「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

ということで始まりました。

「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2でございます。

直近Part2が続いてますが、決して二番煎じではなく、"「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポート"こちらの続編です!

わたくし今年4月より観光協会特派員に任命され、この特派員ブログに毎回徒然なるまま&酩酊しながら執筆しているフランクな文章を投稿しておりますが、同時に「観光おもてなしスタッフ」になる研修も受けております。

前回は6月。
銀座を舞台に複数人のグループに分かれて観光ツアーのコースを作り、作成したコースを実際にガイドの講習を受けながら回りました。そのコースを紹介した記事です。
今この文章を読んで頂いている中央区に興味があるお友達は、是非前回の記事もついでに読んで頂ければと。

そして今回11月某日に、一人で観光ガイドを務めるための、受付、ミニツアーガイド、誘導、解散まで一人で全てこなす講習「チャレンジ&スキルアップ」を受講しました。

講習にあたり作成したミニツアーのコースを前回同様に紹介した内容です!
読者の皆様に、目だけで新川のミニ観光ツアーに参加した気分になればと思い記事にしました。

3か月前ぐらいに実施日時、そして舞台は「新川」で、との講習日確定連絡を頂き、机上で観光コースを作り、実際に現地で下見を行いました。

具体的に新川区民館にて受付やツアー前の説明、及びツアー本編、再度新川区民館に戻って締めるまで、トータル30分以内でと設定があるので、実質コースを回るのは20分程度と短めです。

 

作成したオリジナルコース

作成したオリジナルコース
 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

◇ツアータイトル「下り酒問屋(どいや)が栄えた新川を散歩」

◇ツアールート

①新川之碑

②永代橋

③船員教育発祥の地

④豊海橋

⑤新川大神宮

作成した台本を無料公開

こちらのコースを印刷し当日持参。
実際に講師や関連帯同者を対象に実際のお客様をお連れする本番同様のミニ町歩きツアーのガイドを行いました。
ツアー終了後に、よかった点や改善点などのフィードバックを頂きました。
講習内容やフィードバック内容は門外不出のため、今回のブログでは私が作成した台本をネタとして有効活用するべく本ブログ記事で紹介します。
 
あくまでも台本なので、実際はこれをベースにアドリブで話しました。
一方的にしゃべるだけでなく、ツアー中随時参加者からの質問に応えるなど、コミュニケーションもございました。
 
では、出発します!

出発地「新川区民館」

ツアーにご参加頂きましてありがとうございます。
こちらの場所、現在は中央区新川という地名でございます。新川とは、文字通り新しい川と書きます
 
もともとはここは幽霊の霊に厳しい島と書いて「霊厳島」と呼ばれていました。
なんだかおどろおどろしい名前ですが、かつて霊厳寺というお寺があったことに由来します。霊巌寺は、1657年に発生した明暦の大火で全焼し、隅田川を渡った江東区の清澄白河近くに移転しました。
その霊厳寺は白河藩主だった松平定信の菩提寺であったことから彼のお墓があります。松平定信 寛政の改革を行った質素倹約を推し進め、世間一般的には(クソ)真面目なご老中として知られてます
 
現在の地名はこの地に流れていた「新川」に由来します。北にある日本橋川と並行するように東西に流れており、1660年(万治3年)に豪商の河村瑞賢が開削したといわれてます。沿岸には上方つまり、京都や大阪から下ってきた上質な下り酒問屋(さかどいや)等が集まってました。現在も酒を取り扱う商店があります。
当時江戸は幕府が開かれていたとはいえ京都、大阪から見たら下だったんです。
今歩いている場所にかつて新川がありました。
 
     ※⇩こちらの道です
 
 
 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

①新川之碑

①新川之碑 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

戦災残土の処理のため、1948年(昭和23年)から埋め立てが開始され、翌昭和24年には完全に消滅しました。こちらの記念碑は昭和28年に建てられました。

②永代橋

②永代橋 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

五代将軍の綱吉50歳を祝して架橋されたと言われている橋です。
現在はここ新川に架けられてますが、以前は日本橋川を挟んだ上流にあり箱崎に架けられていたようです。
明治30年(1897)に架けられた先代からこの場所にうつり、現在の橋は震災復興橋として鉄橋大正15年(1926年)に架橋されました。国の重要文化財に指定されてます。来年で100年です。

