武田信玄の孫が日本橋にいた?!
江戸秤座跡は奥が深くてドラマが過ぎる
自称・特派員カフェ担当(前フリです)、佃在住「よこやん」です。
私の数少ない自慢の一つは、年に1度の大学同期旅行を続けていること(楽しいんですこれが)
今年はブドウと桃とワインの美味しい秋の山梨へ。
山梨といえば甲斐国・武田信玄。
中央区にもしっかりそのゆかりがあるとは知りませんでした。
今回は(たまたまですが)山梨ロケあり。
力入ってます(笑)
武田3代(信虎・信玄・義信)に
振り回された、吉川守随という人
信玄公創建の名刹・甲斐善光寺から見る甲府の町。
甲斐の虎と呼ばれた武田信玄。
戦国武将ゆえ生半な人生ではないのですが、こと親子について言うとなかなかの修羅の道。
実の父・信虎を追放して実権を握り、謀反を起こした長男・義信は死に追いやる。エグいですね。
ここに吉川守随、という父信虎の家来がいまして
信虎追放先の今川家に一緒についていきます。
守随さん、そこで当時人質として今川家にいた竹千代(後の徳川家康)への奉公を命じられ、色々とお世話をしたようです。
その後老齢を理由に守随さんは甲府に戻るのですが、今度は武田信玄(実際は息子の勝頼)に武田家で秤(はかり)細工の奉公を命ぜられます。
甲斐国一帯は金・銀・銅の産地で貨幣も重さが基準だったために秤は非常に重要で、その秤の製造免許を与えられたわけです。
運命の子・吉川信義
吉川守随さん(初代)は翌年に亡くなり、免許は養子の吉川信義が2代目として継ぎます。
初代守随さんには密という姪がおり、要人の元に奉公に出て、その人の子を産みます。
要人の名は武田義信。
信玄にクーデターを起こした長男です。
義信が捕えられ死に追いやられたあと、生まれた子は吉川家で必死に匿われ、最終的に武田の名を捨て吉川家の子供として育てられます。
実はその子が2代目となった信義で、彼は信玄の孫にあたります。
天正十年(1582年)の天目山の戦いで武田勝頼は織田・徳川軍に敗れ自害、生き残った一族もかなり念入りに探されて殺され、武田家は滅びます。
そんな中、家康は「昔世話になった」吉川守随を駿河に呼び出しますが、すでに亡くなっていたため2代目の信義が駿河へ参上することに。
どうする信義?どうなる信義?
家康は憎き武田の孫を斬るか、恩人の子を生かすか
徳川家康肖像画(伝 狩野探幽筆) 図版:大阪城天守閣/PD-Japan/Wikimedia Commons
本来ならば宿敵・武田家生き残りとして殺されるはずの信義を前に、家康は
「幼少時に奉公してくれた者の息子だ」
とし、なんと知行を与え家来として迎えようとします。
嗚呼なんて素敵なBOSS・家康!世が世なら、私は貴方の下で働きたいくらい。
(家康は信義が信玄の孫であることを密かに知っていた、とも、信義がその場で正直に自分の出自を家康に説明した、とも言われています)
しかし信義は
「秤の製造は養父の家職、養子が辞めるわけにはいかない」
と武士取り立てを断り、結果、家康から秤製造の特権と養父の名「守随」を姓として与えられ、守随信義となります。
このあと、家康が支配地域を拡大するにつれ守随信義の秤特権エリアも拡大。
家康が関東に移封されると江戸に移住し、幕府が開かれてからは関東の秤製作・維持を担う『秤座』が作られ、守隨家はその主体となります。
信玄の孫は、江戸で秤の元締めとなったわけです。
(『秤座』正式発足は3代目守隨正次と言われる)
秤座は、西も東もドラマで話がおもしろすぎる
日本橋3丁目DICビルにある江戸秤座跡の碑
秤座は現在の中央区日本橋3丁目(旧箔屋町)、一時期は京橋3丁目(旧具足町)にあったそうで、信玄の孫・守随信義は数奇な運命の末、この地で没したと思われます。
ドラマですね。
そしてこの『秤座』このあといろいろ揉めます。
幕府老中が
「関東は守随家が秤座ね」
と言った翌年、晩年の家康がお気に入りの凄腕細工師・神(じん)善四郎に
「神ちゃん、(全国の)秤製作は君だけ」
とか言ってしまい、揉めて守随家(江戸)・神家(京都)の東西住み分けになる、とか。
(創業会長が晩年にやるワガママ?)
神家は神家で跡目争いが生じ、3代目が同時に2人立つ有様。
新任の京都所司代への挨拶で二人とも馳せ参じ
三代目A「私は3代目善四郎」
三代目B「私が3代目善四郎」
所司代 「善四郎は一人ときくが目の前に二人いるとはこれいかに」
とまるで落語のようなやり取りが起きる、とか。
(そのあと二人は江戸に召し出されこってり怒られる)
西の『秤座』神家のトンデモ話はもっと色々あるんですけど今回は省略。どこかで書けたらなぁ。
甲府には守随ゆかりの品々が。
秤の実物にも触ってみたぞ
楽しい同期旅行からちょっと足を伸ばし、かつて武田信玄の居城だった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡の武田神社隣にある信玄ミュージアムへ。
ここには守随家の作った秤の錘(分銅)が展示されています。
向かって右が守随の作った分銅です。正面には「御秤所」と刻印があります。
分銅の別面には「甲(?)」「守随」の字が見えます。
写真に写っていませんが反対側に「正得」とありました。
17世紀後半の4代目守随彦太郎正得(まさとく)以降に作られた分銅のようです。
ミュージアムには武田氏関連で鎧やジオラマなど展示が色々ありました。
信玄ファンにはたまらないでしょうね。
それ以外にも、庭園や茶室、長屋風のカフェなどあり、とても綺麗なところでした。
さらに足を伸ばし、山梨中央銀行の金融資料館へお邪魔。
ご相談したところ、なんと江戸時代の守随秤そのものをお貸しいただけることに!
