映画「祈りの幕が下りる時」
キーとなる12の橋、ご紹介します ⑧
ー 8月 江戸橋 ー
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
『映画「祈りの幕が下りる時」 キーとなる12の橋、ご紹介します』シリーズ、今回は第8回、江戸橋(えどばし)をご紹介します。
このシリーズは映画「祈りの幕が下りる時」に登場しました橋、キーとなる12の橋を、月ごとにご紹介してまいります。
それでは・・・
江戸橋は・・・
ー 橋の南側の広小路は賑やかな盛り場だった ー
創架時期、橋名の由来とともに定かではない。
明暦の大火後には橋の南側に江戸橋広小路が設けられ、さまざまな市や小店が集中する場所として、江戸の買い物客が数多く集まる賑やかな盛り場であったという。
現在の橋は、昭和2年(1927年)に震災復興計画の一環としてつくられた鋼製アーチ橋で、江戸時代の橋よりも数十メートル上流に架けられている。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
江戸橋への想い
画像は深夜の江戸橋です。
ロズマリが以前勤務しておりましたのが日本橋1丁目。
ビル名は「江戸橋ビル」。
「江戸橋」は、とても懐かしいネームです。
そして大好きな「人形町」へ向かう際、渡るのは「江戸橋」。
仕事で日本橋郵便局へ行く際は江戸橋は渡りませんが、そこはもう江戸橋の手前。
江戸橋は馴染みの橋、歩道の広い、闊歩(かっぽ)しやすい橋。
12の橋の中で、ロズマリが一番多く渡った橋です。
1960年の日本橋 ①
ひとつ上流の「日本橋」の古い写真が、江戸橋脇の工事箇所の壁面に飾られていました。
3枚、ご紹介します。
橋を通過するバスも自動車もノスタルジックそのままです。
この日本橋は1911年(明治44年)に架け替えられたもの、現在もそのままの石造2連アーチ橋ですから、橋の中央の麒麟の像も全く同じはずなのですが、なぜか違う橋のように見えてしまいます。
1960年の日本橋 ②
3枚どちらの日本橋の写真も、1960年となっております。
昭和35年ですね。
1960年の日本橋 ③
日本橋の獅子の像です。
ライトアップされていないとわかりにくいですね。
江戸橋近くの史跡 ①
日証館(渋沢栄一邸宅跡地)
日本橋川に架かる江戸橋と、その1つ下流の橋・鎧橋(よろいばし)の間に建っています「日証館(にっしょうかん)」。
あの渋沢栄一邸の跡地になります。
渋沢栄一は1888年(明治21年)に自らの邸宅をこの地に建設、1901年(明治34年)に転居するまで住んだそうです。
その後は「渋沢栄一事務所」として使われましたが、1923年(大正12年)の関東大震災で全焼。
ちなみにここで執務中の渋沢栄一さん、避難して無事でした。
改めて1928年(昭和3年)に東株ビルディングが建設され、日証館に改称されました。横河民輔の横河工務所の設計です。
日証館では戦後、株式の集団取引も行われていました。
江戸橋近くの史跡 ②
兜神社
ー 兜岩と呼ばれる大岩が境内に鎮座する ー
商業の守護神とされる倉稲魂命(うかのみたまのみこと【稲荷神の別名】)を御祭神とする神社で、大国主命(おおくにぬしのみこと【大黒様】)と事代主神(ことしろぬしのみこと【恵比寿様】)を合祀(ごうし)する。
境内には、兜岩(かぶといわ)と呼ばれる巨岩があり、これが兜町という町名の由来となった。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~
なお、「兜神社」は以前ご紹介済みです。
⇒ 2020年5月14日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑦ ~兜神社~」
⇒ 2023年2月23日「源義家と徳川家康 中央区に絡めて ~鎧の渡し跡・兜神社・日本橋~」
江戸橋
日本橋室町1丁目・日本橋本町1丁目 ー 日本橋1丁目
地図上の赤丸の橋です。
日本橋川として上流(左側)には「日本橋」、下流(右側)には「鎧橋(よろいばし)」が架かっています。
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