富嶽三十六景プロデュース~西村屋与八

鳥居清長『彩色美津朝』国立国会図書館デジタルコレクション
これは西村屋与八の店先の様子です。馬喰町二丁目に店をかまえ、宝暦から慶応年間にかけ3代続いた書物・地本問屋です。書物(仏書、歴史書、辞書、などお堅めの本)と地本(絵入りの物語などの読み物)両方を扱っていました。堂号は永寿堂。商標は山に三つ巴。絵の中の日除け暖簾に大きく山に三つ巴マークがついているのがわかります。
本や錦絵は正月に出版されることが通例でした。この絵もお正月なので店先には門松があり、箱看板には注連縄がついています。門松は現在と様子が違いますね。1本の背の高い松の木(枝?)の周りに節のある細い竹を何本か沿わせてまとめてくくってあります。
店の中には花魁の錦絵を手に取っている男性客がいます。『雛形若菜初模様』にも見えますね。そして、挟み箱を担いだおともを連れた裃姿の男性。この人は刀を一本しかさしていないので武士ではなく、大きな商家の旦那かもしれません。おともが持っている挟み箱の中には新年の挨拶に客にさしあげる扇子が入っていると思われます。新年のあいさつ回りにでかけた帰りに本屋に寄ったのかもしれませんね。
店の右の端の陰ではてぬぐいで頬かむりをした男性が束ねた紐をにぎっていて子どもたちが群がっています。これは宝引き(ほうひき)という正月の福引の一種で、紐の先に橙がついているのを引き当てたら当たり!何か商品がもらえるそうです。
永寿堂の位置

『江戸切絵図』(本屋の位置を加筆しました)国立国会図書館デジタルコレクション
永寿堂(西村屋与八の店)は馬喰町二丁目にありました。店の位置は『俚俗江戸切絵図』有光書房を参考にさせていただきました。初音の馬場や両国橋に近いですね。
大河ドラマ「べらぼう」では里見浩太朗さんが演じていて、蔦重の力となってくれている須原屋茂兵衛の店は日本橋通1丁目なのでこの地図の画面からは外れています。須原屋茂兵衛は地本問屋ではなく書物問屋なのでお堅めの本を出版しています。「土下座しなくて大丈夫!?日本橋」に書いた『袖珍武鑑』を出版していたのが須原屋茂兵衛です。
西村屋と蔦屋重三郎のすみわけ

鳥文斎栄之『風流五節句 七夕』国立文化財機構所蔵品統合検索システム
NHK大河ドラマ「べらぼう」では西村まさ彦さんが演じているのが初代の西村屋与八です。蔦屋重三郎と共同で『雛形若菜初模様』を出版しました。呉服屋とタイアップし、吉原の花魁に呉服屋の流行の着物を着せた今でいうファッション誌のような錦絵。華やかな作品は人気を博しましたが、西村屋と蔦重の協力関係は長くは続きませんでした。ドラマでは市中の書物問屋たちが当時吉原にいた蔦重を排除したとなっていましたが、真相はどうだったのでしょうか。いずれにしても、『雛形若菜初模様』は西村屋が当時人気のあった鳥居清長を起用し継続して出版し、100枚を超す人気シリーズとなりました。
美人画では蔦重は喜多川歌麿を起用し、上半身を大きく描く大首絵。西村屋は鳥居清長らの、すらりとした八頭身美人の全身像を手がけました。
上の美人画は鳥文斎栄之の絵です。鳥文斎栄之は現在の日本橋浜町に屋敷を構えていた旗本細田家に生まれました。浜町の細田家の屋敷の敷地内には賀茂真淵が縣居という小さな家を建てて住んでいました。それについてはこちらのブログで触れさせていただいているので参考までに。
絵の左の下に山形に三つ巴の西村屋の印があります。鳥文斎栄之も西村屋から多くの錦絵を出版しています。
武家出身の鳥文斎栄之の美人画は美しく清らかな魅力があり、知識人や上流階級の人に好まれたようです。
歌麿の描く女性は他の人が描く美人画に比べて個性が見られます。柔らかく肉感的で色気があったり可愛いらしかったり憂いを帯びていたり…大首絵でアップになった時に表情が目をひきます。
鳥文斎栄之も喜多川歌麿もそれぞれ違った魅力がありそれを引き出したのは西村屋と蔦重のプロデュースの力もあったのでしょう。
浮世絵における西村屋の最大の功績

『富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見』国立文化財機構所蔵品統合検索システム
浮世絵で誰もが知っている葛飾北斎の『富嶽三十六景』は西村屋のプロデュースで生まれました。しかし、大河ドラマに今出ている初代の西村屋さんではなく、2代目か3代目だと思われます。北斎は70歳代。
なぜ、富士山をテーマにしたのでしょうか?当時は庶民を中心に冨士講が大ブーム。「江戸八百八講」と言われるほどたくさんの講があり、団体内でお金を積み立てて代表で何人かが富士山に登拝しました。山開きの2か月間に1~2万人もの人が信仰を目的に登拝したと言われています。西村屋はそこに目を付けたのでしょう。
この『富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見』。両国橋と富士山を背景にした渡し舟。乗っている人々は静かに景色を眺めていたり、うつむいていたり。川の流れと櫓をこぐ音しか聞こえないような静寂が感じられます。夕陽見とありますが、夕陽見という言葉から連想されるような赤い夕陽はありません。夕陽は少し前に沈んで暗闇が訪れる少し前の時間なのでしょうか。青い影になった富士山と深い青の隅田川の水。
江戸時代は浮世絵はかけそば1,2杯程度の金額で買えたそうです。版画を身近に楽しめる心豊かな生活。うらやましいです。そして、それまで美人画、役者絵が中心だった浮世絵の世界で、風景画の地位を確立させ、図らずも後世の私たち、日本人だけでなく海外の人も心惹かれるような北斎の富嶽三十六景を残してくれた西村屋の貢献はとても大きいものです。
おまけ

『富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見』国立文化財機構所蔵品統合検索システムを部分拡大
船で立っている男性の風呂敷には山形に三つ巴の西村屋の商標が!