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べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑨
  ~ 身請け ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第9話、ご視聴になりました?

5代目瀬川と蔦重との悲恋、心に沁みました。

 

今回はワードとして「身請け(みうけ)」に注目したいと思います。

題材の、中央区との関係性をご心配の方、大丈夫です、ちゃんと上手に帰結させます。

 

第9話も悲恋以外いろいろありましたね。鳥山検校(けんぎょう)による瀬川身請け、新之助の絡んだうつせみの足抜け(あしぬけ)、・・・。

 

女郎が吉原を出ていく手段、それには、

① 年季明け

しかしこれには最長10年を要したようです。そこで、

② 身請け

つまり、誰かに身請け金などを払ってもらい、その人の妻やめかけとなること。

ただ、これは莫大な額になったようです。例えば「べらぼう・・・」での5代目瀬川は1000両、つり上がって1400両、現在の貨幣価値に換算すると、ちょっと幅はありますが1400万円から4200万円相当。うつせみクラスでも300両。

ほんの一握りのシステム利用だったようです。しかも望まない相手なら最悪です。他に、

③ 

これでは意味ありませんね。

別に違法な手段として「足抜け」、平たく言うと逃亡、というのがありますが、通常は大門(おおもん)1か所に出入り口限定、しかも日夜複数門番厳重警備の吉原では逃亡はかなり無理がきつかったようです。そして上手く抜け出せてもまず捕まります。

何せ足抜けは重罪ですから。更に放火して逃げようとするなら言わずもがな、です。拷問(ごうもん)は必至です。

身請けでも年季明けでも、相手が愛する人、というのが一番幸せな身の振り方、でしょうね。

 

江戸古典落語による身請け失敗例
 仙台高尾

江戸古典落語による身請け失敗例
 仙台高尾 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑨
  ~ 身請け ~

画像は高尾稲荷神社、日本橋箱崎町10-7、近隣の仮社の頃です。以前こちらでご紹介させていただきました。

⇒ 2021年1月7日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社NO.32 ~高尾稲荷神社~」

冒頭画像も、高尾稲荷神社に飾られていた浮世絵です。

高尾稲荷神社は、まさに身請け大失敗の悲運にあえいだ2代目高尾太夫傾城を祀った神社です。

そしてこちらの記事には、江戸古典落語 第24回として「仙台高尾」を掲載しました。

 

「仙台高尾」

『高尾』は吉原随一の大見世・三浦屋に代々受け継がれます大名跡(だいみょうせき)。

中でも飛び切り器量が良く、芸事に優れた遊女、それが俗に言います『伊達高尾』。

 

俳句を添えた手紙をもらいました仙台公が、「手蹟(しゅせき:筆跡)も文も見事。金で贖(あがな)われるとは不憫(ふびん)、余の屋敷に引き取る。」と言い、高尾を身請け。

身請けしたはいいですが、高尾は仙台公の意のままになりません。

 

憂さ晴らしに芝汐留のお屋敷から屋形船を仕立てて、能楽連中を引き船に豪勢な舟遊びに興じました。

ふさぎ込んでいます高尾に盃を差し出しましても、一向に受けてもらえません。

高尾は言います、実は、浪人の島田重三郎という夫婦の約束をした想い人がいるので、あきらめて欲しい、と。

きっぱりと言われた仙台公は、刀を抜き高尾に近づきます。

そこへ引き船の能楽連中の鼓(つづみ)の音が・・・。

 

(ここからは謡曲風になります。)

仙台公「高尾、その方、なぜなびかぬ?」

高尾「いや~」(これが謡曲の掛け声になってしまいます。)

仙台公は、掛け声につい「ぽんぽん」と、高尾を斬ってしまいます。・・・

 

高尾稲荷神社は・・・

万治2年(1659年)12月、江戸の花街新吉原京町1丁目、三浦屋四郎左衛門抱えの遊女で、2代目高尾太夫傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にて、艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない全盛を誇ったといわれる。

生国は野州(やしゅう:下野国【しもつけのくに】:現在の栃木県)塩原塩釜村百姓長介の娘で、当時19才であった。

その高尾が仙台藩主の伊達綱宗候に寵愛され、大金を積んで身請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の三又(現在の中州)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。

その遺体が数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当時そこに庵(いおり)を構え居合わせた僧が引き揚げて、ここに手厚く葬ったといわれる。

高尾の不憫(ふびん)な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て、彼女の神霊高尾大明神を祀り、高尾稲荷社としたのが当社の記録である。

現在、この社には、稲荷社としては全国でも非常にめずらしく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してあります。

江戸時代より引きつづき、昭和初期まで参拝のためおとずれる人多く、縁日には露店なども出て栄えていた。

 

懸願と御神徳

頭にまつわる悩み事(頭痛・ノイローゼ・薄髪 等)、商売繫昌、縁結び、学業成就。

懸願にあたり、この社より櫛一枚借りうけをうけ、朝夕、高尾大明神と祈り、懸願成就ののち他に櫛一枚そえて奉納する習わしが、昔から伝わっています。

 

高尾が仙台候に贈ったといわれる句

 「君は今 駒形あたり時鳥(ほととぎす)」

辞世の句

 「寒風よ もろくも朽つる 紅葉かな」

 

ー 高尾稲荷神社 御由緒 より ー

 

江戸古典落語による年季明け成功例
 紺屋(こうや:染物屋)高尾

江戸古典落語による年季明け成功例
 紺屋(こうや:染物屋)高尾 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑨
  ~ 身請け ~

画像は玉尾稲荷神社、東日本橋3-10-1。

こちらも以前ご紹介済です。

⇒ 2020年11月5日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社NO.28 ~玉尾稲荷神社~」

玉尾神社自体は「身請け」などとは関係ありませんが、江戸古典落語NO.28として年季明け成功例「紺屋高尾」を掲載しました。

 

「紺屋高尾」

神田紺屋町の染物屋・吉兵衛の職人久蔵は、もう3日ばかり寝込んでいます。

心配した親方は神田お玉が池の先生を呼びます。

先生の見立ては「恋煩い・恋の病」。

吉原の花魁道中で見かけた三浦屋の高尾太夫に一目ぼれ、しかし当然のことながら高嶺の花。

久蔵さんの給金は年に3両と聞き、先生は「3年きっちり働いて金を貯めたら高尾に会わせてやる」と約束します。

 

3年経って久蔵さん、身なりを整え、先生とともに吉原へ三浦屋へ、そして高尾太夫に会えます。

別れ際に太夫「今度は主(ぬし)はいつ来てくんなます?」と。

久蔵さん、身元を明かし「3年稼がなければ来れない」と。

久蔵さんの真に惚れた太夫、「来年2月に年季が明けたら行くから、女房にして欲しい」と。

 

年も改まり2月、染物屋の前に駕籠(かご)が止まり、中からは文金高島田の高尾太夫が、・・・。

先生の仲人で、二人は晴れて夫婦になりました。

染物屋の親方は久蔵さんにのれん分けを許し、近所に店を持たせます。

久蔵さんの「早染め」は大評判となり、二人は幸せに暮らしました・・・。

 

余談ですが・・・

日本橋馬喰町の餅屋の奉公人・清蔵と吉原海老屋の幾代(いくよ)太夫の噺「幾代餅」も、紺屋高尾同様ハッピーエンドの形態となっています。

両国広小路に餅屋の店を出し繁昌した、というのも良く似たオチとなっています。

 

 

・・・今後も「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、注目していきたいと思います。