浜ちゃん

「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑭」
~末廣神社「元葭原夕暮れ参り」:「吉原細見」のルーツは「元吉原(元葭原)」にあります~

ドラマで度々登場する「吉原細見」のルーツは、人形町界隈にあった「元吉原」にありました。7月・8月に、元吉原の地主神として信仰されていた「末廣神社」において、「元葭原夕暮れ参り」開催中です。

“べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜” 第1話「ありがた山の寒がらす」

もともと吉原は日本橋近辺(人形町界隈)にありましたが、明暦3年(1657年)の江戸の大火で焼失し、ドラマの舞台である浅草寺裏に移転しました。15日(日)放映の第1話は、明和9年(1772年)、蔦重22歳のときに江戸で発生した、「目黒行人坂の大火」で吉原が炎上しているシーンからスタートしました。ドラマは、吉原が日本橋近辺から浅草寺裏に移転してから、約100年後のシーンからスタートしたことになります。

元吉原から新吉原へ

元吉原から新吉原へ 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑭」
~末廣神社「元葭原夕暮れ参り」:「吉原細見」のルーツは「元吉原(元葭原)」にあります~

当初、吉原は日本橋近辺(現在の中央区日本橋人形町界隈)にありました。

葦が茂っている場所であったことから、「葦原(よしわら)」と呼ばれるようになりました。「葦」は正しくは「アシ」と読みますが、「あしはら」では縁起が悪いというので、「よしわら」と読ませました。その後、縁起の良い「吉原」と表記されるようになりました。

明暦3年(1657年)、日本橋近辺にあった吉原は、「明暦の大火(振袖火事)」により焼失してしまい、浅草寺裏の日本堤(現在の台東区千束)に移転しました。日本橋近辺にあった吉原は「元吉原」、浅草寺裏の日本堤にあった吉原は「新吉原」と呼ばれていました。

次のパラグラフ「元吉原について、もっと知りたい方へ。。。」の最初の画像の、赤色の四角(二重囲)で囲ったエリアが「元吉原」です。浜町堀(浜町川)の水を引き込んで四方を堀に囲まれていました。「浜町掘」と聞いて、思い出された方もいらっしゃると思いますが、以下のブログ(↓)でご紹介させて頂きました通り、ドラマ第25話で蔦重が飛び込んだ川が「浜町堀」でした。

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=6063

画像は、現在も当時の名残として残っている、「元吉原」への唯一の出入口であった「大門(おおもん)通り」で、人形町通りと並行して走っている通りです。

タイトル画像は、人形町通りにある日山から10数メートルほど水天宮方面に行った歩道脇にある「元吉原」の説明版です。説明板に描かれている絵は、元吉原の遊女評判記などが記載された「吾妻物語」(寛永19(1642)刊)の中の挿絵のひとつで、「吾妻物語」は吉原細見(吉原のガイドブック)のルーツと言われています。

詳細は後ほどご説明させて頂きますが、元吉原は、現在の人形町交差点と浜町川緑道(浜町堀があった場所)の間(縦:約230m)、人形町交差点の左右(横:約203m)に跨る、東京ドーム(46,755m²)とほぼ同じ広さのエリアでした。また、明暦の大火の際に、元吉原から新吉原に移った遊女の数はざっと3,000人いたと言われており、一大遊郭街でした。

元吉原について、もっと知りたい方へ。。。

元吉原について、もっと知りたい方へ。。。 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑭」
~末廣神社「元葭原夕暮れ参り」:「吉原細見」のルーツは「元吉原(元葭原)」にあります~

「元吉原」とは、どんなところだったのでしょうか。

元吉原は、明暦3年(1657年)の「明暦の大火(振袖火事)」により新吉原に移転するまで、約40年間しか存在しませんでした。

まず、どこにあったのか、その場所です。

最初の画像は「武州豊嶋郡江戸庄図(ぶしゅうとしまごおりえどのしょうず)」で、寛永9年(1632)に描かれたとされる、初期の江戸図を代表する絵図です。現在知られている限りで、最も古く、内容が正確だと言われている江戸図で、初期の江戸の町を知ることができます。

