べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 37
~ 白木屋彦太郎 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第35話、ついに恋川春町さんの黄表紙「鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)」、つまりパロディーの問題作が発刊されてしまいましたね。
これから蔦重や絵師・戯作者・狂歌師たちへの弾圧の嵐が・・・。恐ろしいです。
蔦重の妻・ていさんは「からかいが過ぎる、おふざけが過ぎる」と言って世に出すのに反対しましたが、そのからかいのターゲットとなった、「鸚鵡言(おうむのことば)」の著者・定信さんも黄表紙ファン、春町びいきと聞いて乗り気になってしまいました。
※ 「鸚鵡返文武二道」につきましては、5月20日のこのシリーズ⑳「恋川春町」で少しだけ触れています。
※ その「鸚鵡返文武二道」は、改めましてこのシリーズ内で別に語らせていただきます。
それからロズマリがこの回で気になりましたのは朋誠堂喜三二さんが「どうだろう、まあ」と繰り返し言ったこと。
「道陀楼麻阿(どうだろうまあ)」は、蔦重刊として黄表紙を始める前の、洒落本を初めて出した時のネーム、ファンキーな名前です。このシリーズ28の7月16日「朋誠堂喜三二<平沢常富>」のところでで既にご紹介しました。
35話登場人物は、
シリーズ29蔦重、シリーズ25てい、シリーズ27つよ、シリーズ23喜多川歌麿、シリーズ21大田南畝、シリーズ32唐来三和、シリーズ⑬北尾政演(山東京伝)、シリーズ⑳恋川春町、シリーズ28朋誠堂喜三二、そして今回でおさらばとなりましたシリーズ⑲鳥山石燕。
今回は「白木屋彦太郎(しろきやひこたろう」にコミットします。
23話登場でした。正真正銘の「中央区族」です。
なお、上の冒頭画像は富澤稲荷神社の手水鉢、下の2枚目画像はその手水舎、3枚目画像は幟(のぼり)です。
富澤稲荷はこの「べらぼう・・・」の舞台となった耕書堂跡(日本橋大伝馬町)にほど近い日本橋富沢町7-18にあります。
それでは・・・
白木屋は・・・
現在の百貨店のなかで、創業の早いものは江戸時代に呉服問屋であった場合が多い。
三越(三井越後屋)、大丸(大丸屋)などはその代表的な例であるが、これらと一時肩を並べていた百貨店に白木屋があった。
ただし第二次世界大戦後の時代の荒波のなかで、昭和42年(1967年)に他の百貨店の傘下に入って白木屋の名は消え、平成11年(1999年)にはほかに本店・支店のあるその百貨店も、日本橋店である白木屋ゆかりの場所は手放してしまった。
参考文献 「江戸店の明け暮れ」 林玲子:著 弘文館:刊
「江戸と上方」 林玲子:著 弘文館:刊
初代白木屋彦太郎は・・・
大村彦太郎可全(よしまさ)。白木屋の開祖。寛永13年(1636年)近江国長浜生まれ。
修行の後に京にて材木商「白木屋」として独立。
江戸出店を図り、寛文5年(1665年)、日本橋に小間物を扱う「白木屋}を出店、その後江戸の大店(おおだな)呉服商「白木屋」へと発展させた。
元禄2年(1689年)没。
「べらぼう・・・」での白木屋彦太郎は・・・
堀内正美さんが演じています。
年代的に、「べらぼう・・・」での白木屋彦太郎は六代目大村彦太郎を指しているようです。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページでは「呉服屋の主人」と紹介されています。
名水白木屋の井戸(めいすいしろきやのいど)
日本橋1-4-1
ー 将軍家や諸大名にも献上した湧き水 ー
江戸初期に埋め立てられた日本橋周辺は、良水の確保に苦しんでいた。
そこで正徳元年(1711年)、呉服商を営んでいた白木屋二代目当主の大村彦太郎は、私財を投じて井戸掘りに着手した。
翌年には、将軍家や諸大名に献上するほどの清水が湧き出した。
付近の住民にも使われたこの水の評判は江戸中に知れわたり、「白木名水」とうたわれた。
その後、名水は消失したが、東京都指定文化財(旧跡)として、COREDO日本橋敷地内に石碑が立っている。
(※ 現在工事のため見学不可)
~ 「歩いてわかる 中央区ものしり百科」 より ~
中央の建物を新築中です。左の建物がCOREDO日本橋です。
「名水白木屋の井戸」の碑のある場所は現在はこのように「再開発工事中」となっていて、碑を見ることはできません。
来年にはこの建物も竣工となり、碑も移され見られるはず、なのですが・・・。
警備員さんによると「工事は遅れ気味」だそうです。
COREDO日本橋
日本橋1-4-1です。日本橋交差点に面し、東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線 日本橋駅のほぼ真上になります。
ここに江戸時代から呉服店「白木屋」がありました。昭和になっても白木屋百貨店日本橋本店として存在しました。
ですがやがて東急の傘下に入り、昭和42年(1967年)に東急百貨店と合併、「東急百貨店日本橋店」として再スタート、白木屋の名前はなくなりました。
その東急日本橋店も所有が移り取り壊された後の平成16年(2004年)、複合商業施設「COREDO日本橋」が建ち、開業しました。
ロズマリもこの当時のことは記憶に留め、目に焼き付けています。
COREDO日本橋の「COREDO(コレド)」とは、CORE(コア:核)とEDO(江戸)を重ねた造語です。
「江戸の中心」ということですね。
東急プラザ銀座
現在、中央区で「東急」と言えば「東急プラザ銀座」に帰結します。
銀座5ー2ー1、数寄屋橋交差点に面し、隣りは数寄屋橋公園です。
その外観は江戸切子をモチーフとしているそうです。
ここはもともと東芝不動産が所有し、銀座東芝ビルからの銀座TSビルという名前のビルが建っていました。
昭和31年(1956年)、ここに「数寄屋橋阪急」が開業、長らく親しまれました。
ですが平成19年(2007年)には東急不動産に所有が移り、平成28年(2016年)、今度は「東急プラザ銀座」が開業します。
のちに所有が変遷しましたが、運営は東急不動産が継続、名称も現在まで「東急プラザ銀座」のまま。
今年に入り、外資買収となったことで東急不動産が運営より撤退、名称も変更される予定とのこと。
また、来年には大きな改修をされるようです。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、様々な角度から「中央区がらみ」を検証していきます。
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