New River

余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

中央区に本社を置くDIC株式会社(中央区日本橋三丁目7番20号 ディーアイシービル。同社は世界の60を超える国と地域でグローバルに事業を展開する化学メーカーで、印刷インキや有機顔料、機能性樹脂のリーディングカンパニー。旧社名は大日本インキ化学工業株式会社)が運営する、DIC川村記念美術館が3月末で閉館すると聞き、余寒なお残る2月中旬に千葉県佐倉市へ小旅行をしてきました。

DIC川村記念美術館

DIC川村記念美術館 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

東京駅からJR総武快速線に乗って約1時間、佐倉駅に到着。南口のバス停より無料送迎バスに乗車すること約20分。DIC川村記念美術館(佐倉市坂戸631)(以下「美術館」といいます)は、緑豊かな自然環境の中にありました。

美術館のホームページによれば、「DIC川村記念美術館は、DIC株式会社が関連企業とともに収集してきた美術品を公開する施設です。20世紀美術に主眼を置いた多彩なコレクション、作品にふさわしい空間づくりを目指した建築、四季折々の変化が楽しめる豊かな自然環境。これら「作品」「建築」「自然」の三要素が調和した美術館として、1990年5月、千葉県佐倉市の総合研究所敷地内にオープンしました」と説明されています。

代表的な所蔵作品には、レンブラントの「広つば帽を被った男」(1635年)、ルノワールの「水浴する女」(1891年)、モネの「睡蓮」(1907年)、ピカソの「肘掛椅子に座る女」(1927年)、シャガールの「赤い太陽」(1949年)などがあり、私でも知っている作家・作品が数多く展示されていました。1時間ぐらいかけて一通り館内の作品を見終えたころには、心が癒され、豊かな気持ちになっているのがわかりました。

そしてその後、凛とした空気の中、約3万坪といわれる敷地内の散策を楽しみました。

※ 美術館のホームページは3月末の閉館に伴い、閉鎖される可能性がありますのでご注意ください。

 

 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

上)白鳥が遊ぶ池越えに見た美術館。里山の地形を生かした緩やかな起伏のある敷地内には、木立の中を縫う散策路や芝生の広場、モネの作品を思わせる睡蓮の池などがあり、緑豊かで穏やかな景色が広がっていました。

下)帰りに乗車した京成佐倉駅行きの無料送迎バス。バスのボディにはモネの「睡蓮」が描かれていました。

国立歴史民俗博物館

国立歴史民俗博物館 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

美術館を後にして、帰りは国立歴史民俗博物館(佐倉市城内町117)(以下「歴博」といいます)経由の京成佐倉駅行きバスに乗車しました。

実は元々『歩いてわかる中央区ものしり百科』(中央区観光検定テキスト)(以下「テキスト」といいます)にも載っている、靴工業を興して大成功を収めた、旧佐倉藩士・西村勝三(にしむらかつぞう)(テキストP.71~72)の像(佐倉市宮小路町3)、さらに茶ノ木神社(ちゃのきじんじゃ)(同P.109~110)のある日本橋人形町一丁目12番付近に江戸屋敷があった旧佐倉藩、その第6代(最後の)藩主・堀田正倫(ほったまさとも)(同P.72)の邸宅「旧堀田邸(さくら庭園)」(佐倉市鏑木町274)などを見学しようと計画していたのですが、佐倉市に歴博があるのを思い出し、まずはそこで地元の歴史を勉強しようと考え、途中下車することにしました。

歴博に入ると、その展示は壮大で、原始時代から、古代、中世、近世、近代、現代に至るまで、時代区分ごとに日本各地の歴史と民族文化の実物資料・複製品・復元模型などが展示されているではありませんか! これはすごい!と思いながら時代を下っていくと、ようやくお目当ての江戸時代にたどり着くことができました。

※ 上の画像は、京成佐倉駅にあった「DIC川村記念美術館、佐倉市立美術館、国立歴史民俗博物館」の看板。まさに「ミュージアムの街、佐倉」です。

日本橋川右岸「江戸橋広小路」のジオラマ

日本橋川右岸「江戸橋広小路」のジオラマ 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

江戸時代の展示物があるのは「第3展示室(近世)」で、そこで目を見張ったのが「江戸橋広小路」をテーマとしたジオラマでした!

そのジオラマは、日本橋川右岸江戸橋(テキストP.36)から日本橋(同P.37他)までの街並みが再現され、その説明板には「明暦の大火(1657年)の後、幕府は火事の拡大を防ぐため、一部の町を退かせて、明地(空き地)を設けた。江戸橋広小路もそのひとつであった。しかし、日本橋川・楓川(かえでがわ)に面していることから、河岸や市として発達し、蔵も設けられた。さらに、周辺の町は、明地の掃除などの管理を命じられ、その経費を確保するために仮設の店舗(床店)を貸し付けることが許された。その結果、江戸橋広小路は盛り場となってさまざまな人々が集まった」とありました。

ジオラマといえば、TOKYOミナトリエ(江東区青海2丁目4番24号 青海フロンティアビル20階)の新川のジオラマ(*)にも感動しましたが、まさか佐倉市でこのような江戸のまちを再現した大規模なものに出会えるとは思ってもいませんでした。本日一つ目サプライズです!

