浜ちゃん

「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑥」
~狩野派:鳥山石燕、田沼意次、松平定信~

「中央区」に屋敷があった絵師集団「狩野派」と、ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」との深い「ご縁」をご紹介させて頂きます。ドラマの中の、「北川豊章」と「志水燕十」の謎や、史実の人間関係についてもご説明致します。

“べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜” 
第18話「歌麿よ、見徳(みるがとく)は一炊夢」、
第20話「寝惚(ぼ)けて候」、
第21話「蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)」

“べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜” 
第18話「歌麿よ、見徳(みるがとく)は一炊夢」、
第20話「寝惚(ぼ)けて候」、
第21話「蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)」 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑥」
~狩野派:鳥山石燕、田沼意次、松平定信~

511日(日)放送の第18話では、喜多川歌麿(演:染谷将太)の幼少期の「唐丸」(演:渡邉斗翔)が、鳥山石燕(とりやませきえん)(演:片岡鶴太郎)から絵を習うシーンが描かれていました。

また、61日(日)放送の第21話では、歌麿を売り込むために蔦重がセットした「歌麿大明神の会」で、歌麿が志水燕十(しみずえんじゅう)(演:加藤虎ノ介)と親しく話し込んでいるシーンがありました。

加藤虎ノ介さんは、第18話では「北川豊章(とよあき)」として、またその後は「志水燕十」として登場しており、ドラマでは、北川豊章と志水燕十は同一人物として描かれています。第18話では、北川豊章が、「二人羽織」のように唐丸(=歌麿)をゴーストライターとしてこき使っていたはずなのに、第21話では、歌麿と志水燕十の親密な関係が描かれています。このドラマの展開について、謎に思われた方もおられるのではないかと思います。

実は、第18話の「二人羽織」は史実とは異なり、史実としては、「北川豊章」は歌麿の新人時代の画名です。ご興味のある方は、NHK財団が運営するネットメディア「ステラnet」にも史実が記載されています。

また、後ほどご説明しますが、史実としては、歌麿と志水燕十は鳥山石燕門下の兄弟弟子であり、親しいのは当然なのです。

但し、史実は史実として横に置いておけば、さすが森下佳子さんの手による、よく練られた「穿ち」に富んだ秀逸なドラマだと思いつつ、いつも拝見させて頂いております。

画像は、第18話でも描かれていた、朋誠堂喜三二(演:尾美としのり)作の黄表紙本「見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)」で、「夢であっても見るだけ徳(得)」という意味で、「夢からさめたら、また夢だった」という内容です。この本は、525日(日)放送の第20話でも、大田南畝(おおた なんぽ)(演:桐谷健太)が書いた黄表紙の評判記「菊寿草(きくじゅそう)」にて最上位(極上上吉)の評価を得て、蔦重たちが喜んでいる様子が描かれていましたね。

(画像出典:「見徳一炊夢」国立国会図書館)

「鳥山石燕」と蔦重とのご縁、史実の人間関係

「鳥山石燕」と蔦重とのご縁、史実の人間関係 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑥」
~狩野派:鳥山石燕、田沼意次、松平定信~

左の図をご覧ください。

狩野派の絵師「鳥山石燕」の門下には、恋川春町(演:岡山天音)、喜多川歌麿、志水燕十といった弟子達がいました。歌麿は、幼い時から、烏山石燕を師匠として絵を学んだと言われています。

また、鳥山石燕は、北尾重政(演:橋本淳)と俳諧仲間として親交があったことから、そのご縁で、歌麿は重政を慕って重政の「弟子同然」だったと言われています。

一方で、蔦重側から眺めてみると、朋誠堂喜三二と北尾重政は、「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」シリーズの初回のブログ(↓)でご紹介させて頂きました通り、車の両輪として蔦重を支えてくれる存在でした。

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5849

そして、ドラマでも描かれていますが、朋誠堂喜三二の莫逆の友が恋川春町でした。

このように、鳥山石燕と蔦重は、幾重にもご縁があり、また、一緒に仕事もしています。

蔦重が版元となり出版された喜多川歌麿の「画本虫撰(えほんむしえらみ)」は、ドラマのオープニング映像にも登場していますが、この本の序文を書いたのが鳥山石燕です。

また、天明4年(1784年)に蔦重が制作した志水燕十の「通俗画図勢勇談(つうぞくがずせいゆうだん)」に、鳥山石燕は挿絵を描いています。

タイトル画像は、NYメトロポリタン美術館所蔵の、鳥山石燕と喜多川歌麿の師弟コラボによる、「Mother and her Children in Front of a Freestanding Screen of a Chinese Lion(直訳は「獅子の衝立の前の母子」)」(出典:メトロポリタン美術館)という作品です。獅子の衝立には署名と印があり、衝立の絵師が鳥山石燕であることを示しています。また、女性と子供の部分には喜多川歌麿の幼名「勇助画」と署名があり(女性の左下)、母子の絵師は歌麿で、歌麿が石燕に学んでいたことを知ることができます。さらに、右下の印は「南畝文庫」、つまり大田南畝の印で、この作品が大田南畝の所蔵だったことを示唆しています。この絵だけでも、ドラマの登場人物の人間関係をうかがい知ることができます。

