rosemary sea

べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑱
  ~ 田沼意次 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第17話、夢中にさせてくれましたね。

後々に意次の嫡子・田沼意知の身を危うくする「佐野の系図」、また出てきましたね。後に書かせていただきます。

それから福原遥さん演じる花魁(おいらん)・誰袖(たがそで)、成長して再デビューです。こちらも別人物による「身請け」で後にスポットを当てます、乞うご期待、です。

地本問屋の鶴屋喜右衛門(このシリーズ8)・西村屋与八(同シリーズ7)の蔦重妨害策やライバル心なども珠玉でした。

 

今回は「田沼意次(たぬまおきつぐ)」について述べさせていただきます。

『今更、意次?』と言われそうですが、意次さん、中央区に縁があるのです。

田沼意次邸は木挽町にありました。そうです、現在の銀座です。中央区に住んでいたのです。

銀座5丁目にあります「狩野画塾跡」説明板にも、そのような記述があります。以前書かせていただきました。

⇒ 「『銀座』はどこまで? 銀座を一周してみましょう! 番外編 ~森田座跡・狩野画塾跡・佐久間象山塾跡~  ーそれから、江戸歌舞伎関連ー」

※ 狩野画塾跡につきましては次週、詳しく述べたいと思います。

なお、冒頭画像は築地6-20-37、波除(なみよけ)稲荷神社の獅子殿、「厄除天井獅子」です。

それでは・・・

 

田沼意次は・・・

田沼意次は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑱
  ~ 田沼意次 ~

画像は先ほどと同じ、波除稲荷神社の摂社 弁財天社、「お歯黒獅子」です。

 

田沼意次

江戸時代中期の旗本、大名、老中。享保4年(1719年) ー 天明8年(1788年)

田沼氏は関東の一小族でした。身分は足軽小者のたぐいであったと考えられます。

父意行(おきゆき)が江戸に入り、徳川吉宗の御小姓となり昇進を繰り返します。

意次はその長男として生まれました。

そして16歳で将軍吉宗に拝謁、2年後世子家重の御小姓となります。

そして吉宗死後1か月、将軍家重のもとで宝暦元年(1751年)に側用申次(そばようもうしつぎ)に栄進します。

この側用申次は側用人(そばようにん:政治の実務担当者)の代わりの役職、幕府譜代門閥層からのクレームを避けるため、吉宗が編み出した役職名称。

「郡上一揆(ぐじょういっき)」の審議に参加、そこで老中本多正珍(ほんだまさよし)・若年寄本多忠英追放に伴い本多忠英の領地・遠州相良(えんしゅうさがら)を得ます。

その後も昇進を重ね、明和4年(1767年)側用人、明和6年(1769年)老中、安永元年(1772年)老中・側用人兼務となります。

 

前例のない兼務役職についたことになります。足軽出自として大出世です。

老中は幕府最高の役職、現在の総理大臣のようなもの。

側用人は将軍の側近、将軍の命令を老中に伝え、また老中の上申を将軍に取り次ぐ役。老中並みの権力を持ちます。

本来は老中の権力を弱めるためにつくられた役職でしたが、老中意次は側用人も兼ねてしまいます。低い身分出身なのに第1号の兼務者誕生です。

これでは絶大な権力を持たない訳はありません。

譜代門閥層から妬まれ憎まれたのは当然のことでした。

なお、意次が側用人になった明和4年(1767年)から天明6年(1787年)頃までの20年ほどの間を「田沼時代」と呼ぶようになっています。時代を指す言葉として個人の名前が使用されることにつきましては、日本の歴史上とても希なことと言えます。

 

歴史上、田沼意次ほど評判の悪い人物はいません。直後の「寛政の改革」でも全否定されました。

賄賂(わいろ)を好み、賄賂によって政治を左右した、暗殺を利用した、という政治姿勢に対して、良い評価が出る訳がありません。

しかし、田沼時代は本当に悪政だけの時代だったのでしょうか?「清き水」ではありませんでしたが幕府財政の悪化に逆らい粉骨砕身努力しませんでしたか?町人文化が自由闊達に花開く様に理解を示しませんでしたか?

流通税の導入、通貨の一元化政策、蝦夷地開発、印旛沼の干拓、天災・災害対策、・・・。

それは今までの「べらぼう・・・」で描かれ、そしてこれからの「べらぼう・・・」での田沼意次の描き方で表現されるかもしれません。

 

当時詠まれた狂歌(寛政の改革の頃と思われます)をご紹介します、と言ってもご存じの方、多いはずですが。

  白河の 清きに魚も 住みかねて

   もとの濁りの 田沼恋しき

白河=元白河藩主・松平定信、寛政の改革を指揮

魚=庶民

田沼=田沼意次の時代

作者不明です。その頃見つかったら処罰されることとなりますから。

 

参考文献 「田沼意次の時代」 大石慎三郎:著 岩波書店刊

 

「べらぼう・・」での田沼意次は・・・

「べらぼう・・」での田沼意次は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑱
  ~ 田沼意次 ~

画像は銀座3-6-1、松屋銀座本店屋上の龍光不動尊、手水舎です。

 

渡辺謙さんが演じています。ロズマリにも縁ある現・新潟県魚沼市のご出身ですが、幼少期のお話はあまりされないようです。

 

田沼意次

~ 幕府“新時代”を目指す改革者にして、“絶対的権力者” ~

自らの才能と実行力で、足軽出身の出自から遠江相良藩(とおとうみさがらはん:いまの静岡県牧之原市)の五万七千石の大名に昇りつめた人物。

米による幕府の財政運営に限界をおぼえ、金を動かしてこそ“経済がまわる”商業重視の政策に方針を大転換。

商人を中心に江戸は好景気に沸く。

また印旛沼の干拓、蝦夷地の開発、優秀な人材を幕政に積極的に登用し、“新しい日本”を創り始める。

ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページ より ー

 

これからもNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、隠れた中央区ネタを探し出す努力をさせていただきます。