中央区ものしりクイズ 17
中央区立シニアセンターの入口にクイズが置かれています。
今回のクイズは 17のご紹介です。
問題
解答と解説
1 小田原橋棟です。築地魚河岸は、築地市場移転後も築地の活気とにぎわいを将来に向けて継承するため、中央区が設置しました、仲卸を経営母体とした小売り店など約60軒が入居する生鮮市場です。築地魚河岸は小田原橋棟と海幸橋棟の2棟で構成され、1階には水産や青果の仲卸などの店が軒を連ねています。屋上広場は築地場外市場の貴重な憩いの場となっています。
2 日本の通貨である「円」。日本銀行本店の本館を空から見ると、見事に「円」の字になっています。
本店本館は、明治~大正期に建築学界の第一人者として活躍した建築家・辰野金吾による設計で、国指定重要文化財です。
建築当時は日本銀行券には『圓』の字が表記されています。本館を意図して「円」の字の形にしたわけではないと思われます。
「圓」は「円」の旧字体で、意味は同じです。通貨が「円」と表記されるようになったのは戦後のこと。本店本館が「円」の字になっているのは辰野金吾が意図したことではなく、偶然と思われます。
3 小伝馬町です。嘉永7年(1854)黒船艦隊が再来航した際に密航を企てるが失敗、小伝馬町の牢屋敷に送られました。その後山口県・萩市に送還され、叔父から松下村塾を受け継ぎ、木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文など多くの志士を育てました。 しかし安政の大獄に連座して江戸に送られ、ふたたび小伝馬町の牢に入獄。安政6年(1859)小伝馬町牢屋敷内で処刑されました。 公園内の記念碑には、辞世の句が刻まれています。
4 銀座2丁目です。「銀座」の地名は、江戸時代の「銀座役所」に由来します。1603年に江戸幕府をひらいた徳川家康は、駿府にあった銀貨鋳造所を現在の銀座2丁目に移しました。その場所の正式な町名は新両替町でしたが、通称として「銀座」と呼ばれるようになったのです。
さて、「銀座」という座組織は幕府のために銀貨をつくる組織で、銀の買い入れや銀の管理、事務を取り扱う役所と、銀貨の鋳造を行う工場とがありました。ちなみに金を扱う金座は日本橋の、現在の日本銀行本店のところにありました。