「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜③」
~長崎屋、石町時の鐘:平賀源内~

NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」第15話では、平賀源内がオランダの製品をヒントに発明をしたことが描かれていました。源内は、日本橋にある「長崎屋」を訪れて、オランダの西洋文明に触れていました。
“べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜” 第15話「死を呼ぶ手袋」

4月13日(日)放映の第15話で、平賀源内(演:安田顕)がオランダの製品をヒントに「エレキテル」と「歩数計(量程器)」を発明したことが示唆されていました。
ドラマの中で、源内が田沼意次(演:渡辺謙)に本を献上していましたが、これは、源内の著作「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」(写真)です。この本は、源内が開催した展覧会の出品物解説書で、須原屋市兵衛(演:里見浩太朗)が版元となり出版されました。
このような本が源内の偉業を伝えてくれることで、現在の私たちも源内に触れることができます。ドラマをご覧になった方の中には、この本が、源内が亡くなった後に須原屋市兵衛が蔦重に語ったセリフの伏線になっていたことに気づかれた方もおられると思います。
(画像出典:「物類品隲」東京国立博物館)
平賀源内の発明品
「エレキテル」(タイトル写真)は静電気を発生させる装置で、墨田区・東京スカイツリータウン「ソラマチ」9階にある「郵政博物館」で実物を見ることができます。
写真上段は、長崎の出島に展示されているエレキテルです。下方にあるハンドルを回すと、箱の上にある銀色の球体にバチっと火花がちり、来館者も源内と同じ体験をすることができます。「浜ちゃん」も心の中で、「源内先生すごい!」と叫んでしまいました。

「量程器」(写真下段)は、いわゆる歩数計で、腰に提げて歩行すると内蔵された振り子が揺れて計測できる仕組みでした。ドラマでは、田沼意次がこれを持って走っていましたね。
(画像出典:「エレキテル」郵政博物館、長崎出島、「量程器」東北歴史博物館)
長崎屋

鎖国政策をとっていた江戸時代、オランダだけは長崎出島での貿易を許されていました。このため、長崎に駐在していたオランダ商館長は、毎年、幕府に謝意を表するために江戸に参府し、将軍に拝謁して献上品を贈りました。
写真上段は、長崎の出島にある、オランダ商館長の事務所や住居として使用されていた出島で最も大きな建物、「カピタン(=オランダ商館長)部屋」です。

商館長一行は、江戸に2~3週間滞在しましたが、その際に宿所に指定されたのが日本橋にある薬種屋「長崎屋」でした。一行には医師などが含まれていたため、最新の学問を学ぶために、平賀源内や杉田玄白など、日本の歴史上重要な役割を果たした人物が数多く長崎屋を訪れていました。当時の長崎屋は、西洋文明に触れることができる江戸で唯一の窓口でした。
写真下段(長崎屋「画本東都遊」葛飾北斎画)は、当時の長崎屋の様子です。
JR新日本橋駅4番出口を出た右手に「長崎屋跡」の説明板があります。
(画像出典:長崎屋「画本東都遊」中央区、長崎出島)
石町時の鐘
「長崎屋跡」の説明板から中原証券のビルの前を通り、中央通りを神田方面に進むと、一本目の通り「時の鐘通り」に、「石町時の鐘 鐘撞堂(こくちょうときのかね かねつきどう)跡」の案内板があります(「みなと銀行」の看板の下です)。ここには、江戸城下の人々に時刻を知らせていた鐘が設置されていました。二代将軍徳川秀忠の時代に本石町(現在の日本橋室町4丁目付近)に設置されたといわれています。
近くに長崎屋があったことから、「石町の鐘はオランダまで聞こえ」という川柳も詠まれています。源内も、長崎屋を訪れた際には、この鐘の音を聞いていたのでしょう。
源内が最期を迎えた「伝馬町牢屋敷」では、この鐘の音を合図に処刑が執行されていましたので、源内は牢屋の中で、この鐘の音を聞いていました。源内は、牢屋の中でこの鐘の音を聞き、「長崎屋」に出入りしていた頃の華やかなりし自分を思い出し、涙を流していたのかもしれません。
「石町時の鐘」は、現在、源内が最期を迎えた「伝馬町牢屋敷」があった十思公園内の鐘楼に設置されています(写真)。源内が最期を迎えた場所に「石町時の鐘」が設置されているのも、何かのご縁かもしれませんね。
伝馬町牢屋敷については、以下のブログ(↓)をご覧ください。
【参考資料・出典、過去ブログ】(ホームページ含む)
参考資料・出典:郵政博物館、東北歴史博物館、長崎出島、他(過去ブログに記載)
●過去ブログ:
① 伝馬町牢屋敷:平賀源内 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5849
② 浜離宮恩賜庭園:徳川将軍家の鷹狩場 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5856