常盤校友会『日本橋歴史アーカイブス』リニューアル
ガイド付見学会6月28日開催。
佐倉『天下祭り』日本橋と関わりあるつながり!

6月にリニューアルされて初めての竹内誠江戸東京博物館名誉館長監修『日本橋歴史アーカイブス』展示ガイド付見学会が開催されます。
もちろんガイドは『日本橋歴史アーカイブス』全体企画・デザイン担当の新野圭二郎氏です。
イギリスにいらした経験から、世界から見た視点での江戸の成り立ちを部屋全体に復元された江戸之下町復元図(中村地図研究所提供)を使ってのガイドをしてくださいます。
自分が立っている場所が今話題沸騰中のNHK大河ドラマ「蔦屋重三郎の耕書堂」がある場所だとわかると、リアルにその時代にタイムスリップしたかのように興奮してしまいました。
日本橋歴史アーカイブスホームページhttp://e-archives.org/
ガイド付き見学会は原則毎月1回最終土曜日11時~13時・15時~17時の2回開催されます。予約不要です。
※日時などの変更などのお問い合わせは上記アドレスにお問い合わせください。
常盤小学校校友会ホームページhttps://www.tokiwagakkou-kouyukai.jp/
皆様、ご家族やお友達も誘い合って是非ご参加ください。
蔦屋重三郎の耕書堂・通油町現大伝馬町13

常盤小学校6年生 講師 新野圭二郎氏の特別授業

常盤小学校は『英語科』『国際化』の教科を設置。校内にある『日本橋歴史アーカイブス』を活かしての授業が行われています。
参観させていただきましたので、授業風景をご紹介します。
『日本橋に関わりのある歴史上の人物』について学ぶ特別授業は、徳川家康・三井高利・蔦屋重三郎・平賀源内などについて児童からの多くの質問が新野氏に向けられた。
児童も事前に新野氏に聞きたいことを予習してきたのだろうと思われる。
新野氏の話から、常盤小学校の近くには江戸城の常盤門があり、しかも長崎出島のオランダ商館長が江戸城の徳川将軍に拝謁に来る一行が宿泊する長崎屋もあったことなどから、江戸の知識人がオランダの医学などの西洋の知識を得るために平賀源内や杉田玄白などの医者や学者などが多く集まったことを新野氏から知らされて児童から歓声が上がっていた。
この常盤小学校の近くを児童が知っている偉人たちが江戸時代闊歩していたことを新野氏がリアルに時空を超えたかのように「常盤小学校の皆さんは凄い場所で学んでいるんですよ」との投げかけに児童たちの心も沸いていた印象を受けた。
新野氏は、授業後の感想で『45分の授業の間に、矢継ぎ早に19人の偉人についての質問を受け、児童たちの日本橋への興味の深さが強く伝わった。』
『自分が今生活している同じ日本橋の地を、歴史上の人物が時間を超えて闊歩していたことを想像するとワクワクしてくる。そんな楽しみを児童にも知ってほしい』
と話されていました。
常盤小学校ホームページ
https://www.chuo-tky.ed.jp/~tokiwa-es/
新野圭二郎氏と共に佐倉市の『さくら天下祭り!』を訪問!

