べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑲
~ 鳥山石燕 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第18話、こちらも良かったですね。
染谷将太さん演じる喜多川歌麿を含んで、新たな登場人物が複数ありましたので困惑しますが、まずは師匠筋から・・・。(他登場人物はこれから適切な時期に、順に丁寧にご紹介申し上げます。)
今回は「鳥山石燕(とりやませきえん)」を採り上げます。
第18話の回想場面で、幼い唐丸(捨吉・勇助・のちの歌麿)に絵を教えていました。
鳥山石燕は木挽町狩野家(こびきちょうかのうけ)の3代目・狩野周信(かのうちかのぶ)門下の画家・浮世絵師でした。
いわゆる狩野派門人ということは、「狩野画塾跡」のある銀座に縁あり、ということになります。
なお、冒頭画像は銀座6-10-1GINZA SIX屋上、靃護(かくご)稲荷神社です。
靃護稲荷神社のご紹介はこちらです。
⇒ 2022年2月25日「ちょっと気になる中央区の神社⑫ 屋上シリーズ② ~靃護稲荷神社~」
それでは・・・
鳥山石燕は・・・

画像は銀座4-6-16三越銀座店屋上、銀座出世地蔵尊です。
銀座出世地蔵尊のご紹介はこちらです。
⇒ 2022年3月29日「ちょっと気になる中央区の神社⑬ 屋上シリーズ③終 そして、江戸古典落語50作掲載【終】 ~銀座出世地蔵尊~」
鳥山石燕
正徳2年(1712年) ー 天明8年(1788年)
江戸時代中期の画家、浮世絵師。狩野周信(かのうちかのぶ)に師事した、といわれています。
「あやかし絵」すなわち妖怪画を得意としました。
妖怪画集「画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)」「今昔画図続百鬼(こんじゃくがずぞくひゃっき)」「今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)」などが作品として知られています。
また、弟子にも恵まれ、恋川春町や喜多川歌麿、志水燕十などの絵師を育成しました。
画図百鬼夜行
鳥山石燕の真骨頂、妖怪画、いわゆる「あやかし絵」。
画像は国立国会図書館デジタルコレクションでご覧ください。
コマ番号を繰りますと40ページあります。
「べらぼう・・・」第18話のラスト解説でも、雑司ヶ谷の鬼子母神にあります石燕筆「あやかし絵」の1枚が紹介されていました。
秋景山水図(しゅうけいさんすいず)
「べらぼう・・・」での鳥山石燕は・・・

画像は銀座7-12-9、熊谷(くまがい)稲荷神社です。
熊谷稲荷神社のご紹介はこちらです。
⇒ 2022年10月15日「ちょっと気になる中央区の神社 続編⑭ ~熊谷稲荷神社~」
片岡鶴太郎さんが演じています。自身も画家ですから鳥山石燕は「はまり役」ですね。
本名は荻野繁雄さん、曾祖父・祖父・お父さんまで埼玉県所沢のご出身。所沢で「荻野さん」と言ったら地主一族の苗字です。
ロズマリの伯母さん・従姉も「所沢の荻野さん」、です。とても親近感を覚えます。
鳥山石燕
~ 妖怪画の大御所、歌麿の人生に大きな影響を与えた師 ~
徳川将軍家に仕える狩野派に絵を学び、安永5年(1776年)に『画図百鬼夜行』を刊行し、妖怪画の名手として脚光をあびる。
喜多川歌麿(染谷将太さん)や恋川春町(岡山天音さん)など数多くの弟子を持つ。
特に歌麿には、小さいころから目をかけ、その“才能の目覚め”にきっかけを与えていく。
ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページ より ー

片岡鶴太郎さんの書籍・画集をご紹介します。
左が「あしたは鶴日和」、右が「夢画夢中」です。
絵画の他、書も歌も一流プロ、ヨガもインストラクター、以前はボクシングもされていましたね。鶴太郎さんの多才さを実感します。
狩野画塾跡(かのうがじゅくあと)

先週アナウンスさせていただきましたとおり、「狩野画塾跡」につきまして述べさせていただきますが・・・
実は「狩野画塾跡」は以前ご紹介させていただきました。
⇒ 2024年7月14日「『銀座』はどこまで? 銀座を一周してみましょう! 番外編 ~森田座跡・狩野画塾跡・佐久間象山塾跡~ ーそれから、江戸歌舞伎関連ー」
銀座5丁目13番付近
江戸幕府の奥絵師であった狩野四家はいずれも狩野探幽(たんゆう)・尚信(なおのぶ)・安信(やすのぶ)の三兄弟を祖とし、「鍛冶橋(かじばし)」「木挽町(こびきちょう)」「中橋(なかばし)」と「浜町(はまちょう:木挽町の分家)」の四家すべての拝領屋敷が区内にありました。
木挽町狩野家の祖・狩野尚信は寛永7年(1630年)に江戸に召し出され、竹川町(現在の銀座7丁目)に屋敷を拝領して奥絵師になりました。
その後、六代典信(みちのぶ:号は栄川【えいせん】、栄川院【えいせんいん】ほか)の時に老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)の知遇を得て、木挽町の田沼邸西南角にあたる当地に移って画塾を開きました。
奥絵師である狩野四家の中で、もっとも繁栄した木挽町狩野家は諸大名などからの制作画の依頼も多く、門人が数多く集まりました。
門人のほとんどは、諸侯のお抱え絵師の子弟で、14から15歳で入門し、10年以上の修行を要しました。
修行後は師の名前から一字を与えられて、絵師として一家を成す資格を持つといわれました。
この狩野画塾からは、多くの絵師が輩出されていますが、明治の近代日本画壇に大きく貢献した狩野芳崖(ほうがい)や橋本雅邦(がほう)などは、ともに木挽町狩野家十代・雅信(ただのぶ)の門下生です。

画像は銀座4-12-5、歌舞伎稲荷神社です。
歌舞伎稲荷神社のご紹介はこちらです。
⇒ 2022年11月12日「ちょっと気になる中央区の神社 続編⑮終 ~歌舞伎稲荷神社~」
・・・NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、人脈も微細に整理させていただいた上でお届けします。