ぴっか

お正月?初午?鶴屋喜右衛門の店頭

『江戸名所図会 錦絵』国立国会図書館デジタルコレクション

通油町(現在の大伝馬町)。蔦屋重三郎の耕書堂の通りを挟んで向かいにあった地本問屋、鶴屋喜右衛門の店、屋号は仙鶴堂の様子を描いています。

放送中のNHK大河ドラマ「べらぼう」では風間俊介さんが鶴屋喜右衛門を演じています。第4回の放送では、吉原遊女の華やかな着物に憧れる市中の女性たちがいることに蔦重が目をつけます。そこで呉服問屋をスポンサーとして呉服問屋がとりあつかう着物を着せた遊女の錦絵『雛形若菜初模様』を作つくろうと企画します。吉原にとっても呉服問屋にとっても願ってもない話。しかし、鶴屋喜右衛門は仲間ではない者に版元はやらせられない。私たちにすべて任せなさいと、にこやかな笑顔でビシッと蔦重を排除しています。今後どうなるのでしょうか。

さて、話を戻します。

この店は京都の書物問屋鶴屋喜右衛門が江戸に出店した店です。書物問屋とは仏書、歴史書、儒学書、辞書などお堅めの本を取り扱った本屋です。それに対し、江戸独自に発展した絵入りの娯楽的な戯作本を扱ったのが地本問屋です。元々、書物問屋だった仙鶴堂も江戸独自の娯楽本や錦絵を製作しその道でも有名店となりました。

 

絵の中には

「錦絵 江戸の名産にして他邦に比類なし 中にも極彩色殊更高貴の御翫(もてあそ)ひにもなりて諸国に賞美すること尤(もっとも)夥(おびただ)し」

とあります。「江戸の名産」「他邦に比類なし」「極彩色殊更高貴」など錦絵(カラーの浮世絵版画)が上方の真似ではない江戸独自の文化であることが誇らしく書かれています。

 

この文章とあいまって店先で凧が上がる鶴屋喜右衛門の書店は商売繁盛新春の喜びに満ち溢れているように見えます。新春。お正月の風景に見えます。私もそのつもりでブログを書き始めました。しかし、これは本当にお正月の風景なのでしょうか。『江戸名所図会』には時期についての言及はないようです。

私は、もしかすると2月の初午の頃を描いたものでは?と感じました。

初午とは2月初めの午の日です。穀物の神様が稲荷山(京都伏見稲荷神社)に降臨したのが初午だったことから稲荷神社の祭日となりました。全国各地の稲荷神社で五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を願う初午祭が行われるようになりました。

この絵は2月初午の頃を描いたのではと思ったのは以下の3点です。

①大きな絵馬を担いだ男性

①大きな絵馬を担いだ男性 お正月?初午?鶴屋喜右衛門の店頭

『江戸名所図会』の右ページの左寄りにいる男性を拡大してみました。大きな絵馬を担いでいます。

現在は絵馬というと神社で授与され、願い事を書いて奉納する小さい絵馬を思い浮かべますが、江戸時代には絵馬師と呼ばれる専門の職人が描いた大きい絵馬を2月の初午に稲荷社に奉納することが流行していたようです。厳密にいうと大絵馬は扁額のような大型のものなのでこの絵馬は小絵馬ということになりますが、現在の絵馬に比べたら担ぐほどの大きさなので大きめですね。

 

『東都歳時記』に「江戸中稲荷祭、前日より賑わへり、初午の以前、絵馬太鼓商人町に多し、」と書かれています。二月の初午の前になると絵馬が江戸市中で売られていたようです。

 

下の絵にも大きめの絵馬を持って王子稲荷(現在の東京都北区)に参拝にでかける女性たちが描かれています。

 お正月?初午?鶴屋喜右衛門の店頭

「王子稲荷初午ノ図」一陽斎豊国、香蝶楼豊国 

国立国会図書館デジタルコレクション

「伊勢屋稲荷に犬のくそ」と言われるほど江戸市中には稲荷神社がたくさんありました。『江戸名所図会』の男性は王子稲荷までいかなくても近所にある稲荷神社へ奉納に行くところなのかもしれません。

絵馬が初午の行事だとしたら『江戸名所図会』の絵は正月ではなく2月初午?

 

②凧あげ

②凧あげ お正月?初午?鶴屋喜右衛門の店頭

2つの凧を拡大してみました。この情景があたかも正月に見える要因です。もちろん江戸時代も凧は正月の風物詩です。正月から初午の頃までが凧あげの時期だったようです。

王子稲荷では初午と二の午に「凧市」が開かれます。これは江戸時代から現在も続く行事です。今も王子稲荷神社で「凧市」が開催(2月の初午と二の午の日)されます。北区のホームページには凧市の由来について「江戸のまちはよく火事に見舞われ、熱風が大火につながることから、風を切って揚がる凧を火事除けのお守りにと、民衆が同神社の奴凧を「火防の凧」として買い求めたのが始まり。」と、書かれています。

王子稲荷の凧市ではかわいらしい奴凧を授かることができます。

『江戸名所図会』で揚がっているのは「龍」の文字の凧と「奴凧」です。奴凧ということは2月初午の可能性もあるのではないでしょうか?