2025・3・29に予定されていた佐倉市主催の『天下祭り』は日本橋と大変ゆかりの深い山車が補修されて150年ぶりにお披露目するはずでしたが、残念ながら当日の悪天候のために中止となり、佐倉図書館での山車・お囃子のお披露目となりました。
日本橋関係者は榮太樓總本鋪 細田将己社長・八重洲1丁目東富永一町会長(「檜物町」の高張ちょうちんを持参)が招待され、「京橋・日本橋まつりに佐倉の山車を貸してほしい」と。
日枝神社の禰宜さんも同じく、「日枝神社祭禮『江戸の山王祭』を佐倉の山車を含めた全国に散らばった江戸時代の山車を一堂に集めてを企画したい」とお話されていました。
日枝神社ホームページhttps://www.hiejinja.net/sannou_web/vol132/
天下祭りの人形山車は、唯一山王祭(日枝神社)と神田祭(神田神社)が江戸城内に入り、将軍の上覧に供された壮大な由緒ある祭礼文化です。
江戸時代の山王御祭禮25番附①『玉乃井龍神人形山車』と組んでいた②『石橋人形山車』(日本橋・上槇町)も佐倉の横町所有だそうです。
山王御祭禮21番附③『竹生島龍神人形』(日本橋・通油町・田所町・新大坂町)もあり、3体の能装束人形を日本橋馬喰町の関岡装束店から購入したようです。
山車(日本橋・檜物町・上槇町)は2台。
江戸時代の天下祭の錦絵に特徴がよく似ていることから、この山車が使用されていたことが分かったそうです。
他にも佐倉には④『日本武尊』(佐倉・上町)⑤『関羽雲長』(佐倉・仲町)⑥『八幡太郎義家』(佐倉・弥勒町)の人形山車があるそうです。
来年のさくら天下祭りでは6台の人形山車を拝見できることを楽しみにしています。
佐倉図書館ホームページ https://www.library.city.sakura.lg.jp/viewer/info.html?id=792
『元檜物町(現八重洲東1丁目)の玉乃井龍神人形山車』は、人形(佐倉・二番町所有)・山車(佐倉・肴町所有)今回は両町会の山車を元に修復。
日本橋経済新聞の記事『日本橋の視察団が佐倉市訪問150年ぶり復元の旧檜物町人形山車を見学』 https://nihombashi.keizai.biz/headline/2109/
佐倉市ホームページ
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/sakuranomiryoku/event_kanko/sakurasakura/index.html
下総佐倉藩は江戸時代に譜代大名大老堀田家として日本橋とのかかわりが非常に深かったようで、日光街道から佐倉街道を行くと江戸との距離は非常に近いものでした。
中央区にも今でも堀田家屋敷があった場所に『茶ノ木神社』が祀られています。
中央区観光協会特派員ブログ『人形町から行ける、静かな神社⑧茶ノ木神社』rosemarysea
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=1403
やはり佐倉と日本橋の結びつきは江戸時代からの深い縁で結ばれていたのですね。
日本橋の山王祭の山車を150年も保存してくださったことは素晴らしいの一言に尽きます。

国立歴史民俗博物館・江戸時代の日本橋付近模型

佐倉と言えば『国立歴史民俗博物館』があります。企画展示『時代を映す錦絵』3月25日(火)~5月6日(火・休)を見ることができました。ー浮世絵師が描いた幕末・明治の作品ー
常設第3展示室①都市の時代『江戸橋から日本橋付近にかけての街並み、市場・盛り場の復元模型』
1600年~1800年代、世界一の人口100万人都市だった江戸の城下町はその面積も世界一でした。特に江戸は徳川将軍が政治・経済を集中させるために計画的に作った城下町で、下町・日本橋は将軍・参勤交代の大名家来・町民を支える日本全国からの商品・食品が集まる流通のために大都市として発展。
ジオラマのような江戸日本橋の街並みが一望できます。
国立歴史民俗博物館ホームページhttps://www.rekihaku.ac.jp/index.html
おたけ大日如来略えんぎ 歌川国芳画 1849嘉永2年 個人蔵

江戸後期に歌川晴信から成立した多色擦浮世絵版画である錦絵は、役者絵・美人画・名所絵などで高度な表現を成し遂げ、日本美術を代表する芸術として、世界的に認知される。
一方、錦絵は江戸市中に無数に存在する絵双紙屋を通して販売されるという流通形態も与って、世の中の出来事や流行を伝えるメディアとしての役割も果たした。
このメディアとしての性格は江戸時代末期に急速に強まっていった。
特に天保の改革を機に風刺画のジャンルが成立してから、世相を題材として錦絵の中には、役者絵や美人画を凌ぐヒット作も出てくる。
戊辰戦争などの戦争や動乱、大地震、疫病の流行、多くの人々を熱狂させた流行現象など、激動する時代の諸相を錦絵を展示
江戸時代の出版統制令は、幕府や大名にまつわる話題や政治的出来事を主題にしたものを出版することを禁じていたので、規制をかいくぐるための表現も多彩に発展した。
世相を題材とした錦絵を時代順や画題ごとに展示するだけでなく、既存の画題を隠れ蓑としながら、いかに人々に情報を伝えたかを知ることができる。
展示構成 1.風刺画の基盤 2.風刺画の登場 3.鯰絵 4.流行り病と錦絵
5.激動の幕末 6.開帳と流行り神 7.横浜絵 8.動物狂騒曲 9.開化絵とその周辺
小津資料館ビルの一角にある『史跡 於竹大日如来井戸跡』

中央区観光協会特派員ブログ
『於竹如来が詠まれた俳句 一茶小津資料館』 銀造
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=2064
『大日如来の江戸での御開帳』 yaz
新野圭二郎氏による『日本橋歴史アーカイブス』の展示ガイド見学会の輪が広がりつつあり、今回佐倉までつながったことに参加して感じたことはまだまだ発掘されていない日本橋の歴史の面白さを追求したいというワクワク感が湧いてきました。
(新野圭二郎氏・常盤学校校友会の承諾を得て、記載させていただきました)