この中の、赤色の四角(二重囲)で囲ったエリアが「元吉原」で、掘割に囲まれています。図の「東」と記載された箇所が大川(現在の隅田川)で、図の「東」の文字から右に向かって伸びている水路が、江戸初頭に隅田川側から開削された「浜町堀(浜町川)」と呼ばれていた堀です。元吉原は、浜町堀の水を引き込んで、四方を堀に囲まれていました。

図の元吉原の上方に入堀が2つあり(東堀留川入堀、西堀留川入堀)、さらにその上方をみると「江戸橋」と「日本橋」があります。現在の位置関係と比較すると、元吉原が人形町界隈にあったことが分かります。

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~末廣神社「元葭原夕暮れ参り」:「吉原細見」のルーツは「元吉原(元葭原)」にあります~

次の画像は、「江戸之下町復元図」で、元吉原は既に新吉原に移転しておりこの図には描かれていません。

元吉原の地主神として信仰されていた「末廣神社」の境内の説明版には、「吉原が移転してからは、その跡地の、難波町・住吉町・高砂町・新和泉町の四カ所の氏神として信仰されています」との記載があります。

図の赤色の四角(二重囲)で囲ったエリアが、この四カ所の町があるエリアで、このエリア内に元吉原がありました。図の赤色の四角(二重囲)の下方(右下)には「浜町堀」が、また、上方には入堀が2つ(東堀留川入堀、西堀留川入堀)描かれており、先ほどご覧いただいた「武州豊嶋郡江戸庄図」とも、位置関係が一致しています。

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次に、その広さです。

吉原を、元吉原から新吉原に移転するにあたり、幕府は、従来の広さの5割増しの土地を用意し、その面積は、約2万坪(東京ドーム約1.5個分)だったと言われています。これを元にすると、元吉原の土地は、東京ドームの面積「46,755m²」とほぼ同じ広さだったことが分かります。

「中央区沿革図集(日本橋篇)」の「武州豊嶋郡江戸庄図」(最初の画像)に描かれた「元吉原」は、ほぼ正方形に近い形ですので、仮に、正方形と仮定して元吉原の一辺の長さを求めると、約220mになります(≒面積46,755m²)。人形町交差点から、浜町堀があった浜町川緑道までの距離は約250mですので、広さの観点からも、ぴったりと符合します。

「武州豊嶋郡江戸庄図」に描かれている「元吉原」の形を実際に測ってみると、正方形ではなく、縦36mm、横32mmの長方形です。この縦横の比率と、面積46,755m²をもとに、元吉原の縦横の長さを計算すると、縦230m、横203mが導き出されます(230×20346,755230:20336:32)。

元吉原は浜町堀に接していたので、縦は、浜町川緑道から230m(甘酒横丁の「森乃園」まで)のエリア。横は、「武州豊嶋郡江戸庄図」と「江戸之下町復元図」を見ると、人形町交差点を中心に左右ほぼ同じ幅になっていたようなので、人形町交差点をスタートして小伝馬町方面に進み「カフェベローチェ」までと、同じく人形町交差点をスタートして水天宮方面に進み「日山」までのエリアになります。

最後の画像は現在の人形町界隈の地図で、図の赤色の四角(+ナナメ線)で囲ったエリアが、元吉原があった場所になります。画像をみると、人形町通りと並行して走っている2本目の通り「大門通り」が、元吉原があったエリアの中央を貫いており、また、このエリア内に「末廣神社」があることが分かります。

「大門通り」が元吉原唯一の出入口でしたが、大門通りを約400m、5分ほど小伝馬町方面に歩いていくと、「大伝馬本町通り」に蔦重の「耕書堂」跡の説明版があります。場所は、以下(↓)のブログをご覧ください。

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5980

末廣神社:元葭原夕暮れ参り

末廣神社:元葭原夕暮れ参り 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑭」
~末廣神社「元葭原夕暮れ参り」:「吉原細見」のルーツは「元吉原(元葭原)」にあります~