箱を開けると秤の一揃が収められていました。
蓋には「御秤」とあります。
中身は竿秤と錘が2種類ずつ。
(秤座は竿秤のみ、天秤は含まないそうです)
写真下が「れんてんぐ」(皿が付いている秤)、同上が「千本秤」(フックの付いている秤)。
この秤は、山梨中銀4代目頭取・名取忠彦氏の養子先(名取家)が両替商だった縁で寄贈されたとのこと。写真の「名取忠文」は忠彦氏の祖父(元第十銀行取締役)の名かと。
皿の中央には「守随」「御秤所」「正得(花押)」の刻印と守随家紋の五三桐あり。
秤は定期的に秤座で検査され、合格のたびに刻印されたためか文字がダブってますね。
錘は信玄ミュージアムのものと似ています。
「正得」と花押の刻印。
実は秤箱の裏蓋に明和8年(1771年)6月6日とあったので、おそらくこの秤と錘は250年ほど前のものと思われます。すごい。
実際に使ってみました。
竿に刻まれたメモリの位置で重さがわかる仕組みです。
シンプルな作りですが、伸び縮みせず曲がらない竿の材料確保が難しいらしく、秤の製造は大変だったようです。
こちらは資料館に展示されていた両替用の針口天秤と分銅。
この形の分銅は後藤四郎兵衛家による『分銅座』が作っていて、家康の命により江戸時代の重さの基準となりました。度量衡の統一です。
秤座の錘は守随家も神家も後藤家の分銅に準拠しています。
ちなみに分銅座は現在の銀座にあった後藤四郎兵衛邸内にあったらしく、この分銅の形は銀座通連合会ロゴのモチーフにもなっています。
山梨中銀金融資料館には、銀行史と日本の貨幣コレクションを中心にお金にまつわる様々な展示がありました。
時間がなくてじっくり見られなかったのが残念!
でもおかげで同期旅行は楽しかったです。
在りし日の京橋・守随ビル
明治維新後に秤座は解消され、東京の守随家も秤製造の他に薬品販売事業へ乗り出すなどしたようです。
2000年代終わり頃までは京橋の明治屋ビル(現在の京橋エドグラン)前に「守随ビル」(現京橋イーストビル)もありましたが、残念ながら2010年に事業継続を停止しています。
※ なお分家して名古屋秤座を開いた名古屋守隨家は、現在も産業用計量機器メーカー・守隨本店として秤製作事業を継続している
出典(左):Google ストリートビュー(2009年12月)
Googleストリートビューに、在りし日の「守随ビル」の姿が残っていました。
右写真は建て替わった現在の京橋イーストビル。
おや?なぜか京橋イーストビルの前に見知った姿が。
同じく特派員のapéritif(アペリティフ)さん!
派手なシャツやなー(笑)何してんスか?
『分銅座』の場所はこちら(と思われます)
出典:中央区沿革図集(京橋篇)延享沽券図
分銅を作っていた後藤四郎兵衛の屋敷と分銅座は新両替町(銀座)1丁目東側にあったとのこと。
沽券図で見ると確かにその名前が(赤枠)。
小判鋳造を担当する金座(現在の日銀のあたり)は後藤庄三郎家で、区別のためこちらは「大判座後藤」とも呼ばれたそうです。
それにしても大きい土地ですね。
では現在はどうなっているかというと・・・
なんとこの9月にリニューアルオープンしたONE GINZAでした。
スペースとしては、期せずして後藤四郎兵衛邸と同じくらい。
後藤さん家こんなに大きかったのか。。。
ちなみにONE GINZA裏手、やや離れた昭和通り沿いには分銅座に由来したという「BUNDOZA CAFE & BAR」があります。
「昔はここら辺一帯が分銅座って呼ばれてたらしいですよ」(BUNDOZA CAFÉ店員さん)
分銅座、どこにあったのか諸説あるみたいですね。
ホテルの一階ですが、オープンカフェの部分と雰囲気のある店内部分とがあって、なかなかよろしいカフェです。
ここでコーヒーを飲みながら、秤にまつわる数奇な運命話を思い浮かべるのも一興かと。
以上、コーヒー大好き・カフェ担当よこやんでした。
前振りやっと回収!
日本橋三丁目7番20号 ディーアイシービル
甲府市武田氏館跡歴史館
(信玄ミュージアム)
山梨県甲府市大手3-1-14
TEL:055-269-5030
開館時間:9:00~17:00
休館日:火曜日(祝日の場合はその翌日)
甲府市中央二丁目11番12号
TEL:055-223-3090
開館時間:9:00~12:00、13:00~17:00
(入館は16:00まで)
休館日:日・月・火・祝、12/29~1/4
東京都中央区銀座2-11-6 ザ・スクエアホテル銀座1F
TEL:03-3544-6811
7:00~24:00 (L.O. 23:00)
無休
参考資料:
「武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る」 平山優(PHP研究所、2021年)
「秤座」 林英夫(吉川弘文館、1973年)
オフィシャル