観光検定テーマ「幕末と中央区第2章」の巻

『混乱する経済と金銀流出 — 万延小判と金座所 —』のドラマはこれまで。
今回のドラマで登場した「金座」と「大伝馬町」を大河ドラマ風に、現代の景色を紹介します。

金座

金座 【ドラマブログPart4】
観光検定テーマ「幕末と中央区第2章」の巻

現在、日本銀行本店の場所には江戸時代、金貨製造所「金座」がありました。
文禄4年(1595)徳川家康が後藤光次(金工)を江戸に招いて小判製造を始めたのが金座の始まり。
金座は江戸時代を通じて、勘定奉行の支配下にあって、金貨(小判および一分金など)の製造・鑑定・地金類の買収・監察を行なっていました。

日本銀行本店(旧金座跡)
所在地:中央区日本橋本石町2-1-1

隣には「日本銀行 金融研究所 貨幣博物館」があり、館内には「万延小判」や、幕末の金銀流出のメカニズムに関する資料が展示されてます。

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貨幣博物館の建物の名前は「日本銀行分館」です

 

大伝馬町

大伝馬町 【ドラマブログPart4】
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中央区日本橋大伝馬町(おおでんまちょう)は、徳川家康が江戸を開いた江戸時代初期に、五街道の陸運拠点および木綿問屋街として始まりました。三河出身で家康に仕えた馬込勘解由が、道中伝馬役(どうちゅうてんまやく:宿駅で人足や馬をそろえて物資や書状を運ぶ役目)を命じられ、この地に屋敷を構えたことが地名の由来。
江戸時代に大規模な木綿問屋街が形成され大いに栄えた。

大てんま町木綿店

大てんま町木綿店 【ドラマブログPart4】
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歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』の「大てんま町木綿店」にもその活気ある様子が描かれています。

 

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昭和通りから旧日光街道、現在の大伝馬本町通りを2ブロックぐらい進んだあたり。
刷毛やブラシの江戸屋が左手に構えてます

その他重要キーワード解説

尊王攘夷運動
天皇(朝廷)を尊び、外国勢力を排除しようとする幕末の政治運動。無勅許での条約締結や経済の混乱に対する反発から全国へ拡大した。

五品江戸廻送令
万延元年(1860)、幕府が開港に伴う物価高騰と品不足を抑えるために出した法令。生糸、雑穀、水油、ろう、呉服の5品目を横浜へ送る際、必ず一度江戸の問屋を通すよう命じたが、実効性は薄かった。

万延小判(万延改鋳)
万延元年(1860)、幕府が海外への大量の金流出を極力防ぐために実施した貨幣改鋳。金の含有量を安政小判の約30%に激減させたため、急激なインフレ(物価高騰)を引き起こし、幕末の混乱を一層助長した。

次回予告「海洋国家への試み — 築地・軍艦操練所と若き俊英たち —」