元吉原の地主神として信仰されていた「末廣神社」において、7月・8月に「元葭原夕暮れ参り」開催中です。写真の提灯に、「元葭原総鎮守 末廣神社」の文字が見えます。毎日猛暑日が続くこの季節は、神社内が夜間少し明るめになっており、夕涼みしながら参拝できます。

週末の夕方(17:3020:30)には御神酒が振る舞われますので、参拝後に御神酒をいただき、元吉原があった神社周辺で食事を楽しんで頂ければ幸いです。人形町界隈は、老舗の落ち着いたお店から、最近できたオシャレなお店まで、選択肢豊富です。「浜ちゃん」も、参拝させて頂き、個人的にとてもご縁の深い会津若松の蔵元の「末廣酒造」の御神酒を頂きました。末廣神社の「元葭原夕暮れ参り」の詳細は、以下公式インスタグラム(↓)をご覧ください。

https://www.instagram.com/p/DMNgyjxT0WV/

 

また、夕暮れの時間帯に、「末廣神社」を含む「日本橋七福神めぐり」もおススメです。日本一短時間に参拝できる「七福神めぐり」といわれており、徒歩で23時間程度で巡れます。「日本橋七福神めぐり」の詳細は、以下公式サイトをご覧ください。

https://www.nihonbashi-shichifukujin.gr.jp/

 

全ての神社で御朱印を頂くことができ、いずれも紙での頒布ですので、以前ご紹介させて頂きました「みおつくし横丁」の「御朱印ホルダー」を持参して巡ると便利です(↓)。

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5979

【アクセス】

【アクセス】 「中央区とのご縁:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜⑭」
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【過去ブログ、参考資料・出典】

●過去ブログ:

      伝馬町牢屋敷:平賀源内 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5849

      浜離宮恩賜庭園:徳川将軍家の鷹狩場 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5856

      長崎屋、石町時の鐘:平賀源内 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5861

      日本橋 拾軒店:瀬川「青楼美人合姿鏡」https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5907

      日本橋瀬戸物町(福徳神社):鳥山検校 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5920

      狩野派:鳥山石燕、田沼意次、松平定信 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5987

      「耕書堂」(日本橋通油町):蔦屋重三郎 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5980

      熈代勝覧(きだいしょうらん):須原屋市兵衛(演:里見浩太朗) https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5996

      「べらぼうフェスティバル in 日本橋」(7/47/6)と「べらぼう 蔦屋重三郎 ゆかりの地めぐり(マップ付)」 https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=6014

      祝 蔦重:結婚、日本橋進出! 「大江戸問屋祭り」7/6()開催:鶴屋喜右衛門(演:風間俊介) https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=6063

      日本橋「白木屋」と「名水白木屋の井戸」:白木屋彦太郎(演:堀内正美) https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=6056

      池洲稲荷神社:鱗形屋孫兵衛(演:片岡愛之助)、7/22() 日本橋大伝馬町「池洲夏祭り」開催! https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=6095

      小伝馬町・大伝馬町:宿屋飯盛(石川雅望)(演:「ピース」又吉直樹) https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=6102

 

●参考資料・出典(ホームページ含む):

中央区沿革図集、

歩いてわかる中央区ものしり百科、中央区、国立国会図書館、東京都立図書館、国立文化財機構、東京国立博物館、NHK、プレジデント、サライ、ステラNet、東京都公園協会、浜離宮恩賜庭園、東京都、郵政博物館、「十軒店跡」案内板、福徳神社、京都大学、二条城、メトロポリタン美術館、イチマス田源、蔦重通油町ギャラリー、十思スクエア蔦重ギャラリー、熈代勝覧、Central Tokyo for Tourism(東京中央区オフィシャル観光ガイド)、東京大学、江戸東京博物館

 

日本橋区史 第一冊(飯塚書房)、日本橋区史 第二冊(飯塚書房)、日本橋区史 第三冊(飯塚書房)、日本橋区史 第四冊(飯塚書房)、

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