江戸の水菓子
『江戸名所道戯尽 大橋三股』歌川広景 国立国会図書館デジタルコレクション
夏の暑い盛りなのでしょう。気持ちよさそうに隅田川で泳いでいる人たちがいます。
自分たちも泳ごうと思ったのでしょう。男性が二人新大橋のうえから勢いよく飛び込みます。
しかし、たまたま通りかかった西瓜を乗せた船の上へ墜落。売り物の西瓜が台無しです。西瓜売りの男性は慌てています。西瓜の上に落ちた男性も腰を打って怪我をしていなければいいのですが。
ここは新大橋から隅田川の下流、永大橋方向を見ている絵です。富士山がきれいに見えますね。三股(三俣)と名前がついているのは現在の箱崎町辺りが中洲になっていて隅田川が箱崎川、小名木川に分流して三股(三俣)になっていたからです。
『江戸名所図会』国立国会図書館デジタルコレクション
『江戸名所図会』にも「新大橋 三泒(みつまた)』として載っています。新大橋の下にはたくさんの船がいきかっています。大きな屋形船や屋根船も出ています。船遊びを楽しんでいるのでしょう。名所図会の本文では三股の中洲は月の名所だったとあります。昼間は川に富士山、夜は川に月見と。風光明媚なところだったのでしょうね。
老中田沼意次の重商主義の時代、人々の金回りもよくなりこの三泒のあたりは川辺の一部が埋め立てられ中洲新地として高級料理茶屋が立ち並び豪華な宴会が繰り広げられる一大歓楽街となりました。しかし、田沼が失脚し老中松平定信の時代になると贅沢が禁止され寛永のはじめには街は取り壊され中洲も川底に沈みました。
この『江戸名所図会』の時も冒頭の歌川広景の時も風光明媚で人々が訪れる場所ではありますが中洲新地はもうなかったと思われます。
話を冒頭の広景の西瓜の絵に戻しましょう。橋から飛び込んできた人に西瓜をめちゃくちゃにされた舟は、すぐに食べられるようにカットした西瓜を乗せているので、市場に運ぶというより舟遊びの人たちに水菓子として売るためのものものだったのでしょう。よく見るとマクワウリも乗っていますね。川に落ちてしまった赤い看板に「水くわし(水菓子)」「亀屋」(亀は文字ではなく亀の絵)とかいてあります。水菓子売りであることがわかるようにしていたのでしょう。
果物のことを江戸では「水菓子」と呼びました。関西では水菓子と呼ぶ習慣はなく「くだもの」と呼んでいたようです。
江戸時代の西瓜
『成形圖説』巻27 国立国会図書館デジタルコレクション
江戸後期の農業の百科事典にのっている西瓜の絵です。今の西瓜の特徴である濃い緑の縞模様がないですね。外見はかぼちゃのように見えます。しかし中の身は赤く黒い種があることは今と同じようです。
元禄年間に出版された日本最古の農業百科事典『農業全書』にも西瓜が出ています。
その西瓜の説明に・暑気をさます・酒毒を解す・渇きをうるおす・たくさん食べても当たらない・種にいろいろある(種類がいろいろある)「じゃがたら」という種類がある・肉赤く味がいい・海辺の肥えてる砂地で育つとあります。
夏の暑いとき喉を潤したりお酒の飲み過ぎの時に食べると美味しかったことがわかります。今と変わりないですね。
江戸の果物
歌川豊国(3世)「夜商六夏撰」東京都立図書館デジタルアーカイブ
この絵はシリーズもので夏の夜の六つの商売(水売り、麦湯売り、植木売り、虫売り、提灯売り、水菓子売り)に役者が扮している見立て絵です。この絵は赤い行燈看板の文字から「水菓子売り」とわかります。
絵の中にどんな夏の果物があるか見てみましょう。赤い「西瓜」がひときわ目を引きます。西瓜の上に山形に積み重なっているのはなんでしょうか?色は茶色いですが、「梨」のように見えます。お店の人が手に持って包丁で皮をむいているのは「マクワウリ」です。
江戸時代には様々な種類の果物がでまわっていたことがわかります。
果物はどこから江戸へ?
江戸時代、「峡中八珍果(甲州八珍果)」として甲斐の国から8種類の代表的な果物(葡萄、梨、桃、柿、栗、林檎、柘榴、胡桃)が甲州街道を通って運ばれてきていました。『甲斐叢記』に果物が絵とともに紹介されています。
西瓜はどこからきていたでしょうか?
日本橋三井タワーに本店のある千疋屋は江戸時代、千疋村(現在の埼玉県越谷市)でとれた西瓜、桃、マクワウリなどの果物や野菜を船で葺屋町(現在の日本橋人形町)の親父橋まで運んでいたそうです。現在ある親父橋の説明板については過去のブログをごらんください。
越谷から江戸へは搬水路が確立されていて、夜に出発すれば早朝には着いたそうです。新鮮な西瓜やマクワウリが食べられたのですね。千疋屋の歴史はこちらの公式HPで詳しく知ることができます。
さてさて、西瓜の食べ方ですが。
赤い実の部分だけ一口大のキューブにカットして皿に盛って爪楊枝で食べている浮世絵も残っています。現在、スーパーで売っているカットフルーツのような状態です。お上品な食べ方を江戸時代もしていたのだなとびっくりしますが…。
やはり威勢のいい江戸っ子は大きく切った西瓜をガブリとやる人も多かったのではないでしょうか。
その様子がわかる句を宝井其角が残しています。
「西瓜喰ふ奴(やっこ)の髭の流れけり」
奴(やっこ)の髭は奴凧の髭を思い浮かべてもらうといいと思います。くるんと跳ね上がった立派な髭が鼻の下に生えています。鎌髭といいます。
みんながみんなあの立派な髭が生えるわけではないですよね。そこで油墨というもので髭を書いていた人もいました。
奴(やっこ)は比較的身分の低い人です。西瓜も一口に切るよりは大きくカットして勢いよくかぶりついたのでしょう。そのような食べ方をすると西瓜の汁が口の周りにしたたって書いている髭も流れてしまうという様子を詠んだ句です。
夏の暑い日にみずみずしい西瓜。美味しそうです。
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