「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

んちゃ!(副音声:皆さんこんにちは!)

さて今回表題のとおり「佃島(つくだじま)」の話です

その前にちょいと八丁堀にある「本の森ちゅうおう」のことを
八丁堀(桜川)を埋め立てた跡地に建ってます。
基本は図書館ですが、「中央区立郷土資料館」も併設されてます。

で、2025年8月現在そこで開催されている企画展
新規国登録有形文化財パネル展 ~旧飯田家住宅・旧宮脇ビル・銀座大野屋~

今回、こちらの展示を見て、2025年3月13日に国登録有形文化財へ登録された「旧飯田家住宅店舗兼主屋」を興味本位で見に行ってみたっていうお話しです。

はじまりはじまり~♪

そこで紹介されていた旧飯田家住宅は、「佃島」に建つ築100年の魚問屋の建物だとか。

トップの写真は水上バスから撮影した大川端リバーシティー21。
「佃島」に隣接してます。

空の色は浮世絵にしたらベロ藍よろしくヒロシゲブルーだが、逆光なので建物をうまく撮れませんでした。さーせん。
IHIの工場跡地に開発され、1989年から入居が開始されたらしい。
30年以上経ちますが、ニョキニョキと高層マンションが生えている様子は近未来的な風景を感じますな。

こちら現在の住所は佃だけどもとは隣の石川島。

もともと石川島には「人足寄場(にんそくよせば)」っていう更生施設があり、清水純畸(しみずじゅんき)が人足寄場奉行を務めていたとかぁ、その後水戸藩の徳川斉昭によって石川島造船所がつくられたとかぁ、築地で印刷業を経営していた平野富治が、民間の造船所である石川島平野造船所、その後の石川島播磨重工業株式会社(現IHI)を作ったとかぁ・・・

と、観光検定での勉強で得た知識を無駄にひけらかす。

「人足寄場」について知りたいかたはこちら
特派員「Hanes」さんが3年前に執筆した『近代的刑務所の源流「人足寄場」とは?

ただ、んなこと、私自身も含め、品行方正な一般市民は昔の犯罪者の更生施設なんて、知る必要もないしアウトオブ眼中!だろう(個人の嗜好です)

人足寄せ場っていう更生施設があったとか、観光検定の勉強するまで、一ミリも知らんかったわ!

現在石川島の住所は「佃」で、江戸時代オリジナルの「佃島」とほぼ一緒くたの扱いですが、今回石川島じゃなくて「佃島」の話だった。
関係ない事をぐだぐだ書いてしまった。猛省ぺこり

私をはじめ、少年ジャンプで連載されていた「こちら葛飾区亀有公園前派出所(※通称こち亀)」を読んでいた昭和生まれ青少年の「佃島」に関する知識として、主人公である「両津勘吉」の祖父「勘兵衛」が「佃島」に住んでいた、ってことぐらいだろ

勘吉の実家が浅草で佃煮屋「よろずや」だったので、勘吉の父親「銀次」は、実家があった「佃島」でレシピを習得したのだろう・・

はい、っと、ここまでは前談なので閑話を休題
すいませんね、しょーもない駄文を読んで頂いて
思ったことすぐ口に出す、ではなく書いてしまうタイプです

「旧飯田家住宅」

「旧飯田家住宅」 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

さて「旧飯田家住宅」

2年前に保存・活用に向けたクラウドファンディングもしていたらしい。

https://readyfor.jp/projects/tsukuda_iidahouse/announcements/351675
https://digitalpr.jp/r/71446

抜粋
「旧飯田家住宅は、「佃喜八」「たじま」という屋号を持つ日本橋魚市場の魚問屋の併用住宅として1920年頃に建築されました。生け簀と井戸を配した広い土間のほか、漁師町らしい高密度居住の中での住まい方の工夫が随所にみられます。また、住宅の建つ敷地も江戸時代の初めに佃島の町割・屋敷地割が定められた当初の形状を保っています」

とのこと。
ただ観光施設ではないので、(たぶん)立ち入れません。

つまらんなーと思って、周りを見渡してみると井戸を発見。
他にも昔のあれこれがあるかもと思い、佃島を周ってみました。

今も昔も住宅地なので、きょろきょろと周囲を観察しながら、気になったところをスマホで写真撮っていたので、きっと不審者でした。

住民の皆さま、どうもすいません。怪しい人はあたすです(誤字ではない)。

周辺を徘徊して写真を撮った場所をプロット

周辺を徘徊して写真を撮った場所をプロット 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

GoogleMapを借用します。赤線(と言ってもそっちの意味ではない)が江戸時代オリジナルの「佃島」エリア
「旧飯田家住宅」は①の場所に建ってます。

②「旧飯田家住宅」のはす向かいにあった井戸の手押しポンプ

②「旧飯田家住宅」のはす向かいにあった井戸の手押しポンプ 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

周囲が濡れているので、使っている形跡があります。当然家の中には水道があるとは思いますが、何に使っているのでしょう。蛇口を捻った方が楽なのに。

③手押しポンプNo2

③手押しポンプNo2 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

こちら径が太いので、手押しポンプになる前は釣瓶があったのかもと推測。こちらは濡れていないようです。

④手押しポンプNo3

④手押しポンプNo3 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

住吉神社へ向かう参道沿いの民家の軒先にあります。バケツが置いてあるので、使われている可能性があります。

ここら周りが隅田川や運河に囲まれているほぼ東京湾な地域。真水が出るのでしょうか。

⑤手押しポンプNo4

⑤手押しポンプNo4 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

こちらは最近作られた建物のそばに。
これは新しいそうです。あえて新規で作成したのは雰囲気だすための演出でしょうか

⑥住吉神社の背中

⑥住吉神社の背中 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

佃といえば、住吉神社。
摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区佃)にある田蓑神社から分社。正面の鳥居に掲げられた陶製扁額が区民有形文化財に指定。と知ったかぶり。

正面の写真は多いが、あえてここは堀越しに背中側を。

⑦佃島渡船場跡

⑦佃島渡船場跡 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

佃大橋建設により1964年に廃止された佃の渡し
現在は堤防が立ちはだかってますが、当時はこの位置から渡船できたようです。

対岸側の渡船場跡

対岸側の渡船場跡 「佃島」に残る昔のあれこれ(前編)

隅田川を渡った反対側なので地図上にプロットされてませんが、佃島と同じデザインの石碑が残されてます。
住所は湊3丁目。当時は船松町という町名で、江戸時代の地図には「船松河岸」と記されてました。

紹介したい箇所が他にもあるので、今回ここまで!

後編に続く