(*)同ジオラマについては、こちらのブログの中でご紹介しています。

※ 上の画像は、江戸橋側から上流の日本橋方面を見たもので、西から東へ流れる日本橋川右岸(画像で日本橋川の左側)の万町(よろずちょう。現在の日本橋一丁目付近)周辺の街並みが再現されています。なお、手前の水路は日本橋川から南へ分流する楓川です。また、ジオラマの両側に備え付けられた単眼鏡をのぞくと、どのような店があって、どのような人々がいるかがよくわかります。

 

 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

上)ジオラマと同じ方角の「中央区エリアマップ」。現在の江戸橋(昭和2年(1927)に架橋)は江戸時代の橋よりも数十メートル上流に架けられています。また、日本橋川から南へ分流していた楓川は1960年代に埋め立てられ、現在は首都高速都心環状線が通っています。

下)マップ上の「現在地」付近の陸橋から見た日本橋川右岸の現在。日本橋一丁目中地区再開発の真っ最中です。

 

 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

上)日本橋川下流側から見た江戸橋。

下)説明板には「初出は承応年間(1652~1655)の江戸図。日本橋と同形式の木造橋だが、欄干の柱に擬宝珠(ぎぼし)はなかったとされる。橋のたもとには床見世(とこみせ)・髪結床(かみゆいどこ)が並んだ」とあります。

 

 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

上)北詰から見た日本橋。欄干には擬宝珠も再現されています。

下)説明板には「全長28間(約51m)、幅4間2尺(約8m)。1603(慶長8)年に架けられ、翌年、諸街道の江戸の起点と定められた。周辺は大店(おおだな)の並ぶ繁華街となった」とあります。

 

結局、歴博を2時間ぐらいかけて見学することになり、計画していた西村勝三の像や旧堀田邸(さくら庭園)などを見る時間がなくなってしまいましたが、思いがけず歴博のジオラマに出会い有意義な時間を過ごすことができました。

佐倉順天堂記念館(佐倉市本町81。蘭方医・佐藤泰然(さとうたいぜん)(テキストP.107)が旧佐倉藩 第5代藩主・堀田正睦(ほったまさよし)の招きを受け、天保14年(1843)に創設した「佐倉順天堂」で用いられていた医学書や医療器具などを展示)を含め、今回見ることができなかったスポットは次回の課題ということにして、お土産を買うために、あらかじめチェックしていた酒屋へ向かうことにしました。

藤川本店

藤川本店 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

歴博からのんびり歩いて約20分、到着したその酒屋は京成佐倉駅のすぐ近く、店先に酒樽や通い徳利が置かれてある、老舗酒屋「藤川本店」(佐倉市栄町9-5)さんです。

店主さんにお聞きしたところ、創業は江戸末期とのことですが、詳細年が不明のため、明治元年(1868)の創業としているのだそうです。

店内をぐるりと見ていたら、古そうな木製看板が飾ってありました。近くに寄ってそこに書かれている文字をよく見てみると、何と惣花(そうはな)」と書かれているではありませんか! そして、その横には「東京市北新川 発売元 廣岡助五郎」との文字があります。びっくりです! 最後に本日二つ目のサプライズがここにありました!!

そのことを「惣花」発売元である加島屋(かじまや)(中央区新川1丁目7番4号)さんの廣岡孝治(ひろおかたかはる)社長にお話しすると、「藤川本店さんとは今は取引はありませんが、千葉県内には『惣花』の看板を掲げている酒屋が何店舗かあります。昔は印旛沼の河岸から船で納品していたようです」とのことでした。

早速、江戸と佐倉の運搬ルートを調べてみると、文化庁の日本遺産ポータルサイトに「佐倉藩も治水に取り組み、印旛沼に河岸を設け水運を活用して(利根川を遡って江戸に向かう水運ルートを利用して)藩の特産品などを江戸に運んだ」ことが書かれてありました。

 

 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

「惣花」の木製看板。上部に「宮内省御用達」、右側には「東京市北新川 発売元 廣岡助五郎」、左側には「下総國佐倉町 特約店 藤川之助」と書かれてあります。

※「惣花」については、次の2つのブログの中で詳しくご紹介しています。

酒問屋のまち「新川」について ~ 加島屋社長に聞く ~

江戸下り酒文化伝承の地「新川」で店を構える「日本盛」さん、東京支店長にインタビューしました!

 

 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

「惣花」の隣には「白鹿」の看板もありました。「白鹿」の文字の下には「醸造元 辰馬吉左衛門、一手揚 鹿嶋利右衛門、売捌所 藤川卯之助」と書かれてあります。

※「白鹿」を醸す「辰馬本家酒造(たつうまほんけしゅぞう)」さんについては、こちらのブログでご紹介しています。

おわりに

おわりに 余寒残る佐倉市へ小旅行! ふたつのサプライズ!!

お土産に地元佐倉市の酒蔵旭鶴(あさひづる)さん(佐倉市馬渡918)が醸造している「佐倉城」という特別純米酒を買って帰りました。

この「佐倉城」というラベルの文字は、旧佐倉藩主堀田家直系の子孫であり、第3代佐倉市長の堀田正久(ほったまさひさ)氏が書かれたそうです。

また、ラベルの絵は、日本画家の伊藤哲(いとうさとし)氏が佐倉城の復元画とともに四季の移ろいを描かれたということです。

佐倉市には中央区と関係のある場所がいくつもあります。今回は結果的にテキストに載っている関連スポットへは行けませんでしたが、大変収穫の多い小旅行となりました。

次回は今回行けなかったスポットと、歴博のあのジオラマをもっと時間をかけてじっくり見たいと思います。

最後に、実はDIC株式会社は父が長年勤務していた会社で、美術館の入館券付絵葉書(株主優待品)を毎年もらっていましたが、なかなか行くチャンスがありませんでした。今般、図らずも美術館が閉館することになり、あわてて訪問した形になりましたが、このブログを書くことができたのも何かの巡り合わせと思うと、とても感慨深い気持ちになりました。

※ 本ブログは、各施設・店舗さまからのご了解をいただいたうえで作成しております。