「狩野派」とドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(鳥山石燕、田沼意次、松平定信)とのご縁

「狩野派」とドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(鳥山石燕、田沼意次、松平定信)とのご縁 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑥」
~狩野派:鳥山石燕、田沼意次、松平定信~

二条城は狩野派の美術館とも言われており、画像上段(出典「二条城」)は、二条城の「大広間 一の間・二の間」で、狩野探幽が障壁画を描いています。一般的に狩野派といえば、このような絵をイメージされる方が多いのではと思います。

一方で、鳥山石燕は狩野派の絵師ですが、「妖怪画の祖」と呼ばれており、画像中段(出典:国立国会図書館)のような妖怪画を描いています。1776年(安永5年)に刊行した、妖怪画集「画図百鬼夜行(がずひゃっきやぎょう)」が大ヒットし、当時、ほとんど世間一般に馴染みがなかった「妖怪画」というジャンルを確立しました。二条城に描かれた狩野派の画風とはずいぶん異なりますね。ちなみに鳥山石燕は、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者の水木しげるのルーツとされています。

実は、狩野派の中にも、鳥山石燕より前に化け物を描いた絵師がいました。南部藩お抱えの狩野派の絵師「狩野由信」が「化物づくし絵巻」(画像下段、出典「今昔妖怪大鑑」)を描いており、これが鳥山石燕の絵の元になったと言われています。

先ほどご紹介させて頂きました通り、狩野派の絵師「鳥山石燕」は、日本橋通油町(=中央区)で「耕書堂」を営んでいた蔦屋重三郎と幾重にも重なる深いご縁がありました。

また、銀座木挽町にあった「木挽町狩野家」の屋敷は、田沼意次(演:渡辺 謙)より拝領したものでした(後述)。

更には、松平定信(演:寺田心)も、木挽町狩野家第6代目「狩野栄川院(えいせんいん)」(=狩野典信(みちのぶ))から絵を学びました。

このように、「狩野派」とドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」との間には、いくつものご縁があります。

狩野画塾跡(銀座5丁目)

狩野画塾跡(銀座5丁目) 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑥」
~狩野派:鳥山石燕、田沼意次、松平定信~

田沼意次が晩年を過ごした下屋敷は、現在の銀座5丁目13番付近にあり、「狩野画塾跡」の説明板が立っています。

狩野四家(鍛冶橋・木挽町・中橋・浜町)は江戸幕府の奥絵師でしたが、そのすべての拝領屋敷が中央区内にありました。「奥」とは将軍に直結する概念で、奥絵師は将軍に直接拝謁できる資格を持ち、帯刀を許され、拝領の屋敷に住み、二百石二十人扶持の俸禄を受けるのが定例でした。

四家でもっとも繁栄したとされるのは木挽町狩野家で、6代狩野典信は、徳川10代将軍・家治(演:眞島秀和)から寵愛され、田沼意次の下屋敷の一角を拝領して画塾を開きました。その跡地が「狩野画塾跡」です。

画像は「御府内沿革図書、安永年中之形」(出典:「狩野画塾跡」説明板)で、田沼主殿頭(とのものかみ)(=田沼意次)の屋敷(赤囲み)の一角が、狩野栄川(=狩野典信)の屋敷(青囲み)になったことが分かります。

アクセス、近隣の観光スポット

アクセス、近隣の観光スポット 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑥」
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最寄駅は「東銀座駅」です。駅から昭和通りを新橋方面に向かい、最初の角を左折するとすぐの歩道脇に、「狩野画塾跡」の説明板があります。

以下(↓)は、このエリアの観光スポットです。

https://www.gotokyo.org/book/wp-content/uploads/2020/03/2003_tsukiji-low_JP.pdf

【過去ブログ、参考資料・出典】

●過去ブログ:

① 伝馬町牢屋敷:平賀源内 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5849

②浜離宮恩賜庭園:徳川将軍家の鷹狩場 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5856

③ 長崎屋、石町時の鐘:平賀源内 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5861

④ 日本橋 拾軒店:瀬川「青楼美人合姿鏡」https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5907

⑤ 日本橋瀬戸物町(福徳神社):鳥山検校 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5920

 

●参考資料・出典(ホームページ含む):

二条城、メトロポリタン美術館、

歩いてわかる中央区ものしり百科、中央区、国立国会図書館、東京都立図書館、国立文化財機構、東京国立博物館、NHK、プレジデント、サライ、ステラNet、東京都公園協会、浜離宮恩賜庭園、東京都、郵政博物館、「十軒店跡」案内板、福徳神社、京都大学

 

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