桜やよい

三重テラス12周年「日本橋歴史アーカイブス新野圭二郎氏」
「本居宣長記念館名誉館長吉田悦之氏」
~江戸城下町初期の歴史から紐解く~対談

三重テラス12周年感謝祭オープニングトークショー

日本橋と三重のつながりは伊勢商人の歴史から紐解くというキーワードと

国学者の祖と言われる本居宣長がNHK大河ドラマで脚光を浴びている蔦屋重三郎とどうかかわりがあるのかにも興味があり、魅かれて参加しました。

 

三重テラスのイベントは、今が旬の文化的な講座が多いので、いつも楽しみにしています。

三重テラスのHPからイベントをご覧ください。

日本橋歴史アーカイブス

本居宣長記念館

三重テラス

日本橋歴史アーカイブス 新野圭二郎代表理事

日本橋歴史アーカイブス 新野圭二郎代表理事 三重テラス12周年「日本橋歴史アーカイブス新野圭二郎氏」
「本居宣長記念館名誉館長吉田悦之氏」
~江戸城下町初期の歴史から紐解く~対談

株式会社N STUDIO代表取締役

アート・クリエイティブ拠点『Creative Hub 131』日本橋大伝馬町にオープン

長野八ヶ岳の1600坪の森 アート拠点にアートコモンズ『対話と想像の森』を設立

『光の対話場』を制作オープン

 

2016年『日本橋歴史アーカイブス』を制作オープン

監修:江戸東京博物館名誉館長 竹内誠・主催 :常盤学校校友会

八ヶ岳『光の対話場』

八ヶ岳『光の対話場』 三重テラス12周年「日本橋歴史アーカイブス新野圭二郎氏」
「本居宣長記念館名誉館長吉田悦之氏」
~江戸城下町初期の歴史から紐解く~対談
 三重テラス12周年「日本橋歴史アーカイブス新野圭二郎氏」
「本居宣長記念館名誉館長吉田悦之氏」
~江戸城下町初期の歴史から紐解く~対談

 

『日本橋歴史アーカイブス』

学制が明治5年に発布、明治6年常盤小学校は開校された古い学校です。

その別館にできた日本橋地域の400年の歴史を伝える体感型施設です。

・1805年日本繁盛絵巻『熈代勝覧』

・床から壁にかけての古今地図『江戸之下町復元図』と江戸時代に実在人物が住んで

 いた位置が〇で示されている

・日本橋ビジュアルアーカイブス『お江戸日本橋』・『江戸城の天守』・『日本橋を語

 る』で構成されています。

(パンフレットから抜粋)

 

新野氏の話によると

日本橋は江戸城のキャッスルタウン城下町。

徳川家康が江戸の街づくりで最初に造った通りが、本町通りだったということです。

 

NHK大河ドラマの主人公の蔦屋重三郎の耕書堂は、本町通り通油町・日光街道・奥州街道につながる現在で言えば、江戸で一番の目抜き通りにありました。 

今でいう銀座のように地価が高く、この土地に店を出すことは大変なことでした。

このエリアには蔦屋重三郎のような版元が多かったのです。

江戸時代は、印刷業と販売の両方を担っていました。

この近くに浮世絵の菱川師宣・喜多川歌麿・鈴木春信などの絵師も住んでいました。

 

オランダの使節団が宿泊する『長崎屋』もありました。

西洋の学問を勉強するために、全国から学者・医者が集まったとのことです。

江戸時代の国際的な規模の文化ネットワークがあり、『解体新書』を編纂した杉田玄白も京橋から『長崎屋』に通って、オランダ人の持参した本を翻訳しました。

長崎に留学しないで翻訳を成し遂げたことは凄いことです。

平賀源内の住居も『長崎屋』の近所にあり、源内の発明にも影響があったことでしょう。

 

日本橋と三重のつながりはこの本町通りに、徳川家康が1590年に江戸幕府を開府して以来、多くの伊勢商人がこの通りに大店を出していきました。

越後屋(三越)・長谷川市左衛門・小津清左衛門などの木綿仲買店などの呉服問屋が多かったようです。

 

