工事現場の囲い塀は大きなキャンバスだ
工事現場には周りを囲っている塀があります。騒音や埃よけでもあり、侵入防止で危険を防ぐ意味も大きいと思います。ただ白い壁が続くだけの風景は殺風景なのは否めないと思っていました。近年は特に大規模な建設工事が増え、建設会社名や工事業者名だけでなく、様々な写真や絵を描き目を楽しませる所が増えました。
写真は日本橋の麓で寝具の西川があった場所の 工事現場の囲い塀 です。
NIHONBASHI RIVER WALK MUSEUM と銘打たれています。
響きあう多声的な都市像を目指し、日本の文化の起点として人と文化が行き交った日本橋。その流れを受け継ぐ記憶や交流を音と色、かたちで描いた「共鳴の風景」 と題した作品と説明書きがあります。
この写真は上記の作品の前に西川の場所にあった展示です。
NIHONBASHI CITYPOP MUSEUM と題していました。
すっとこどっこいより10歳年上のイラストレーターの方が選んだ曲です。
このレコードジャケット達は上記のジャケット以前に選曲されていたものです。
これらのジャケットを見て、世代なんでしょうねぇ、すっとこどっこいの琴線に触れるものを感じました。
NIHONBASHI CITYPOP MUSEUM の前は日本橋の古い写真と現在の写真の並列が展示されていました。
レコードジャケットが並ぶ時に外されましたが、江戸橋の麓、新橋方面寄り側の両面に展示されました。
そもそも 工事現場の囲い塀 が気になったのは一昨年に電通ビルの前を通った時、上記のパネルを見て立ち止まっていたら、京橋消防署の方達に話しかけられたからです。その経緯はブログに書きました。
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=3754
今でも角地は同じパネルが展示されています。
20年近く前だったでしょうか。京橋の 工事現場の囲い塀 で戦後から高度成長期あたりの京橋・銀座の写真が展示されていました。あれもよかったなぁ。ちょっと裏通りだったけれど何回かわざわざ通って見た記憶があります。
電通ビルの角地から右手に進むと、以前は江戸町火消し 各組の纏が描かれていました。
現在は東銀座界隈を巡る「今と昔を結ぶまち」をテーマに ”私が過ごす一日、私が過ごした一日” のパネルです。
なかなか素敵な作品です。
昨年はこの位置に 仮囲いイラスト コンテスト として Welcome to 東銀座 2024 が行われて 展示されていました。とても綺麗でお洒落なイラストが並んでいました。
上段は明治後期の東銀座での一日を描いています。
都電で東銀座に降り立ち、歌舞伎座で観劇し、築地を散策し、明治会堂で演説を拝聴しています。
下段は現在の東銀座での一日、歌舞伎座から築地場外市場で買い物し、夜の築地本願寺を歩きます。
楽しいストーリーの作品です。
日本橋小舟町で撮った 工事現場の囲い塀 の写真です。
上段は北斎の富嶽三十六景・凱風快晴いわゆる赤富士や神奈川沖浪裏 下段は写楽の役者絵です。
日本橋通油町には蔦重の耕書堂など草紙本の出版社が軒を並べ、多くの草紙本や歌麿、北斎、写楽の浮世絵が販売されていました。一方、現在の小舟町には団扇問屋が集中し、豊國、國芳、廣重など歌川派の絵師による団扇絵が刷られた と説明板に書かれていました。
他にも歌麿のビードロを吹く娘や當時三美人などの浮世絵も目にしました。
日本橋界隈や人形町や小伝馬町を歩くと浮世絵に関するものを沢山目にします。蔦重は名プロデューサーですね。
築地場内市場跡地の 工場現場囲い塀 の写真です。
新大橋通りに面した部分に江戸初期からの築地の歴史(上段の写真)と開発後の築地のイメージ(下段の写真)が展示されています。
築地という場所がどのような歴史を辿って来たのか、これからどのように生まれ変わっていく予定なのか、分かりやすく表現されています。
他にも観光客用と思われますが 築地場外市場を楽しむために と題していろいろな注意事項が大きく書かれています。
月島の西仲通りの 工事現場の囲い塀 にあるパネルです。
上段はもんじゃストリートらしくもんじゃの焼き方指導です。
下段は近郊の観光案内が提示されています。いかにもですね。
Welcome to Tukisima の写真SPOTのパネルもあります。
月島第一幼稚園の修了記念作品や月島第一小学校の2年生と5年生の作品も展示されています。
工事現場の囲い塀 は無限の可能性を秘めた広いキャンバスです。
殺風景から目を見開かせてくれるキャンパスをこれからも楽しみにしています。
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