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べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑧
  ~ 鶴屋喜右衛門 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第8話、観られました?

このシリーズ②でご紹介しました「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」も出てきましたね。

気持ち的には花魁(おいらん)花の井改め5代目瀬川を後に身請けする鳥山検校(けんぎょう)に注目したいところですが、中央区との接点がみつからず・・・。

今回は「鶴屋喜右衛門(つるやきえもん)」に注目しました。

第8話では、蔦重の親父さんに階段から突き落とされ、「吉原出入り禁止」を告げられてしまいました。

 

鶴屋喜右衛門は地本問屋、京都で創業、のちに江戸に進出しました。

店を構えた先は日本橋通油町(とおりあぶらちょう)、現在の日本橋大伝馬町です。中央区との繋がりは十分です。

ちなみに後に蔦重が「耕書堂(こうしょどう)」というお店を開いたのも通油町、江戸城の常盤橋門と浅草橋門を結ぶ当時のメインストリート、元吉原の大門の前です。日本橋の芝居小屋にこれから向かう、または芝居小屋を堪能した帰りの人々が通る道です。

蔦重は敢えて当時の大書店街に自ら飛び込んでいった次第です。

 

なお、冒頭画像は椙森(すぎのもり)神社、日本橋堀留町1-10-2です。

神社は関連からの福徳神社、それから日本橋小伝馬町・東日本橋・日本橋本町の各神社をご紹介しましたので、今度は中央区内の他の神社の画像で飾ることとしました。

椙森神社は以前ご紹介済みです。

⇒ 2020年9月24日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社NO.24 ~椙森神社~」

それでは・・・

 

鶴屋喜右衛門は・・・

鶴屋喜右衛門は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑧
  ~ 鶴屋喜右衛門 ~

画像は三光(さんこう)稲荷神社、日本橋堀留町2-1-13です。

三光稲荷神社のご紹介は過去3度ございます。

⇒ 2020年3月1日「三光稲荷神社・ひなまつり・失せ猫 祈願 ~三光稲荷神社~」

⇒ 2020年4月3日「三光稲荷神社の歴史 ~三光稲荷神社~」

⇒ 2021年2月24日「三光稲荷神社、今年のひなまつりは中止です ~三光稲荷神社~」

 

鶴屋喜右衛門

江戸の地本問屋のリーダー的存在。生没年不詳、3代まで続きました。

「仙鶴堂(せんかくどう)」という屋号で合巻(ごうかん:草双紙【くさぞうし:絵入り大衆本】の一種)や錦絵の版元でした。

また洒落本(しゃれぼん:吉原など遊里文化を描いた風刺読み物)や黄表紙(絵付きのお笑い小説)、読本(とくほん:歴史・伝奇小説)なども得意としていました。

どこまでが初代でどこからが2代目かわかりにくいのですが・・・。

版元として名を挙げたのは文政12年(1829年)出版の「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)作・歌川国貞(うたがわくにさだ)画の長編合巻、蔦重が亡くなった後【寛政9年(1797)年没】ですが。2代目の成果かもしれません。

とにかく力のある人物(一族)だったようです。

偐紫田舎源氏を発行する前には文政の大火により被害を受けています。それでも出版に問題なし。

また、現在の京橋に住んでいた歌川広重の「東海道五十三次」は霊岸島の保永堂から出版された、となっていますが、当初は仙鶴堂との共同出版だったようです。

 

「べらぼう・・・」での鶴屋喜右衛門は・・・

「べらぼう・・・」での鶴屋喜右衛門は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑧
  ~ 鶴屋喜右衛門 ~

画像は富澤(とみざわ)稲荷神社、日本橋富沢町7-18です。

富澤稲荷神社のご紹介はこちらでした。

⇒ 2020年7月9日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社⑪ ~富澤稲荷神社~」

 

風間俊介さんが演じています。静かな立ち居振る舞いの中にも威厳を感じさせます。笑顔に見えますが眼が笑っていない、さすがです。

 

鶴屋喜右衛門

~ 京ゆかりの大“地本問屋” ~

鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助さん)や西村屋与八(西村まさ彦さん)らをまとめる江戸市中の“地本問屋”のリーダー的存在で、新参者の蔦屋重三郎(横浜流星さん)と対立、草双紙や錦絵で数多くのヒット作を出版するとともに、山東京伝など若い才能を見いだしプロデュースするなど、蔦重とともに一時代を築いた。

ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページより ー

 

余談ですが・・・

江戸時代の川柳の句集「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」には、次のような川柳が載っています。

○ 母親ハ 夜るの鶴屋へ 迷ひ来る

○ 子を思ふ 夜るの鶴やへ 草さうし

○ 吉例に 鶴屋から買ふ 草双紙

○ 鶴に蔦 こたつの上に 二三冊

これらは草双紙と言えば仙鶴堂、鶴屋というロジックが成立していた証明となっています。

上の二句は、子を寝かしつけるにはおとぎ話的な草双紙が必要不可欠、と言っているようです。

三句めは、正月明けは鶴屋の草双紙がマスト、と。

そして最後の一句は、鶴屋と蔦屋が草双紙の双璧だったことを物語っています。

 

 

・・・引き続き「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ウオッチャーとして注目していきたいと思います。