本居宣長記念館 吉田悦之名誉館長

本居宣長記念館 吉田悦之名誉館長 三重テラス12周年「日本橋歴史アーカイブス新野圭二郎氏」
「本居宣長記念館名誉館長吉田悦之氏」
~江戸城下町初期の歴史から紐解く~対談

 

本居宣長生誕100年、宣長研究の第一研究者として執筆や講演活動を通じて、松阪市の歴史・文化の魅力を全国にPR、多方面で活躍なさっています。

松阪郷土文化会会長・松阪市ブランド大使

 

 

著書『日本人のこころの言葉・本居宣長』

   『2001年宣長探し』『本居宣長の不思議』

   『心力をつくして』『宣長にまなぶ』等多数

 

 

本居宣長記念館より写真提供・記載許可をいただく

本居宣長記念館より写真提供・記載許可をいただく 三重テラス12周年「日本橋歴史アーカイブス新野圭二郎氏」
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~江戸城下町初期の歴史から紐解く~対談

本居宣長と蔦屋重三郎とのつながり

本居宣長と蔦屋重三郎とのつながり 三重テラス12周年「日本橋歴史アーカイブス新野圭二郎氏」
「本居宣長記念館名誉館長吉田悦之氏」
~江戸城下町初期の歴史から紐解く~対談

 

本居宣長旧宅

 

 

1795年蔦屋重三郎45歳が松阪の本居宣長65歳を訪れたとの宣長の日記『雅事要案』に記録がある。

『江戸通油町蔦ヤ重三郎来ル、右ハ(村田) 春海ナドコンイ(懇意) ノ書林也』

 

宣長の著作源氏物語の補作『手まくら』宣長の随筆集『玉勝間』を江戸で販売・流通させたいとの依頼が目的

宣長もこれを承諾

共に1795年に刊行

 

参照文献

「蔦屋重三郎と本居宣長の間にはどうゆう関係があったのか」島田裕巳

 

トークセッション

江戸時代の日本橋と伊勢商人とのつながりは?

〇北条氏領地の小田原には伊勢商人(津商人)がたくさん住んでいた。

北条氏が滅亡後、徳川家康が小田原から1590年江戸入りした徳川家康について伊勢商人も江戸に入った。

 

その後も伊勢商人は江戸初期に江戸に出てきているので、本店は伊勢にあり、支店を江戸に出すというシステム。

 

〇中世に伊勢神宮の荘園(御厨)が設定されてから伊勢信仰を広めるために、伊勢御師が東国(武蔵)を回って西国からの物資も運んでいた。

 

〇松阪織物は最高級品として評価されていました。

・伊勢が綿花の栽培に適した栽培条件だったこと。

・古くから伊勢神宮に奉納する織物を生産する織物や染色技術が継承されていたこ

 と。

・ベトナムのホイアンに日本町があり、伊勢商人角屋七兵衛が日本に『柳条布(りゅう

 じょうふ)』南方裂(なんぽうぎれ)から斬新なデザインを松阪木綿織に取り入れてい

 る。粋な藍色の縦縞が特徴ですね。

 

 

松阪におでかけください!

松阪におでかけください! 三重テラス12周年「日本橋歴史アーカイブス新野圭二郎氏」
「本居宣長記念館名誉館長吉田悦之氏」
~江戸城下町初期の歴史から紐解く~対談

松阪(まつさか)には松阪城跡・お城番屋敷・本居宣長記念館・三井家発祥の地・旧小津清左衛門家・旧長谷川治郎兵衛家・原田二郎旧宅などの古い町並みが、歴史と文化を訪れる人々に江戸時代の情緒を味合わせてくれます。

 

是非、松阪木綿織の着物をレンタルして、町散策にお出かけください。

地元の方は松阪を「まっつぁか」と発音されるそうです。ちょっと聞いてもわかりませんね。

グルメもおおいに期待できそうです。松坂牛は有名ですね。

 

『松阪で待っています』市民の声で作った三重県松阪市の等身大ガイドブックより参照

松阪市観光協会