③船員教育発祥の地

③船員教育発祥の地 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

日本は江戸時代に長年鎖国を続けてましたので明治維新後、日本の海運は国際的にみて立ち遅れていました。
大久保利通の命をうけ岩崎弥太郎が明治8年三菱商船学校、現在の東京海洋大学を設立した。創設当時成妙丸をこの場所につないで校舎とし、生徒を船の中で寝泊まりさせて船員教員を実施しました。

④豊海橋

④豊海橋 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

時間の関係で近くには寄れませんが、ここから見える範囲で紹介します。
日本橋川が隅田川に注ぐ河口にある橋です。歴史は古く1698年(元禄11年)に架橋。現在の橋は昭和2年西暦1927年に完成。先ほどの永代橋とのバランスを考慮して設計された結果、梯子を横倒しにしたような設計を採用してます。

 

(ミニツアーでは見てませんが)永代橋から見た豊海橋

(ミニツアーでは見てませんが)永代橋から見た豊海橋 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

次のスポットまで距離があるので繋ぎのトーク

中央区には重要文化財に指定されている隅田川に架かる橋がこの永代橋を含め3つあります。
ご存じの方いますか?

正解は清洲橋と勝鬨橋です。
清洲橋(昭和3年)と勝鬨橋(昭和15年)は昭和期に初めて架けられた橋です。
永代橋は先程説明したように江戸時代に創架された歴史のある橋です 。橋名については、対岸の佐賀町周辺を永代島(えいたいじま)と称していたことにちなんで名付けたとも言われています

永代橋で起こった歴史的な事故についてはなします
1807年9月20日に深川富岡八幡宮で12年ぶりの例祭、いわゆる定例のお祭りが行われました。
久しぶりの祭礼に江戸市中から多くの群衆が橋を渡って深川に押し寄せました。
ところが、詰めかけた群衆の重みに橋が耐え切れず、崩れ落ちてしまいました。後ろからの群衆は崩落に気が付かず続々と押し寄せ、崩落部分から雪崩をうつように転落、死傷者・行方不明者を合わせると実に1400人を超える大惨事となりました。
これは史上最悪の落橋事故と言われています。

この事故について、大田南畝、大河ドラマ「べらぼう」では桐谷健太さんが演じている方ですが、
永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」と狂歌を読みました。

狂歌ってウイットが効いた社会風刺や皮肉を歌にしたものですが、リアルすぎてちょっと笑えないですね・・

 

⑤新川大神宮

⑤新川大神宮
 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

江戸酒問屋の守り神として知られいる神社です。
1945年(昭和20年)3月9日、東京大空襲で社殿が焼失。1952年に酒問屋有志により再建され毎年10月17日前後に、酒類業界関係者や近隣住民が参加し、富岡八幡宮の宮司により例大祭(れいたいさい)」が行われてます。
「新川締め」とよばれる独特の手締めが行われる。これは商談成立や初売りなど、酒問屋の行事でも行われてます。
12月末には樽酒祭りを開催しその場でご祈祷済の樽酒を瓶に移し替え販売も行っております

 

ミニツアーの台本はここまで

ってことでミニツアー台本のコピペはここまで。
地の文に戻ります。

ミニツアー終了後、講師の方や帯同した参加者より感想やフィードバックをいただき、終了しました。
色々反省点はありましたので、それを吸収して本番のガイドをする際に活かしていこうと思いました。

わたくし、今回の講習で「新川」を指定されたので、ものしり百科やネットで調べてツアーを作りましたが、先輩特派員の「 New River」さんが、新川の例大祭について昨年記事にされてましたので、勝手に紹介させて頂きます。

来年で創建400年!酒問屋の守護神、新川大神宮で2024年の「例大祭」が斎行されました!

そして今回講習で作成したコースとその台本をブログとして紹介(ほぼコピペw)しただけなので、ちょいとしたエトセトラを追加します!

 

今でも酒関連の卸業者や店舗が営業してます

今でも酒関連の卸業者や店舗が営業してます 「中央区観光おもてなしスタッフ」講習レポートPart2@新川

新川大神宮敬神会が作成した「新川締め」を記録したYouTube動画を紹介

最初の方はわかりやすいですが、途中からテンポが変わり、理解が難しい。。

ごはんじょーおーおーおー♩

こちらの動画、3本だての3本目。
2本目で例大祭の様子を視聴できます。
興味のある方は是非検索してみて!

 

おしまい