べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 39
~ 宿屋飯盛 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第37話、とうとう北川政演【まさのぶ】(山東京伝)さんにも統制の波が押し寄せることに。
京伝さん、他の本屋から心学推奨の本を出したことから蔦重と言い争い、「俺、もう書かねえっす、蔦重さんとこでは一切書かねえっす」と。
いずれ蔦重にも及ぶ刑のリンケージ、負のスパイラル、恐ろしいです。
ただ、ここを乗り越え復活する蔦重、早く見たいです。
それから松平定信さんの寛政の改革の一環で、「中州(なかず:現在の日本橋中州【にほんばしなかす】の辺りにあった隅田川のいわゆる中州【※】の歓楽街)」の取り壊し、というのが出てきましたね。いずれ中州を採り上げようと思います。
※ 中州(なかす)
川に流れつき堆積した土砂により、島のようになった地形。
37話に登場しましたのは、
シリーズ29蔦重、シリーズ25てい、シリーズ27つよ、シリーズ⑳恋川春町(回想)、シリーズ⑬北川政演(山東京伝)、シリーズ23喜多川歌麿、そしてシリーズ⑧鶴屋喜右衛門。
今回は26話登場の「宿屋飯盛(やどやのめしもり)」について述べます。
宿屋飯盛さん、日本橋で宿屋をしていたから「宿屋」の名です。
なお、冒頭画像は東日本橋2-25-5、川上稲荷神社の手水舎です。
それでは・・・
宿屋飯盛は・・・
画像は東日本橋2-6-8,矢ノ庫(やのくら)稲荷神社の手水鉢です。
宿屋飯盛
石川雅望(いしかわまさもち)、通称「五郎兵衛」。
宝暦3年(1754年) ー 文政13年(1830年)
狂歌師としての狂名は「宿屋飯盛」。別号は六樹園(ろくじゅえん)・五老。
宿屋飯盛も、誰でも知っているスター狂歌師のひとりですが、じつは国学者で読本作家・石川雅望。
浮世絵師・石川豊信の息子で、日本橋小伝馬町で旅籠屋(はたごや)をしていました。
寛政初めに一時江戸払いとなったこともあります。
和漢の学に精通し、源注余滴(げんちゅうよてき)、雅言集覧(がげんしゅうらん)等、国学の著述もあり、黄表紙・読本(よみほん)の作もあります。
狂歌は四方赤良(よものあから:大田南畝の狂歌名:このシリーズ21参照)に学んで伯楽連(はくらくれん)を結び、のちに五側(ごかわ)と称し、天明狂歌四天王のひとりと言われるようになる。
同じく四天王のひとり:鹿津部真顔(しかつべのまがお:「しかめっ面の真顔」をもじったものとされる)と対立して天明調純正狂歌を強く主張しました。
「吾妻曲(あずまぶり)狂歌文庫」「万代狂歌集」吾嬬那万俚(あずまなまり)」その他多くの狂歌狂文の編著があります。
なお、蔦重没後、その碑文を書いています。
参考文献 別冊太陽 日本のこころ89「蔦屋重三郎の仕事」 平凡社刊
日本古典文学全集46 「黄表紙・川柳・狂歌」 小学館刊
「べらぼう・・・」での宿屋飯盛は・・・
画像は日本橋堀留町2-1-13、三光(さんこう)稲荷神社の手水鉢です。
又吉直樹さんが演じています。お笑いコンビ・ピースの頃が懐かしいですが、小説を書き、俳優も。
宿屋飯盛
~ 大田南畝に学び、狂歌四天王の一人に数えられた狂歌師 ~
日本橋で宿屋を営んでいたことが狂名の由来とされる。
狂歌集の編集・出版で蔦重(横浜流星さん)と協力し、天明8年には歌麿(染谷将太さん)とともに狂歌絵本『画本虫僎(えほんむしえらみ)』を刊行し、狂歌師の地位を不動のものにした。
蔦重が亡くなった後、蔦重の墓に碑文を残す。
ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページ より ー
・・・NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、登場人物紹介はまだまだ続きます。
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