べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 29
~ 蔦屋重三郎 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」、7月20日は第27回参議院選挙の開票速報放送のため、放送休止でしたね。
しかし予言ではなかったのですが実際13日OAの27話の終わりに意知さんが切られてしまい、・・・。
宮沢氷魚さん、あとは回想シーンになってしまうのでしょうか、とても残念です。
放送休止に従い、このシリーズも1週休止を考えましたが、蔦重自体をご紹介する絶好の機会とさせていただきたいとも考えました。
なので今回は「蔦屋重三郎」をテーマとします。
ただし、主人公ですのでごくさらりとしたご紹介とさせていただきます。「べらぼう・・・」本編で十分お楽しみと思いますので。
それでは・・・
今回使用しました画像は全て現在大人気の「小網神社(こあみじんじゃ)」、上の画像はその本殿です。
所在地は日本橋小網町16-23です。
小網神社は過去にご紹介しています。
⇒ 2021年1月21日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.35 ~ 小網神社 ~」
⇒ 2024年1月25日「日本橋七福神めぐり、実は人形町ぐるり一周です ~ 日本橋七福神めぐり ~」」
蔦屋重三郎は・・・
画像は小網神社の右の狛犬です。
江戸時代の本町通り(現在の大伝馬本町通り)は、日本橋を拠点とする五街道のうち奥州・日光街道の道筋に当たる江戸屈指の目抜き通りでした。
この通りに面する「通油町(とおりあぶらちょう)」には、江戸時代中期に活躍した蔦屋重三郎(1750年~1797年)の書肆(しょし:出版兼販売)「耕書堂(こうしょどう)」がありました。
寛延3年(1750年)、幕府公認の遊廓・新吉原(現在の台東区千束)で生まれた蔦重は、幼くして新吉原で茶屋を営む喜多川家の養子となりました。
安永元年(1772年)には新吉原大門口(しんよしわらおおもんぐち)の五十間道にあった義兄の茶屋「蔦屋」の軒先を借りて貸本・小売取次の商売を始め、安永4年(1775年)からは吉原の案内書である「吉原細見(よしわらさいけん)」の版元として出版に乗り出し、吉原遊廓の絵草子や黄表紙なども手掛けました。
吉原細見の独占出版を始めた天明3年(1783年)には、数多くの書肆・草紙屋・問屋が軒を連ねる日本橋の通油町に拠点を移し、黄表紙・洒落本(しゃれぼん)・狂歌本(きょうかぼん)錦絵などを出版して、江戸でも有数の地本(じほん:江戸で出版された草紙類)問屋となりました。
重三郎は江戸の人々の嗜好や時流を捉えること、才能のある戯作者(げさくしゃ)・絵師などを見抜いて大成させることに長けていました。
戯作では朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)・大田南畝(おおたなんぽ)・喜多川歌麿(きたがわうたまろ)・山東京伝(さんとうきょうでん)・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)など、絵師では勝川春草(かつかわしゅんそう)・北尾重政(きたおしげまさ)・鍬形蕙斎(くわがたけいさい:「べらぼう・・・」では北川政美【きたがわまさよし】として登場)・葛飾北斎(かつしかほくさい)・喜多川歌麿・東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)などの作品を出版し、版元として数多くの実績を残しました。
寛政3年(1791年)には、寛政の改革による出版取締令の対象となり、重三郎が手掛けた出版物の発禁処分や身上半減(しんじょうはんげん)の闕所処分(けっしょしょぶん)【財産の半分を没収】などを受けて商売の縮小を余儀なくされます。
しかし趣向を変えて出版を続けた重三郎は、翌年に画才を見出し庇護してきた歌麿による美人大首絵を発表して一世を風靡(ふうび)しました。
さらに、寛政6年(1794年)から翌年には、写楽による役者絵を次々と出版して人気を博し、寛政9年(1797年)に没するまで日本橋の地で大きく躍動しました。・・・
~ 今年6月に取り換えられました旧日光街道、現在の「大伝馬本町通り」にあります中央区教育委員会説明板『蔦屋重三郎「耕書堂」跡』 より抜粋 ~
蔦重に関する、以前の記事はこちらです。耕書堂跡の旧説明板で、ご紹介させていただいております。
⇒ 2023年6月5日「究極の新人発掘モンスター、蔦屋重三郎のお店・耕書堂は中央区にありました 併せて吉原についても述べます ~ 蔦屋重三郎「耕書堂」跡 ~」
「べらぼう・・・」での蔦屋重三郎は・・・
画像は小網神社の左の狛犬です。
横浜流星さんが演じています。映画「国宝」でもすばらしい演技を披露していますね。
~ 主人公 ~
18世紀半ば、人口は100万を超え、天下泰平の中、世界有数の大都会へと発展した江戸。
蔦重こと蔦屋重三郎は、江戸郊外の吉原の貧しい庶民の子に生まれ、幼くして両親と生き別れ、引手茶屋の養子となる。
血のつながりをこえた人のつながりの中で育まれた蔦重は、貸本屋から身を興して、その後、書籍の編集・出版業をはじめる、
折しも、時の権力者・田沼意次が創り出した自由な空気の中、江戸文化が花開き、平賀源内など多彩な文人が輩出。
蔦重は朋誠堂喜三二などの文化人たちと交流を重ね、「黄表紙」という挿絵をふんだんにつかった書籍でヒット作を次々と連発。
33歳で商業の中心地・日本橋に店を構えることになり、“江戸の出版王”へと成り上がっていく。
ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページより ー
画像は小網神社の鈴です。
画像は小網神社の銭洗いシーンです。
中央には「萬福舟乗弁財天像」が写っています。
手前が「銭洗いの井」となっています。
ロズマリの職場の同僚は、こちらの井で1万円札を洗ってしまい、使いにくくなっているそうです。
・・・NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、さらりと書こうとしてもやはり文章が長めになってしまいます。
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