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べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑩
  ~ 平賀源内 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第10話、ご視聴いただけました?

5代目瀬川の、花嫁衣装での花魁道中、とても見応えがありましたね。

 

ロズマリは通常、「次回予告」を参考にしてオンエア前に題材を決定し、それに沿って放送後に加筆するというスタイルでこの「べらぼう・・・異聞」シリーズを執筆しています。

ですが今回第10話には驚かされました、まさかここでまた絵師の勝川春章が出てくるとは・・・。

10話の終わりには、勝川春章の説明で人形町からくり櫓(やぐら)や中央区立郷土資料館、人形町通りなどが映されていました。

勝川春章はいずれ書きたい人物としてストックしていましたが、まだまとめ上げておりませんでした。次回書かせていただきます、他の中央区ネタより中央区繋がりが強ければ。

なので今回は「隠し玉その2」を使わせていただきます。

第2話から登場しております、皆さま良くご存じの平賀源内(ひらがげんない)につきまして述べさせていただきます。今回第10話にも源内さん、このシリーズ【異聞⑤】にてスポットを当てました須原屋市兵衛(すわらやいちべえ)とともに登場しましたね。

平賀源内さん、江戸時代ではありますが現在の中央区内を闊歩していたはずです。

それに晩年に刃傷・殺傷事件を起こし小伝馬町の牢獄に投獄され、牢内で破傷風にかかり生涯を閉じたとされています。

ですから中央区との繋がりにつきましては問題ないと思います。

 

なお、冒頭画像および2枚目、3枚目の画像は、日本橋小網町16-23、小網神社です。

小網神社は既にご紹介させていただいております。

⇒ 2021年1月21日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社NO.35 ~小網神社~」

⇒ 2024年1月25日「日本橋七福神めぐり、実は人形町ぐるり一周です ~日本橋七福神めぐり~」

それでは・・・

 

平賀源内は・・・

平賀源内は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑩
  ~ 平賀源内 ~

有名な、キセルを持った平賀源内の肖像は、平賀源内肖像(木村黙老著『戯作者考補遺』明治写)慶應義塾大学メディアセンター よりご覧ください。

 

ー 平賀源内 ー

享保13年(1728年)~安永8年(1780年)

江戸時代中期の本草学(ほんぞうがく:中国の薬物学)者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者(げさくしゃ)、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。多才で知られていますが、「エレキテル」で憶えている方が多いのでは。

「源内」とは通称で、「国倫(くにとも」という名だったようです。

讃岐の国、現在の香川県の生まれで、若くして長崎や大坂、京都を学びの場とし、その後江戸へ。

諸々のイベントに関わりながら、老中・田沼意次に知己を得、次第に時代の表舞台に登場するようになります。

蔦重との関わりも「べらぼう・・・」に描かれていますね。ここでは多くを語らない方が良いでしょう。

ここからのことはぜひ「べらぼう・・・」でご覧ください。

 

「べらぼう・・・」での平賀源内は・・・

「べらぼう・・・」での平賀源内は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑩
  ~ 平賀源内 ~

安田顕さんが演じています。演技には定評がありますね。

 

ー 多彩なアイデアをもつ有名人・平賀源内 ー

“ あふれるアイデアで日本の未来を変える希代の天才 ”

本草家、戯作者、鉱山開発者、発明家…先進的なアイデアを次々と思い浮かべては、その実現のため日本各地を巡り成功と失敗を切り返し、ときに山師と呼ばれる。

その発想に田沼意次(渡辺謙さん)もほれ込み、特命を託すほど目をかけている。

蔦重(横浜流星さん)も、地元・吉原に再び客を呼び寄せようと、江戸の有名人になっていた源内に仕事の依頼をすべく接触を試みる…。

ー NHK大河ドラマ「べらぼう~栄華乃夢噺~」ホームページより ー

 

ロズマリの「平賀源内」考・・・

ロズマリの「平賀源内」考・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑩
  ~ 平賀源内 ~

画像は日本橋小網町4-9、明星(めいせい)稲荷神社です。

明星稲荷神社は以下の通り既にご紹介しております。

⇒ 2020年11月3日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社NO.27 ~明星稲荷神社~」

 

源内さんが鉱山開発に赴いた埼玉・秩父地方の資料では、源内さんの風貌は、

① 肩がいかって出尻の人であった。

② 顔が長くて、左の眼の尻にホクロが2つあった。

③ 鼻が大きくて眼が細長かった。

④ 左の顎(あご)に瓜の種のような小さい痣(あざ)があった(少年時代のきず)。

⑤ 人差し指が並みの人よりも長かった。

⑥ 足袋(たび)は十文半であった。(一文=約2.4cmですから「十文半」は約25.2cmかと)

⑦ 声は美音であった。

⑧ 毎夜ろくろく眠らないで書きものをしていた。

⑨ 大きな髻(たぶさ:髪を頭上で束ねたもの、もとどり)で大きな髭(ひげ)。

⑩ 酒は大酒。

⑪ 湯に入って褌(ふんどし)を忘れたことがある。

・・・などと記載されていたようです。肖像画、描きやすいですね。

前出の木村黙老が載せた肖像も、源内没後66年経ったところの幕末での絵、源内さんを知る人を伝っての作画であったようです。

 

源内さん、とても多才でありました。

発明、本草学、地質学、医学、はたまた戯作、浄瑠璃、俳句の才能・活躍・・・。

ただ、オランダ語習得につきましてはその才能発揮とはならなかったようです。

もしもそのオランダ語習得に身を入れていたなら、「ターヘルアナトミア」翻訳や「解体新書」出版など容易(たやす)いことでしたでしょう。

逆に秩父鉱山開発の失敗にも源内さん、痛手を受けてしまいましたね。

晩年はとても怒りっぽく、それがもとで刀で人を死に至らしめ、人形町の牢屋に入り、そこで牢死。

とても残念な結末になりました。

ですが「べらぼう・・・」に描かれていますように源内さん、とても愛すべき人物であったことは間違いありません。

ー 参考文献 朝日選書「平賀源内」芳賀徹・著 ー

 

 

・・・これからのNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、中央区関連に注目してまた取り上げていきたい、と思います。

余談ですが、・・・

今回第10話にはロズマリのエキストラ仲間が映っておりましたので、殊更微笑ましく拝見させていただきました。NHK様、ありがとうございます。