 

③淡島願人(淡島さま)か?

③淡島願人(淡島さま)か? お正月?初午?鶴屋喜右衛門の店頭

『江戸名所図会』の右ページ真ん中の手前にいる人を拡大しました。

正面ではないのでわかりにくいですが頭巾をかぶり、胸の前に飾りのついた箱のようなものを抱えていることから「淡島願人」ではないかと思われます。淡島願人とは?

和歌山県の淡嶋神社を総本社とする淡島神の神徳をといてまわった人の事です。淡島神は女性の守り神です。婦人病、子授け、安産、裁縫、人形供養などにご利益があります。

江戸時代には淡島願人(淡嶋さま)と呼ばれる人が淡島神を祀った厨子をもって鈴を振り、淡島神の由来や神徳を語り、祭文を唱えながら門付け(金品を受け取る)をしてまわりました。

淡島神を祀った厨子には折り鶴くくり猿がたくさんつけられていたようです。くくり猿は京都の八坂庚申堂で有名ですね。カラフルなお手玉のようなものがお堂にたくさんつるされているあそこです。お手玉のように見えるのは猿が手足をくくられて動けなくなっている姿を現しています。猿は欲望のままに行動します。人も願いを叶えようとするとき心の中の欲望が猿のように動いて願いを叶えることを妨げようとします。欲望に走らぬよう自分を戒める目的でくくり猿に欲望をくくりつけておくのです。

 お正月?初午?鶴屋喜右衛門の店頭

『世渡風俗図会』 国立国会図書館デジタルコレクション

この絵は『世渡風俗図会』の淡島さま(淡島願人)です。厨子に折り鶴は見えませんがくくり猿のようなものがたくさんついているのがわかります。『江戸名所図会』の人に服装や持ち物が似ていますよね。よって『江戸名所図会』の人も淡島願人と思われます。

淡島神を祀る淡島堂は各地にあります。東京で有名なのは浅草寺淡島堂です。浅草寺淡嶋堂に関しては過去のブログをどうぞ。

淡島堂の針供養は2月です。各地の針供養は淡島願人が広めたといわれています。針供養の2月を想起させるものとして淡島願人を描いたのかも?

正月とする根拠

この絵を正月の風景とする記事や本を見かけます。正月と考えられる要素は次の点だと思われます。

①なんといっても店頭の賑わい。正月が新刊本の売り初め。秋に本はできていても正月元旦に売り出す。店頭の賑わいは正月。そえられている文章の錦絵の賛辞もお正月のめでたさに合っている。

②凧あげの光景。 やはりた凧あげはお正月を象徴する光景。

③立派な籠に乗る女性。 年始のご挨拶にお出かけになる様子かも。

絵馬はなにか願い事があれば奉納すると思われます。お正月だとしても不自然ではない。

蔦屋重三郎の耕書堂跡の説明板と鶴屋喜右衛門の店のあった周辺

蔦屋重三郎の耕書堂跡の説明板と鶴屋喜右衛門の店のあった周辺 お正月?初午?鶴屋喜右衛門の店頭

左手前の説明板が蔦屋重三郎の耕書堂の跡です。

同じ通りのはす向かい辺りに鶴屋喜右衛門の店がありました。蔦屋重三郎と鶴屋喜右衛門。同じ戯作本を出版するご近所の本屋としてどのような関係だったのでしょうか。

天明8(1788)頃に蔦屋重三郎、鶴屋喜右衛門、山東京伝の3人で日光東照宮に参詣したり、寛政4(1792)に山東京伝が書画会を開いたときに、蔦屋重三郎と鶴屋喜右衛門が来客の世話をしたという話が残っているので、敵対関係ではなく良きライバルであり、盟友だったのかもしれません。

大河ドラマでも蔦屋重三郎と鶴屋喜右衛門の関係がどのように描かれていくのか楽しみですね。

 

 お正月?初午?鶴屋喜右衛門の店頭

蔦屋重三郎の耕書堂の説明板はこちら。

最寄り駅は東京メトロ日比谷線小伝馬町駅になります。

 

【参考文献】

『江戸名所図会』国立国会図書館デジタルコレクション

『絵本江戸風俗往来』菊池寛一郎 青蛙選書

『世渡風俗図会』国立国会図書館デジタルコレクション

『絵草紙屋 江戸の浮世絵ショップ』鈴木俊幸 平凡社

『絵馬』岩井宏実 法政大学出版局