渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた

ここはどこ、わたしはだれ?

と、思いついたままに、執筆してます。(これでも一応推敲はしている)

さて、TOP画像の立派な日本家屋。渋沢栄一の住居??
ということで、今回表題の通り渋沢栄一氏の住居跡を巡ってみた!っていう企画よ!

長くなったけど、最後まで読んで頂ければ嬉しいです!

中央区の観光スポットとして、兜町の渋沢栄一邸宅跡に建てられた「日証館」があります。
こちら昨年2024年12月25日に東京都選定歴史的建造物に選定されたことで、今期の「ものしり百科」のP37とP163に新規で掲載されました。

ものしり百科P163から転記します。

『関東大震災後の復興を象徴するビル
建築家横河民輔が設立した横河工務所の代表的な建築作品。基壇の大きな石貼りが重厚感のある外観を際立たせている。特に一階に並んだ大きなアーチや四階、六階にある二個だきあわせの小アーチ窓が特徴的。証券会社が立ち並んでいた日本橋兜町の歴史的景観を今に伝える建築。』

ふーん。

なんとなく観光検定に出題されそうな匂いがプンプン丸。(怒っているわけではない)

渋沢栄一氏は昨年発行された新一万円札の肖像になったのは誰もが知っとる周知の事実ですね。

これまで一万円は2期連続で福沢諭吉だったので、一万円のことを「諭吉」と表現する若者言葉が存在したが、これからは一万円札のこと「栄一」を表現されるのだろうか。

うん。たぶんしなそーだな。

渋沢栄一氏って生涯500社もの企業に関わったらしいのです。
91歳で亡くなりましたが、仮に30歳でそれなりの立場になったと仮定し、80歳までの50年間を現役とした場合、年間10社に携わっていた計算になりますな。

江戸時代の埼玉の農村出身で、すげーな、そりゃ一万円札の肖像にもなるわ。

ということで、今回は都内の渋沢栄一氏の住んだ場所に特化し巡ってみました!

渋沢栄一氏ご本人の事を記載したら情報量が多くて大変なことになるので、興味がある方はどうぞご自由に調べて下さいませ

■住宅の変遷
①生まれは1840年3月埼玉県深谷市血洗島(なんだか生々しい地名)

若いころ、一橋慶喜の家臣になりヨーロッパへ行ったりいろいろあり、そこから・・

②1876年(明治9年)に深川区福住町(現江東区永代」)に転居
③1888年(明治21年)に日本橋区兜町(現中央区兜町)に転居
④1901年(明治34年)に飛鳥山に転居

とのこと。


③は中央区ですが、それ以外は中央区ではありません。
今回中央区観光協会特派員ブログではありますが、中央区を飛び出しました!ビユーンとな✈️

①「埼玉県深谷市血洗島」

ちょっと遠いし東京じゃないので割愛!(最初から手抜きw)

"「近代日本経済の父」のルーツを探る旅"
特派員壱路さんが6月に書かれたブログ記事があるので、興味がある方はどうぞ!

②「深川区福住町」

②「深川区福住町」 渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた

現代の地名だと「江東区永代」

「永代」といえば「永代橋」

からの「永代橋」といえば五代将軍綱吉の50歳を祝して、架けられた橋であることは、観光検定を受ける方には常識問題。

隅田川を渡ったあたりの佐賀町周辺を永代島(えいたいじま)と称していたことにちなんで名付けたとも言われています。

その永代橋を渡ってすぐなので、中央区からも近いです。
現在も「澁澤シティブレス永代」という建物があり、澁澤の名前が残っている場所です。
https://koto-kanko.jp/tourism/detail_spot.php?sid=S00116

栄一氏は明治22年から明治37年まで深川区会議員および区会議長を務め、また、明治30年には当地に渋沢倉庫部(現:澁澤倉庫株式会社)を設立しました。

 渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた

③「日本橋区兜町」

③「日本橋区兜町」 渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた

冒頭説明した「日証館」。

1888年に中央区日本橋兜町(当時は日本橋区)に「辰野金吾」の設計で邸宅を作りました。
場所は日本橋川と楓川(っていっても、水は流れてません。流れているのは車です)がT字路になっている右下部分。兜神社のとなりです。

「辰野金吾」、建築の歴史や古い建物に興味がある方でないと、知らない方が大半だと思われますが、その道では有名な建築家。

今も国の重要文化財となっての残っている「日本銀行」や「東京駅」などを設計した人物。
その道では「日本近代建築の父」といわれているんだってさ。

観光検定の勉強している方は、ジョサイア・コンドルに師事していたって事は記憶されてますよね。
(ものしり百科を見ながら書いてますw)

ちょっと脱線。
現在では高速道路に転用され車が流れている「楓川」。
一般的にこの字は「かえでがわ」と読みますが、中央区教育委員会や観光検定の教本ものしり百科では「もみじがわ」とルビをふってます。
中央区の他の部署が作った案内板では「かえでがわ」っていう表記もあり、統一されていません。
それぞれ主張し一般人を混乱させている悪い例ですw

『楓川は「もみじがわ」?「かえでがわ」?』
で2019年に考察されたブログ記事があるので、興味がある方はどうぞ!

十数年居住後1901年に飛鳥山に移転し、兜町の住居は「渋沢事務所」になりました。

その20数年後の1923年(大正12年)9月1日。いわずもがな関東大震災が発生。
震災により事務所は全焼してしまいました。

その跡地には冒頭記載の「日証館」が1928年に建築されました。

 渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた
 渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた

④「飛鳥山」

④「飛鳥山」 渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた

JR王子駅そばにある飛鳥山公園。

東京都内の桜の名所として有名です。
吉宗の時代に行楽地として整備されました。公園の中に旧渋沢家飛鳥山邸があります。晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)の建物は国の重要文化財に指定されています。

一般的にはこちらが渋沢栄一の邸宅跡として有名な場所となってますね。北区の勝ち

詳しくはこちらを(手抜きPart2)

    ↓青淵文庫

 渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた

「深川区福住町」時代の建物

「深川区福住町」時代の建物 渋沢栄一の住居跡巡りをしてみた

さてTOP画像の答えあわせのお時間です

②の「旧渋沢邸家住宅」が江東区潮見に現存しています。
江東区指定有形文化財になっており設計施工は、清水建設の二代目店主 二代清水喜助。

1908年(明治41)に芝区三田綱町に移築、そして1991年(平成3)に老朽化により解体の危機で、わざわざ青森県六戸町に移築、2019年(令和元年)に清水建設が譲りうけ、潮見に移築したようです。

詳細はこちら

わたくしのシリーズブログ「旧「晴海鉄道橋」の遊歩道 まもなく開通!
で晴海線に繋がっている深川線の始発駅として登場した「越中島貨物駅」が運河を挟んだで反対側にあります。

外観ならいつでも見れるので、興味があるお友達は行ってみてね!